日本国家改革論 第二章『国家財政基盤の構造改革におけるポイントとは』

『第二章:国家財政基盤の構造改革におけるポイントとは』
前章では、国家のトップのあり方について、如何に戦略を考え実行できる環境が重要か、また、それを実現する方法は、今の議員内閣制では難しいことを述べた。
今回は、物言わぬ今の子供達や未来の人達に借金を押し付け、問題を直視しない国家の財政基盤をどの様に改善するのかについて、支出である国家予算と、収入である税制について、それぞれ考えていきたい。
国家財政はよく、破綻しているしていない、という話で語られがちだが、本来の話を言えば、トップが考えた戦略を実行をする際に、自由に使える幅が一定以上なければ実現し得ないため、常に一定の余力を持っておく必要がある、というレベルで語られなければならない。赤黒ギリギリの会社が、次の大きな一手をうつ事が難しいように、ギリギリ生き永らえた、という話を国家財政でしている時点でリーダーシップを持って遂行するためには、アウトとってしまうのである。
そして、更に言えば、なぜ国債を買うか、と言えば、きちんと返ってくる保証があるからで、その保証というのは、国が担保するからではなく、日本という国にある企業が、貿易を主体として海外からも稼いでいるという実績が裏打ちしているからだと言う事を忘れてはならない。単に日本にある資金額と国内購入が大半だから、という話だけで済ませていては、直ぐに行き詰まってしまう。
国家財政基盤を考える時は、同時に、国内産業(国内に拠点があるグローバル企業含む)や消費者の動向をプラスにしていく視点も必要なのである。
【国家財政の矮小化リスク】
現在、各種保険などを含めて、日本を運営するためにかかるお金は200兆円を超えると言われているが、一般財源予算は100兆円に満たないということはご存じだろうか。
つまり、特定財源や保険等の名目で強制徴収されている金額のうち、半分以下しか機動的に使えなくなっているのだ(実質的に、そのうち変更できるのは、更に1割程度だろうが)。
更に、予算折衝での変動も、億円単位で動く程度で、兆単位で動く話を聞いたことがない。
これでは、国民が付託した税金の大多数が、官僚の思い込みで硬直的に使われてしまい、本当に全国民に必要なもの、未来の日本に必要なものに、使われることはなくなってしまう。
そのため、特定財源の廃止と一般財源への繰り入れが主要議題となる。
また、利用者負担の原則と言うが、それも本当だろうか。系統だった負担計算を行ったのか全くわからない。例えば、自動車排ガスは各種の疾患を発生させ得る。そうであれば、健康保険に対する支出が必要であるが、自動車重量税や石油諸税が、一時的な流用は別として、そういうところに使われたという話を聞かない。それはなぜだろうか?
所得税や住民税や消費税は、本当に利用者負担なのか?
税金というものは、本来、富の再配分の機能であり、ある程度の行政サービスを受ける人や行為からは、幅広くとって再配分すれば良い。特定財源だけ、利用者負担を盾に一般財源化しないのは、単に省庁の固定予算をなくされないための詭弁とも言える。ふるさと納税(正確には寄付金の税控除)について、都知事が一笑に付したこともあるが、本当にそうなのであろうか。多くの人が、働く場所であっても住む場所ではない、と言っている事に対して、都知事はどう考えているのだろうか。ようは、行政サービスが納税額に見合っていない、という評価であるし、寄付、という考え方自体を否定すべきではないだろう。
あるいは、国家予算は単年度原則と言うが、本当に重要な予算であれば、それでも継続的に予算が付くし、例えば、政権交代による政策変更によって中断されれば、それが国民の意思とも言える。本当に続けたければ、普通の企業のように、その意義とメリットをきちんと説明し続ければ良いだけのことだ。楽してはいけない。
一時期、民主党が国の研究開発予算を一律絞るという愚行を行ったが、当然、かなりの反発を受けたし、国民もそれに賛同する人は多かった(但し、説明責任を果たせなかった文科省の官僚や科学者は、理系出身者としても強く反省を求めたい)。国民はそこまで馬鹿ではない。
