農政改革と地方再生を考える

今、格差、特に、地方と都市との格差が話題によくのぼっているが、他の課題同様、「格差」自体が悪い、と決め付けるのではなく、なぜ格差が起きるのか、その格差を解消するための打ち手(オプション)はあるのか、をきちんと検討した上で、解決方法を具体化していかなければ、単なる悪平等による国力の減衰を招きかねない。
そうなれば、今は一時的に良くなったとしても、10年と経たずしてそれは破綻し、取れたはずの解決手法も、ほとんどが手遅れになっていかねない。
そうならないためにも、敢えてこの課題に向かい合ってみようと思う。
【格差の要因は構造変化】
今更ではあるが、なぜ、地方と都市部との格差が生まれているかを、まず考えてみよう。
一言でいってしまうと、産業構造の変化による、と言える。
すなわち、農業から工業、そしてサービス業へと日本の主力産業が変化していき、更に、地方の主力であった農業・工業の大半が、海外の労働力に頼るようになった現在、地方の衰退は避けられないものであった。
また、その過程で都市部へ人口集約が進んだ結果、主力サービス業の供給者も消費者も、都市部に集まる結果となった。
もちろん、今後の情報化社会においても、この傾向が進展あるいは固定化するかは、打ち手によっては変化しうるが、現時点においては、地方の衰退と都市部への更なる集約は、産業構造の変化によって、確定的なものとなっている。
つまり、構造的な変化によるものであるから、この流れを変えるためには、更なる構造変化を起こすレベルものでなければ難しいだろう。小手先の表層的な「もぐら叩き」対策では、効果を出しえない。
例えば、今までのように、無目的に農道を整備したり、おもちゃのような農業空港を作ったりしても、何の解決もできず、結果的に金の無駄遣いに終わるということだ。その金額が、過去からの累計で何十兆円というレベルになっているのにも関わらず、何も事態が好転していないことが、ある意味、それを証明しているといえよう。
この流れを唯一阻む政治的判断は、道州制、しかも、中央は、軍事(自衛)と条約などの国家外交、道州間の調整機能のみを残す、本質的な権限委譲型道州制しかないだろう。
これが達成できれば、各地域が独自の経済発展を目指すことができ、かつ、ある程度の規模感で経済外交を行うことができるため、一定地域における地方の衰退は防ぐことができる。
理由は様々あるが、本質的な発展の原理はさておき、地方の衰退をより抑えやすい理由は、単純に言えば、かなりの規模で集約される各道州中央都市からの距離が、東京と比べると飛躍的に縮まる事で、中央都市からの波及効果が大きくなる事に加え、各道州内の地域を発展させる以外の選択肢がなくなる事で、全国一律などではなく、個別具体的に地元地域の発展を真剣に考え、その事で、ある程度の規模になった財源を元に、実現化しうる力が養われるからである。
中央官僚制度自体、明治時代の海外を真似て富国強兵を急ぐための仕組みであるので、それを維持している事自体、世界の変化に乗り遅れた「時代遅れ」そのものと言わざるを得ない。全国一律の多様性のない発展など、少なくとも私は望みたくない。やはり、各地域の特色が活かされなければ、本当の意味での発展とは呼べないのではなかろうか。
ただ、実際に分割するには、政治家(特に国会議員や都道府県レベルの議員)が今の立場を変える、あるいは捨てるという政治判断や、中央官庁が道州レベルに分割される事での権限の縮小など、その立場の人が受け入れがたいであろう難題が山のようにある以上、ここで語るべき解決策としては、実現可能性に薄いので、最も有効な手段ではあるのだが、敢えて、この議論は避けたい。
では、一体どのような選択肢が考えられるだろうか。
【地方の主力産業】
学校で習ったレベルで恐縮だが、地方における主力産業は、一部、工業地域を形成できているところを除けば、基本は、農業(もちろん、水産・畜産業もあるが)と観光、である。
特に、「衣食住」の一角を占め、安全安心や味にうるさい事もあり、「食」を担う農業は、まだまだ地方における主力産業である。そして、水資源を中心に、自然環境維持、という意味でも、近郊農業は別として、地方における農業は、やはり維持していく価値があるだろう。
つまり、地方の発展と農業政策は、やはり、切ってもきれない関係にある、という事だ。
しかし、今は、ある種、票田としての農村、そして、その見返りとしての「保護」という形になっており、本質的な意味での発展、すなわち自立的発展にはほど遠いと言える。
