知らずに陥る魔の思考停止とは ~仕事ができない・成果がでない理由~
2008年5月 9日 by 理事長 清水 知輝

日本企業や政治・行政においても、本質的な課題解決がなかなか進まないのは、ガソリン税の暫定税率1つとっても、皆さんご存知の通りだ。特に、政治・行政は、見ていて滑稽なほどである。それは、どうしてだろうか。
企業を中心に、様々な現場を見てきた結果、その最大の要因は、「思考停止」にあると私は考えている。これは、知識詰込型教育の弊害とも言えるが、想像以上に多くの人が陥っている。
今回は、幾つかのケースに分けて典型例を述べるので、是非、自身が「思考停止」に陥っていないかを確かめて貰いたい。
【神様症候群】
「思考停止」の典型的なケースで、最も良く出会うのが、「○○さんが言ったから」というものだ。
これの類型として、「わが社では、昔からそうなっている」「社長が決めた事だ」というものもある。
私はこれを、「神様症候群」と呼んでいるが、「お客様は神様です」とお客様の言っていることをそのまま実行するのも、この延長にあると考えている。
これは非常にわかりやすいケースなので、ちょっと考えればわかるだろう。
例えば、上司が言ったことを鵜呑みにして、それをいかに実行するかだけを考えたり、その世界での大家が言った事を、何の疑問も覚えず丸暗記したりしていないだろうか。
あるいは、「事業戦略ならプロダクトポートフォリオだ、マーケティングなら4Pだ、事業環境分析なら5フォースだ」などと、何でもまずは兎に角言われた通りのフレームに当てはめないと考えられない人も、これの類型に当てはまる。
最近のケースで言えば、新銀行東京の追加融資も、都知事の意向を実現するためだけに再建策を練ったのだろう。このような状態になってしまったことを分析する報告書を、詳細まで読まずに計画を立案したというから驚きだ。
この症状の問題は、それを続けていくと、課題の本質を理解することは勿論のこと、自らでは何も生み出せないようになってしまうことだ。
勿論、そんな事はないと思われる方も多いだろう。私も、他者の知恵の集約である書籍は、月に10冊以上読むことも多い。その書籍には、大家が書いたものも当然含まれ、フレームワークも提示されている。
しかし、それをどのように見るか、という点が大切だ。
人というのは、同じ事をずっとやっていると、「癖」付いてしまうものである。
つまり、何の比較検討もなく、偉い人が言っているからと言って、受け入れてしまっていては、どんどんと自らの思考が錆ついてきて、いざという時に働かなくなってくる。
ある世界的に著名なビジネス誌の紹介の中の大前研一氏のコメントで、「昔から自分の考えを比較する対象として読んでいる」という意味のものがあった。それも、今ほど有名になるずっと以前からである。つまり、どれだけ大家のコメントであれ、それを鵜呑みにせず、自ら考えるための対話に使う。
他者の英知であれ、そのように用いなければ、誰かに依存している事と変わりはないのである。
【寄らば大樹症候群】
最近の就職先の保守化(寄らば大樹)傾向も、根底にはこういった思考の依存体質による停止があるように思える。今から10年前に遡ったときに、果たして高成長・高収益企業がどれだけ大きかったかを見てみれば簡単である。あのTOYOTAでさえも、世界一(とほぼ同じ)になる事を見抜いていた人は少なかっただろう。
そう考えれば、今の大企業にすがるのは、必ずしも安全ではないと言う事がわかるにも関わらずである。
まあ、ここまで就活生の大多数が、大企業志向になれば、違う側面から見られない気持ちはわからないでもないが、結局は、他人は他人である。大勢に流されることは、今の時代において、リスクが大きすぎる。
これらがより進むと、「赤信号みんなで渡れば怖くない」というものがある。
ようは、集団心理というものだ。つまり、集団に依存して、思考が停止してしまう。
ビジネスにおいては最近流行り?の「偽装事件」があるが、三菱自動車などの大企業も、リコール隠しで潰れそうになるなど、自分で考えず集団に依存する体質というのは、クリティカルなダメージを与えるようになってきている。ただ、最近は、「内部告発」という形で事件が明るみに出る事も増えてきており、理由はどうであれ、発信者だけでなく受信者も、少しは真っ当な判断ができる人が増えてきたかな、と感じる。