普通の企業で、収益を挙げていない事業が、何の努力もなしに予算消化だけで、翌年も同額予算を貰える、などということはあり得ない。もし、今のようなやり方をしていれば、行政サービスが良くなることなどあり得ないだろう。努力なきところに改善はないのだ。
特定財源を廃止し、全てを一般財源化し、継続的に必要な予算は高い成果を上げることで確保する。こんな企業では当たり前のことをすら、国土整備には長い年月がかかる、という理由でなされないのだ。
しかし、良く考えて欲しい。
年数がかかる、ということと、予算を固定化する、更に、それを裏打ちする税収を固定化する、という話は、全く別物である。
本当に必要なものであれば、毎年予算申請すれば通るはずだ。
実際、各地でダムや高速道路の見直しが入ったし、スーパー堤防なる荒唐無稽な代物まで、200年かけて全ての整備を前提として整備が続けられていた。そんなものに予算を費やすくらいなら、首都機能を移転・分散化し、リスク分散することに予算を使った方が、よっぽど健全だ。あれだけ地震が起こりやすい地域に首都機能を置き続け、それを守り維持することに無理がある。
そして、多くのケースで、予算化して着工してしまったから途中でやめるのは難しい、という話が出るが、これも本末転倒である。必要だから予算を付けて実行するのであって、必要性が薄まれば、一定の現状復帰や対策は前提となるが、計画を見直して実行しないことが当たり前だろう。
年数がかかっても、予算を固定化する必要はないし、予算が実質固定化したからと言って目的税により歳入とリンクさせる必要はない。本当に必要なのであれば、固定化しなくとも説明責任を果たせる以上、途中で予算が打ち切られることの方が許されなくなるからだ。
つまり、特定財源を残す必然性はないという事だ。
いったん、全ての特定財源を廃止し、ゼロから見直してみれば良い。結果的に、少しの混乱は出るかもしれないが、大量の無駄な予算が白日の下にさらされる結果になり、大多数の国民のためになるだろう(一部の既得権者は怒り心頭だろうが…)。
【無駄な独法と天下り&渡りの廃止】
以前から問題となっている天下りや渡りは廃止し、そのために作られたような独立行政法人(独法)は、徹底して廃止していくべきだろう。
そのためにも、天下り廃止と定年までの雇用と出向、関連業界への転職年齢制限をセットで打ち出す必要がある。
当然、省庁の中でも、給与も役職者とそれ以外で差を明確につけて、一定の役職者以外は、役職定年として給与もそれを前提に、40~50歳くらいにかけて、調整を入れ始めていくべきだ。
どうしても官僚独特の能力が必要な場合は、全てを情報公開することを前提に、出向という形で人を派遣する。但し、給与だけでなく個室や送り迎えの自動車など、元々の待遇を超えてはいけない、という規定も厳格に適用する。もし、本来の立場よりも高額の給与を出向先で貰う場合は、一旦、給与を国庫に入れた上で、国から元の立場の給与を支払う。差額を国に収めるのである。もちろん、退職金もこれに当てはめて、何度貰っても全て国庫に入れる。退職金は国の規程に則り、一度だけ支払われる。当然、定年退職した後は、国や地方自治体に関係する機関(当然、ファミリー企業や深い取引関係がある企業も含む)、自分がいた省庁の関連業界には、一切再就職できないようにする。
こういった話をすると、職業選択の自由の話が出てくるが、これについては、特別な権限を持つ国家公務員である以上、一定の制限がかけられて当然である。それが嫌であれば、一定年齢、例えば、35~40歳までに辞めれば、そういった制限はかけないとすれば良い。
これで退職金を複数回貰う行為は減るし、仕事に見合わない高給をとることは減るだろう。あくまで、一般企業を模した形の国家公務員の給与体系の中におさまるからだ。民間からの中途採用も増やし、それが嫌なら民間で働けるようにすれば良いのだ。
高い退職金や給与の背景として、就職時に大企業でも公務員でもなれたのだから、同レベルの待遇を得て何が悪い、と言う公務員もいるが、聞いた瞬間に「なら、大企業に入っておきなさい」と思うのは、私だけではないはずだ。公務員は公僕であり、国民全体の平均よりも高い給与を貰えば、当然、様々な反発を受けるのは、考えれば当たり前である。それを前提に公務員になるのか、給与を取るなら、大企業を選べば良い。自己選択の結果を、周りに押し付ける身勝手な論理としか言いようがない。