なぜなら、過去、日本の産業において、政府の保護を受けてまともな国際競争力を持ちえた産業は存在しないからである。これは、軍需産業を除き、先進各国においても同じ事が言えよう。フランスでも、あの有名なワイン産業自体、国の保護を受けて生き永らえていたが、一部のブランド地域を除き、気づけば、国際的な競争力を失ってしまっていたのである。
それが成り立ちえたのは、唯一、明治時代から大正時代にかけての一時期である。少なくとも、高度成長期以降では、決してありえない。今の日本を支える自動車を筆頭とする産業は、その成長段階において、一切の国家的保護を受けていない。その環境こそが、国際的に通用する企業を育てあげたのである。
同じく、農業についても、改めて発展させるには、国際競争に自立的に勝ちうる力を養うことから始めなければならない。
単なる過剰生産の買い取りや農産物の価格維持、一律の補助金交付などは、衰退を引き延ばし、事態を悪化させることにしか繋がらない。衰退し始めたら、大きな改革が必要である合図だからである。
つまり、農業を一産業としての視点を持って、どう再構築するかを考えなくてはならない、という事だ。
これはまさに、産業再生、といえよう。
【農業の産業化】
農業を、一産業、としてみなすとは、一体どういう事だろうか。
それは、一言でいえば、「総個人農業からの脱却」に他ならない。
産業とは、「利益=売上-コスト」でシンプルに見ることができる、という特徴がある。
現在の農業もそうであるはずなのだが、実際には、補助金やら何やらで、かなり流通構造も歪んでおり、なかなかシンプルで見られないばかりか、その構造の歪みから、将来が不安だ、という事で、継ぎ手がいない、という、それ以前の状況になってしまっているのが実情だ。
それを打破するためには、競争力、すなわち「利益創出力」を持った産業にしなくてはならない。
そう考えれば、(コスト以上に)売上を上げるか、コストを下げるしか、方法はない。
実際、海外においては、徹底した大規模化と機械化により、コスト削減を行い、それなりの味を備えた米を、日本のコストの10分の1から100分の1で作れるようになっている。
そう、日本も同じ道を選択するとするならば、ひとつは大規模化(&機械化)である。
ただ、大規模化や機械化は、個人農家では難しい。戦後、大規模な農地を保ちえた豪農を除けば、土地を買い取ったり、借りたり、機械化を進めうる資金力はないに等しい。
それを可能とするのは、農業生産法人であり、それに絡む様々な権利関係の整理・簡素化であろう。
現時点における農業生産法人は、規模の面でまだまだ小規模であることが多く、資金力もそれほど高いとは言えず、本来の農地集約による大規模化から得られるコストダウンと利益率の向上、という利点は得られていない。まだまだ経営が厳しいところも多い。
ただ、農地関連の権利を集約可能であるため、唯一の可能性としての価値は非常に高いだろう。
だからこそ、更なる大規模化のための資金力の安定化と生産技術向上のための支援は欠かせない。
具体的には、土地取引税や固定資産税、機械化減税など税制面での支援や、各種行政手続の簡素化、規制の緩和、道路等の柔軟な変更対応、長期低利融資など、大規模化や機械化に向けた一貫性のある支援が考えられよう。
徹底した農業生産法人の育成は、保護や援助とは違う、あくまで競争力を高めるための支援を行っていくべきだろう。
また、もう一方の売上向上策であるが、やはり、徹底したマーケティングと生産技術の飛躍的向上により、若干季節を前後するような農作物の計画的栽培(ちょうと、価格が安くなるところ以外で出荷する)や、高付加価値商品の栽培、安定供給先の開拓などがあげられよう。
これは、既存の流通網に頼るだけでは難しいだろうから、一定規模からは、流通開発を担うコストを負担する必要が出てくる可能性が高いが、それでも、直販一括体制でなければ、本質的な収益改善は見込みづらくなる。
このような取り組みをノウハウ面から支援する事も欠かせない。
例えば、各地のベテラン農家を農業指導員として、行政支援のもとで派遣する事や商談会、都内の一時レンタルオフィスなどによるルート開発支援なども考えられる。
売上(利益)向上策については、大規模化が難しい地理的要因を抱えた場所でも可能である。
日本の国土は、平坦な地域面積割合が低いのであるが、それぞれの地域にあった高付加価値化を徹底すれば、大規模化によるコスト削減だけに頼らなくとも、対応策はかなり検討できるだろう。