しかし、仕事の現場に目を向けると、まだまだこの傾向は強く残っている。
例えば、何か仕事を進めようとする時、部署を跨ると途端に進まなくなる事はないだろうか。私は特にそういった部署を越えた課題を扱うことが多く、そういう方が山ほどいるのではないかと感じている。
それを生み出すのは、縦割り意識だ。
この縦割り意識も、特定の部署に思考を依存しているからこそ起こることである。なぜなら、合理的に考えて全体の利益になることであれば、考えるまでもなく進めるべきだからだ。例え、自分の部署が一時的に業務量を増やす事になっても、人員や商圏を譲ることになっても、そこに合理性があるのであれば、甘受すべきなのだ。
しかし、そこで多くの人が、自部署の利益を優先してしまう。「総論賛成・各論反対」のように、一歩引いて見れば合意できるのに、自部署の事となると「話は別」となるから不思議である。
それを推進者として経験すれば、如何にこの思考停止が問題を引き起こしているかを理解していただけるだろう。
これらの根本は、寄らば大樹の思考であり、大樹が決めた事に対しては口をはさまないばかりか、自分で考え直すことすらしないのである。そのような組織に明日があるのか、私は甚だ疑問である。
少なくとも、そのような甘い環境が許され続けるとは思わない方が良い。大量のリストラや採用抑制があったのは、つい最近のことである。私が就職した時は、まさにその時代であり、現在、30代前半の主戦力不足が、多くの企業で課題となっているが、それも、大企業が中心に行った横並びの採用抑制の結果なのだ。
くれぐれも「大企業に入れば安全」などと、思考を停止させない方が良いだろう。もちろん、借金体質改革に道州制導入による行政の大改革を控えた公務員も、それは同じである。せめて、自分のことくらいは、自ら考えて意思決定して欲しい。
【変革恐怖症候群】
「わが社(部)では、昔からそうなっている」
私は何度この言葉を聞いただろうか。最近では、聞いた瞬間に苦笑が抑えられないくらいである。
私は主に改革と企画という新しいものを創造する仕事をメインにやっていた。つまり、変化がないところでは仕事がない。
そのようなキャリアを積んできたので、変化に対しては何も感じないが、そういった仕事を通じて、逆に、多くの人は変化を本能的に恐れる・避けることもわかってきた。
確かに、仕事に慣れてきた途端、部署異動をさせられ続けたら、さすがにまいってしまうのはわかる。仕事とは、勉強ではなく成果を出すことで評価される世界だし、人は何であれ評価されることを望む生き物だからだ。そろそろ慣れてきて上手く成果が出せそうだというタイミングで、次のステップへ、と言われると、「今からなのに!」と思う心情はわかる。
しかし、変わらなければ、「緩慢な死」が待ち受けているだけだ。先延ばしすればするほど、病は悪化していき、治療方法も副作用が大きいものに限られてくる。世界規模での競争が普通となった以上、前と同じことをしていることが、最大のリスクなのである。これは、小資源国である日本は、決して避けられないことだ。
「変える=悪」のように思い込み、それ以上、思考が進まない人が多すぎる。「やれと言われれば協力する」などと言うが、そもそも自分の仕事を変えるのに「協力する」はないだろう。既に、この時点で、自分が変える、という事に対して、思考が完全停止してしまっているのである。
変革に対する抵抗は、非常に強いものがある。
日本は「既得権益」社会だと常々感じるが、一度得たものに対する執着心は、何についても非常に強いものを感じる。そこに良いか悪いかの判断はない。しかし、伝統と歴史を重んじる事と、単なる過去への執着は異なる。変えて良くなるのであれば、恐れずに変えた方が良いに決まっている。冷静に考えれば当たり前だ。
しかし、現時点において得られたものを失うリスクも当然ある。「えびで鯛を釣る」ということわざがあるが、そもそも「えび」を餌として失わなければ、鯛は得られない。リスクを全く犯さずに何かを得ようというのは、虫が良すぎる話だ。鯛の釣り場だけ占拠していても、鯛は得られないばかりか、他の人が鯛を釣る邪魔にすらなるのである。