もし、それで良い人材が集まらないなら、民間企業で力をつけた者を上手く活用すれば良い。力をつけて視野が広がった結果、行政や政治に関与したくなる者は多い。上手い集め方をすれば、それほど高い待遇でなくとも、能力の高い人材を集められるだろう。杓子定規に「試験ありき」で新卒から採用しようとするから人が集まらないのは、少し考えればわかることである。
また、ハッキリ言って、単純に「公務員減」を言い続けても無意味である。それを行えば行うほど、国家公務員としてカウントされない独立行政法人やそのファミリー企業が増えていくだけだ。公務員数削減だけでは、単なる数字計算上の話であり、結果的には、国民から見て割に合わない支出(天下り官僚に対する高給や高待遇、複数回の退職金、無駄な施設や車、特別に守られた共済年金など)を強いられて、より損をしていくばかりである。
独立行政法人も、結局のところ制度倒れに終わっているところが大半だ。それを維持すべく、予算や仕事をあてがい、不必要となった独法も改名や合併等で延命させるだけである。それであれば、改めて行政機関に取り込み直し、行政機関として、予算と実績をもっと細かなメッシュで提出・開示すれば良い。官僚の見做し人数だけ減らしているが、実際に税金で食べている実質官僚がどれだけの人数になるか、見たら驚くだろう。
今は、それを見にくくしているだけであるから、早期に見える化を進めるべきなのである。
あるいは、金融監督庁ならぬ、「規制・行政法人監督庁」をつくり、徹底して規制と独法等の行政機関を管理し、減らしていくことに集中した機関として置けば良い。警察官の取締ノルマや税務署の追加徴収ノルマより、よっぽど国民のためになるだろう。
また、独自で調査し勧告するだけでなく、国民からの請求があれば、その規制や独法を調査し、必要性を確認して結果を広く開示する、という責務も負わせる。この仕組みを国民が活用すれば、結果的に無駄な規制や独法はなくなっていくはずだし、本当に必要なものであれば、国民がそれを理解し納得できるものになる。
規制する側に取り締まり機関がなければ、野放図に無駄な規制や補助金、独法が増え続けるのは道理である。その方が仕事が増えるし予算も増える。そこから得られる利権も増える、という構図だからだ。それを防ぐ恒常的な機能が今こそ必要なのである。
最近、民主党は官僚を使いこなせていない、などの批判が自民党などから出ているが、逆に官僚に乗せられているだけであり、そのような言葉に踊らされては、再び、政官癒着に後戻りするだけである。民主も自民も、結局、官僚をコントロールすることなど出来ていないのである。
大切なのは仕組みであって、個々人の力量はその上に立つものだ。つまり、きちんとした仕組みがあれば、政治家個々人のレベルがどうであれ、最低限の部分は押さえることが出来る。本当にコントロールしたいのであれば、監査と抑止の機能を適切に働かせるよう、徹底した情報公開と、それを支えるチェック機構、そして、信賞必罰の厳しい法制度である。
そこまでセットでやらない限り、結局は今まで同様、掛け声倒れに終わってしまうのだ。
【成長にシフトする税制改革】
労働人口が減りゆく中で、総額給与の伸びを期待してはいられない。それでも、医療費や介護保険を中心に支出は伸びていくだろう。
つまり、課税ベースが縮小する中で、フローである給与で税(支出)を支え続けるという事は、ほぼ無期限無制限に税や保険徴収を増やしていく、という事に他ならない。そうなれば、労働人口が消費の中心であることは変わらず、また、子育て世代でもあるため、日本経済の成長を支え続ける事は難しくなるのは自明の理である。
つまり、課税の根本を変えていかなければならない構造に、日本はなってしまった(なりつつある、ではなく、なってしまった)のである。
では、どうしていけば良いのだろうか。
まず、消費自体に課税をする消費税を増やす、という議論がある。現在はこれが基本であるが、こちらも利率を上げると消費が減衰する可能性が高いというフロー課税の一種であることに変わりはない。
所得税や社会保障費が入口での課税とすれば、消費税は出口での課税であり、基本的考え方は同じである。ただ、入口だと貰う総額が把握しやすいため、累進課税(給与が多い程税率を高くできる)を取りやすい、という特徴があるだけだ(但し、サラリーマン以外は捕捉しづらく、公平性に欠ける、という大きな問題点がある)。
つまり、所得税か消費税か、という議論は、あまり本質的な議論ではなく、単に、入口と出口のどちらで課税した方が都合が良いか、という課税のしやすさ(税金の取りやすさ)の話でしかない。これは、抜本的な話があった後に考えるべき話であろう。
もうひとつの見方として、ストックとフロー、という考え方がある。
これは、ビジネスをやっていると当たり前に出てくる話だが、私達に当てはめてみると、土地や建物、有価証券や現預金、高額な家具や家電などが、いわゆるストックであり、それ自体は大きな価値があるものの、持っているだけでは何も変わらない。フローの代表格は、給料や利子、配当金、家賃収入などがある。
今まで日本は、課税というと、ほとんどがフロー側であり、ストックにかかるものと言えば、土地建物にかかる土地計画税など数えるほどしかない(但し、年額にすると結構な額になる。また、企業は固定資産税も大きな負担にはなっている)。
日本は一気に高齢化が進み、市場が拡大しなくなったことを考えると、稼ぐ人も使う人も減ったためにフローは容易に増えず、老後などのリスクを鑑み、ストックが積み上がって使われないまま放置される、という状況がどんどん進んでいる。
そう考えると、当然、課税ベースをフロー重視にしていれば、財政は破たんするので、ストック重視にシフトして課税していくべきだろう。これは、考えれば当たり前の話である。
具体的には、土地建物については、農地等も含めて課税率を引き上げる。また、有価証券や現預金などに対しても、僅かの率であっても課税する。それ以外の個人資産については、捕捉が難しいので、現時点では行わないものの、法人課税については、率を引き上げることも、ものによっては検討して良いだろう。
かわりに、法人税や所得税(家賃収入なども含む)を引き下げ、配当金等への課税も特別減税を恒久化する。そうして、フローで稼いだ時点では課税せず、一定期間現金で預貯金したり、有価証券などを購入・保有した場合は、年度末の保有資産の種類と額に対して、それぞれ一定の税を毎年納めるのである。特に、現在、相続税で一括で取るものも、生きている間に納税して貰い、相続税がかかる金額の上限をかなり引き上げ、かなりの資産家でない限り課税することをやめる。
これで、フローからストックへの課税ベースシフトを実現する。
これを行えば、消費税の増税も、そこまで大幅なものにはならないだろう。日本の保有資産額は非常に大きいからだ。
そして、資産はもっていないが稼ぎは多い働き盛りの世代の課税負担を減らすのである。そうすると、当然、働き盛りの世代は、出費が多い世代でもあるから、今まで以上に消費に回すようになる。貯め込んでも課税されるだけなら、所得税等が減った分、子供の教育など、必要な消費により資金を回すだろうからだ。
併せて、公的年金については、全て非課税としておけば、年金の不払いも少しはマシになるだろう。
また、土地建物への課税を増やすと地価が下がる、という話をする人がいるが、きちんと運用している人は、運用益に対する課税も同時に減らす訳なので、魅力的な土地は更に価値が上がる。もちろん、運用が難しい土地は下がるかもしれないが、地価が下がればそこに魅力を感じる人が出てくる訳で、単に、土地の魅力がより明確に定まるだけと言える。
併せて、余談ではあるが、海外資本による山林の買収などが問題になっているが、土地の保全を保有条件にし、必要な保全を行わない場合は、課税率を上げるなどの措置を、山林への課税と同時に行えば、単なる保有は高コストだという事で、幾つかの投資先から撤退の話も出てくるだろう。国土保全にも、税は使えるということを忘れてはいけない。
【課税の公平性と弱者の考え方】
こういう税に関わる議論をすると、必ず出てくるのが、「高齢者などの弱者の負担を増やすのか!」という感情的な言葉である。