最近、巷を賑わせているガソリン税の暫定税率問題もそうだろう。スカスカの高速道路やそれに付随する無駄な施設を作るために税率を上げているわけではないはずなのはわかっているのに、なぜ、ああももめるのだろうか不思議である。地方がもっと自由に道路を作ったり、再開発をしたり、医療に回せるように、数多くの特定財源を見直して一般化、または廃止し、地方が自由に使える形で渡せば済むことだ。その際に、それらの税源を活用するために、霞ヶ関の官僚が地方に移籍すれば、人材の問題も解決するし、併せて、無駄な特殊法人なども完全民営化させて一掃すれば良い。民営化すれば、多くの無価値な法人は潰れるからである。不謹慎かもしれないが、企業の人材不足も、少しは改善されるかもしれない。
いかに現状を変えずに済むかを前提に議論するから、おかしな話になると、なぜ、あれだけ学歴も高い人達がわからないのだろうか。不思議で仕方が無いが、それこそが、「変化に対する抵抗力の強さ」の証明とも言えよう。
しかし、一言だけいえるとすれば「変革なきところに創造はない」という事だ。そして、創造がなければ、よりよき社会や生活は得られない。
自らの行為が結果的にどのような影響を与えているのか。それを胸に、今何をすべきかを考えて貰いたい。
【自己保身症候群】
改革に携わっていると、総論賛成・各論反対、という言葉をよく聞く。しかし、それは本来の意味とは違うような気がしている。
本来の意味は、大きな流れとしては反対ではないが、細部になると相違が出やすい、というものだ。
しかし、私が知っている範囲だけで言えば、大きな流れとしては、自分(の部署)の関係が「見えない」ので賛成だが、細かな話になってきて、自分(の部署)が少しでも関係し出すと、意見が違う以前に「関係させるな!」と反対するのである。
意見の相違というよりも、「それは私の仕事ではない」と思っているからではないだろうかと最近思う。自分(の部署)が少しでも関係しそうになると、突然、異論を言い始めて、自分は無関係でいるように尽力するのだ。
あるいは、「これでは決められない」という話もよく聞く。
改革の方法がわからないので提案して欲しい、と大半のケースで言われるのだが、提案すると、かなりの割合で、この言葉が返ってくる(更によくあるのが、「これはうちには合っていない」「うちは特殊だ」という言葉である…)。
「では、何があれば決められますか」と聞くと、「もっと私達の仕事を理解して貰わないと困る」だとか「これだけでは説明できない」と返ってくるが、「○○があれば決められます」という答えを聞いた試しがない。何をどう聞いても、如何にして自分達が決めずに済むか、その言い訳を探しているようにしか、私には思えないし、そのような回答をしていて、管理職者として恥ずかしくないのか、と呆れてしまうことも度々である。
これは、実はどちらも「自己保身」をはかっている結果の言葉である。
リーダーは、意思決定をすると、その決定に対して当然責任を負う。つまり、意思決定する事はリスクなのだ。
しかし、そのリスクを乗り越えなければ、大きな成果を手にすることもできない。
ただ、気持ちはわからないでもない。
失敗するのが怖い、という気持ちはわかる。しかし、リスクを冒さずに対価を得られるほど、現代は甘くはない。リスクはコントロールするものであって、避けるものではない。
だが、日本の村社会においては、成功することも避けなければならないのだ。こんな不思議な社会は少ないと思うが、ちょっとした成功をしても、上位者から妬まれる事はよくあることだ。特に、前任者でかつ上位者が、過去に挑戦して失敗したことを、成功させようものなら、その前から色々と妨害されると覚悟しておいた方が良い。これは、本当の話である。実際、私も失敗した前任者からは邪魔をされ、COOが出した方針(と呼べるほどのものではないが)がずれていたので、話半分に聞いていたが、そのCOOからは、成果自体を隠され、非合理な要求を突きつけられて改革を破壊された。
そうなれば、自己保身に走る気持ちもわからないでもない。
しかし、それが良いかどうかは別の話だし、決して良いとは言えないだろう事は賢明な読者ならおわかりの事だと思う。