よく言われるのは、所得税や法人税の減税は金持ち優遇、という話であるが、相続税の減免なら確かにそうかもしれないが、本当の金持ちは海外に居住したり、別の形で報酬を受け取るなどして、入口の税金対策は万全にしているものだし、大企業も同じく、法人税をほとんど払っていないところは多い。逆に、中小企業で危ない赤字企業を除き、ほとんどが優良納税法人である(社員の給与を減らしてでも、黒字化させて税金を納めている)し、所得税の主要納税者は中間層たるサラリーマン達だ。
そう考えると、こういった指摘はたまたま損をしてしまう少数派の話など、的外れな部分も多いのである。そういう人は、別の仕組みを持ってセーフティーネットとして拾い上げる、ということが重要であり、大枠の仕組みで考えてはいけないのだ。これは、震災復興税を消費税型で行うと、被災者も課税される、という話と同じである。被災者に課税しても、それ以上の補填があれば、トータルとして問題がないのであるが、この切り分けや組み合わせが中々わからない人が多いようだ。
また、肉体的弱者の高齢者とバリバリの働き盛りを比べて、高齢者は弱者だと言われるが、確かに肉体的な弱者ではあるものの、経済的弱者かと言えば、健康保険の負担など、かなりの面で高齢者が既に優遇されていることもあって、実質的な可処分所得は逆転しているケースが多いし、そうだからこそ持ちたくても家庭を持てない若者が増えている事実を見過ごしてはならない。
子供一人が大学を出るまで、約1000万円かかると言われる現代において、夫婦二人と子供三人で妻がパートの場合、ある年代では可処分所得は確実にマイナスに陥る。これが夫が正社員ではなく派遣社員だと、子供一人でも危ないくらいだ。更に言えば、その生まれてくる子供は、1000万円近くの借金(国と地方合わせて)を負っており、年金も極僅かしか貰えない。出生率が下がるのも、近年は経済的要因が主要因であることは明らかだ。
年金を積み立てた額以上に貰う現在の高齢者と比べて、一人当たりの可処分所得額を考えれば、単に高齢者が弱者だと言うのは、乱暴な議論でしかないと考える。
実際、多くの蓄えを持ち、立派な家に住み、毎年海外旅行に行ける老夫婦も多い。気持ち的には、今までありがとうございました、という部分で楽しい老後を過ごしていただきたいが、それでこれからの未来を支える子供の出生率が下がり、借金を押し付けているなら、本末転倒としか言いようがない。日本の高度成長期を支えたことを報われると同時に、こうしてしまった責任も併せて負ってもらうべきである。
そうすると、ストック(資産)課税、というのは、比較的公平性の高い考え方だ。
しっかり貯めて資産形成した人、すなわち、本当の金持ちから税金を取ることは、その人の年齢に関係なく、累進課税の大本の考え方に合致していると言える。
また、特に土地建物などは、その地に固定化される固定資産なので、対価が地域行政サービスだと考えると、その地にある資産が多いほど、対価分の負担を多めに持つ、というのは公平性が高いと言える。逆に、土地や建物を広く持っているのに、(節税対策後の)課税ベースの所得が少なければ、都市計画税を除き、主に相続税でしか取られない、というのはバランスを欠いていると言える。更に言えば、相続税も減免が行われているケースがあり、更に、一時的に借金を増やして土地建物など課税ベースの率が低い資産を増やすなどの方法を取れば、節税対策が可能であることも忘れてはならない。また、企業の相続を進めるために、土地と株式の管理会社を作れば、相続税が企業が存続する間留保されるという優遇策もある。企業に価値があり、富を生み出すからこそ相続税がかかる。本来であれば、少しずつでも良いので株を買い取り続けることで相続すべきものを、企業の存続という観点だけで留保されるのは、公平と言えるのだろうか。
一般的に、金持ち=資産家、である。であれば、相続税のような一過的でない恒常的な資産課税は、金持ち優遇にならない唯一の課税の仕組みであることは明らかだ。
逆に、フローに課税をすると、努力した人が損をする、という話になりかねず、ただでさえ沈滞している日本の足腰を弱らせるベクトルが強く働いてしまうのも、また、明らかである。
過去に言われていたから、官僚や偉い人が言っているから、と言って考えずに信じるのではなく、今の環境においても本当にそうなのか、疑ってみるべきだ。
そして、最も大切なのは、お金を滞留させないことである。
特定財源にせよ、天下りのための付加価値のない独立行政法人にせよ、お金が常にそこに流れ続けるのは、国としての付加価値創造力に何の貢献もしない。単なる現状維持どまりが関の山で、大抵は労費に過ぎなくなる。競争環境や厳しい監視下におかれなければ、基本的に改善はないのである。
また、ストックに対する課税は、何もしない資産家には厳しい状況を生むかもしれないが、資産を活用しない、つまり、お金を滞留させる者には厳しくなり、価値を生んでフローを生み出す者には優しくなる社会になる訳で、お金が現時点では手に入れられていない者に還流させやすくなる。
フロー課税を甘くすると、直ぐに金持ち優遇だと短絡的に見る見方があるが、そうではない。一番の金持ちは、資産家であり、それを自助努力ではなく相続によって手に入れた者たちである。ここの対応を見誤ると、機会の平等という民主主義の根幹が揺るがされるのであるが、多くの人達はそれに気づいていない。フローではなくストック課税にする意義は、やる気も能力もある者達に対価を得やすい環境を提供する、ということであり、生まれという不平等を出来るだけ防ぐことに他ならない。
そして、大切なのは、そういう国が最も力を持つという事実である。
日本だけでなく、アメリカや中国など、本当に成長していたのは、そういった個人の努力に関係ない生まれ等による富と地位の固定化がなくなった時代であることは、周知の事実である。今より、若干の格差はあったが、夢やチャンスが確実にあったのだ。
本当の弱者は、富を相続しなかった者で、非常に不公平な課税状況になっているという事実から目をそむけず、真の国民主体の税制改革を成して貰いたいものである。
最後に、重要なポイントではあるが、とにかくシンプルな税制にすることが重要だろう。今のフロー側の税制は、様々な例外事項が補足が設けられており、複雑怪奇なものになっている。
更に、これは海外からも指摘される日本税制の最も悪い面であるが、税務職員による判断に任されている部分が広く、人によって判断が異なることだ。これでは、安心して経済活動が行えないばかりか、知らない者は損をする、といったことがまかり通ってしまう(現在は、まかり通っている)。正直者がばかを見る社会が税においては体現されてしまっているのだ。高額所得者が日本から逃げたくなる気持ちもわからないでもない。
実際、確定申告なども楽にはなったが、色々と申告書をつくってみるものの、何がどうなってこの納税額になっているのか、はっきり言ってよくわからない。複雑にして、いざという時に税金を取りやすくしているようにしか思えない。もっとシンプルにして、誰でも納税額が簡単にわかるようにしてしまえば、税収の予測も立てやすくなり、身の丈に合った予算編成も出来るようになるだろう。
支出(国家予算)も収入(税収)も、もっとシンプルにわかりやすく、国民が振りかえりやすいものに変え、きちんと義務教育の期間内に基本を教え、国民が自分の事として議論できる必要があるのである。
それこそが、真の公平性を担保する環境を作るものではないだろうか。
※ 第三章に続く
<日本国家改革論>
第一章 『国家のトップのあり方とは』
第三章 『地方自治(政治・行政)のあるべき姿とは』
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。現在は、大手監査法人にてメーカーを中心に、(グローバル)グループ経営の在り方などのビジネスアドバイザリーサービスを提供している。
※FRI公式ツイッター(筆者が主担当です)
※筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ~ビジネス・キャリア徒然草~」
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創設者 河合 拓
スタッフ 木原 工
副理事長 三島 正寛
スタッフ 宮崎 善輝
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