自己保身のために、自らの関わる範囲を出来る限り狭めるやり方は、残念ながらこれからはますます通用しなくなっていくだろう。今からでも遅くない。自己保身の殻を破れるのは自分自身である事を、是非、思い起こして行動に移して欲しい。
【とりあえず症候群】
仕事をしていて「何でこんないい加減な仕事をして、疑問を感じないのか」と思う事はないだろうか。
配達時間を守らない時間指定の宅配業者、偽装食品を売る食品メーカーやスーパー、残業費を稼ぐためだけにダラダラと仕事をする同僚、「申し訳ございません」「ありがとうございました」もまともに言えない接客スタッフと、挙げだしたらきりがないが、視点を変えて、自分の仕事もそうなっていないか、と常に考えて、あなたは仕事をしていると言えるだろうか。
私は、年齢や役職に関わらず、実にいい加減な仕事をしている人を良く見かけると感じている。
本人は、「一生懸命やりました」「これだけ時間をかけました」というが、その仕事の目的を忘れて、単なる資料集めになっていたり、顧客に対する理解が思い込みだけで形成されていたり、大した評価もなく「これが一番です」と平然と言ってみたりと、追求すると「きっとそうだと思って」「とにかくやってみました」「面倒くさくてやりませんでした」「そこまで考えませんでした」などという言葉が返ってくるような仕事の仕方をしているのだ。
一応、思考は停止していないが、その思考が浅かったり、使い方を間違っていたり、質にバラツキが多いと、その思考自体が、周りに悪影響を及ぼす。
その事を、やっている人間はわかっていないのだ。
私は、そういった人間には、「教育」のために仕事を渡すことはあっても、完全に信用して「任せる」事は、始めからしない。「とりあえず」で仕事を行う人間には、厳しいようだが、付加価値など生み出せはしない。付加価値を生み出す仕事は、それ程甘いものではないのだ。
あなたも、ミスだらけの仕事を平然と「やりました!」とあげてくる人に、仕事を安心して任せられるか考えて欲しいし、社会人となる以上、それだけの気概でやって貰わねば、勉強を教えて貰う学生と何が違うのか、明確に答えることができないだろう。
仕事というのは、本来、その内容に「甘え」は許されない。「これくらいで良いだろう」という言葉は、決して吐けないような場所なのだし、それは、いつか自分に返ってくるものである。
いい加減な仕事には、いい加減な仕事で返される。
私も、真剣に仕事をしてくれる人には、きちんとした対応をするようにしている。それが、ビジネスパーソンとしてのマナーだからだ。レストランなどでウェイトレスの人相手に怒鳴っている人を見る事があるが、例え落ち度があっても、相手が真剣に仕事をしていれば、注意はしても怒鳴る事はないだろう。怒鳴る側のマナーがなっていないと思うし、そういう人に限って、自分の仕事はいい加減だったりするものだ。
完璧を目指せ、と言っている訳ではなく、トコトンやりきったと自分が言えるように仕事をし、失敗したら仕方が無いと思えるまでやったと言えるようになろう、と言うことだ。
こう聞くと当たり前のように思えるが、できていないシーンは私にも山ほどある。是非、そういった視点で日々の仕事を見直して、徹底的に考え抜くことを癖付けて貰えればと思う。必ず、どこかでそれを高く評価してくれる人が現れると、私は断言しても良い。それくらい、大切なことなのである。
【過去にしがみつくリスク】
私たちは「選択の時代」にいる。
不確かなものが、非常に多くなっている。いや、少なくとも「答えのない」ものを扱う事が増えているのは確かだし、幅広い意味でのITの進展で、答えがあるものの価値は、急激に低下しており、「答えのない」ものから答えを見出すか、答えがわかっているものでも、それを着実によりよく進める努力をし続けるか、そのどちらかでしか、価値をつける事が難しくなってきている。
つまり、あらゆる領域においてもリーダーは選択する事が常に求められる。その対極が思考停止だ。多くの人が身近である企業においては、経営者・役員・中間管理職・プロジェクトリーダーなど、リーダーの立場にいる人が、少しでも思考停止に陥れば、その組織は周りからのプレッシャーに負けてしまうのだ。負けないようにしようとすれば、既得権益を守り、特権階級化を画策するしかない。しかし、それもこの世界においては、長続きしないだろう。旧共産圏も、テクノクラート化した特権階級への反発で、最後は崩壊したのである。
そして、個人として、冷静に考えて、どちらが健全だと思うだろうか。
私は、既得権益にしがみついて、何とか逃げ切ろうと思うよりも、自分が出来うる限り挑戦したいと思うし、それこそが、飢餓や流行病、戦争などの「死」から解き放たれつつある先進国に生きる者のつとめではないかと考えるのだ。
まとめてみよう。
「思考停止」には、幾つかの類型がある。
何も考えずに偉い人の言葉を受け入れる「神様症候群」、とにかく長いものには巻かれて、それに疑問すら抱かない「寄らば大樹症候群」、変わることは良い悪いを別として全て否定し、それ以上考えない「変革恐怖症候群」、自らの範囲を自ら勝手に定め、それ以外の事は徹底して関わらず考えようともしない「自己保身症候群」、言われたからやってみただけ、その後、それがどうなろうと知った事ではなく、結果に対して思考が停止している「とりあえず症候群」などである。
「思考」というのは、ある意味、「空想」という言葉があるように、どこまででも考えていけるものであるし、それこそが生物としての人間の強みである。そこに自ら枠をはめたり、思考自体を誰かに頼ったり、思考すること自体から逃れようとするのは、人として生きることを放棄しているのと同じであるし、そのような考え方は、決して、社会の更なる発展に貢献できない。
是非、自らに与えられた「思考」という才を最大限発揮し、新たなる社会の発展に挑戦して欲しい。時には辛くとも、それ以上の達成感が得られる事は、少なくとも保証できるし、私は、経験者として確信をもって薦めたいのである。そして何より、今の社会は、過去の人達の「思考」の賜物なのだから、私たちはそれ以上の者を残していくのが、現代に生きる者の責務なのだと考えるのである。
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけ、その後、自らの関わり方に疑問を持ちベンチャー企業に転進。経験を活かし、経営企画・事業企画・商品企画・営業企画など様々な企画業務、数十名規模のライン管理職、業務・会計・人事などの各種改革業務などを担い、業績拡大を支える。また、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングに責任者として従事する。実践的なアプローチにより実績多数。現在はIT・ライフサイエンス系投資育成企業にて、子会社の事業企画や経営改革、大手企業の機構改革などにあたる。
※FRI公式ツイッター(筆者が主担当です)
※筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ~ビジネス・キャリア徒然草~」(本稿は個人ブログより転載)
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理事 高橋建人


この記事へのコメント (2件)
非常にバランスの良い考え方で参考になりました。私自身営業20年で10月より工場にての管理業務になるので心、思考の混乱を起こしていました。ありがとうございました。
投稿者: HTML | 投稿日時:2008年09月30日 14:18
コメントありがとうございます。また、反映が遅れて申し訳ございません。
営業であれ生産であれ、本来の目的は「利益を上げること」である事に変わりはありません。
是非、そのご経験を活かして、組織代表になるのではなく、組織間の架け橋となって、本来あるべき姿を目指してください。製販双方をバランス良く見られる人材(&どちらにも睨みをきかせられる人材)というのは、それほど多くありませんから、チャンスだと思って、思う存分、力を発揮されると良いと思います。
全体最適の素晴らしさを一度でも見ると、その仕事が病みつきになりますし、バランス感覚の大切さを心底ご理解いただけると思います。
投稿者: 理事長 清水 知輝 | 投稿日時:2008年10月15日 09:21