但し、大規模化と融和性の高い農作物は、やはり不利であるので、できれば同じ資本を元に多様化する過程での進出が望ましいと言えよう。
【農業の育成は農地の価値を向上させる】
また、こういった仕組みが動き始めれば、もうひとつ、大きな意味が見出せる。
それは、「農地自体の価値向上」である。
今はかなり一般化した「収益還元法による不動産価値の決定」方法であるが、これを用いれば、農業が産業として、高い収益率を誇れば誇るほど、農地の価値が向上する事に直結する。
つまり、後の継ぎ手がいない農家が、定期借地権のような手法や売却によって、荒廃させるしかなかった農地を、農地として存続させながら、その対価を得ていくことが可能となるのである。
自分用の一部農地以外を、そのような法人に貸与・売却することで、双方が利益を得られる形を実現できる。
そのままでは、農地として、全く無価値になる可能性もあるのに、農業を産業として再構築することで、既存の農業従事者に、その対価を公平に渡すことが可能となるのだ。
これこそが、真っ当かつ心理的にも受け入れられうる対応策ではないだろうか。
効果が出るのかわからない○○整備事業のようなものよりも、結果的に、産業として発展することで、様々な整備も進むし、若い労働人口の拡充も可能となるだろう。
つまりは、法人による農業運営によって、工場誘致に頼らない就業機会の提供も可能となるのである。
そして、何よりも大切なのは、これらが自立的に行われうる、という事であろう。
もちろん、法人における農業技術の高度化や機械化、大規模化については、優遇税制など適切な支援は必要だ。しかしながら、その先に見えるのは、自立的な発展への道と、それを起点とする地方再生の絵だ。
豊かな農地に守られた地方は、都市部住民にとってのオアシスにもなりうる。そして、そんな場所で、しっかりとした収入が得られる仕組みがあれば、そこに人も集まるだろう。
差というものは、つけるところにはつけ、つけないところにはつけない。そして、既得権益として固定化させない事が、最も大切である。それが全ての基本であろう。
そのような未来を描くためにどうすべきか。
これらの実現は非常に難しいのは事実である。カバーしきれない人達に対するセーフティーネットなども準備しなければならないだろう。
しかし、今こそ、真剣に考えるタイミングに我々はいるのではないだろうか。
課題を課題として正しく認識し、そして、何を守り、何を変えるべきなのかを議論しなくては、結果的に、何も変わらない。
環境に合わせて変わっていかなければ、全体が衰退していく可能性が日々高くなっていくのである。
それを見過ごして将来にこれ以上の負債を渡すのは、もはや、許されないだろう。我々は既に、これから生まれてくる子供達にも、一人あたり一千万円近くの借金を背負わせているのだから。
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◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates代表理事。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけ、その後、自らの関わり方に疑問を持ちベンチャー企業に転進。経験を活かし、経営企画・事業企画・商品企画・営業企画など様々な企画業務や、50名規模のライン管理職、業務・会計・人事などの各種改革業務などを担い、業績拡大を支える。また、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングに責任者として従事する。実践的なアプローチにより実績多数。
現在はIT系投資育成企業にて、子会社の事業企画や経営改革、大手企業の機構改革などにあたる。
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アドバイザー 河合 拓
スタッフ 木原 工
副理事長 三島 正寛
スタッフ 宮崎 善輝

この記事へのコメント (4件)
お世話様です。いつも楽しく拝見させて頂いてます。今回も熱意が伝わる興味深い文でした。「権限委譲型道州制」に関して色々考える所はありますが大筋同意します。農業の産業化に関しても特に異論はないのですが、国際的な競争力の点からは限界がある為、予算の地方への分配にしかならないのかなぁと思います。観光以外で地方に外貨を稼ぐ方法は無いものでしょうかね。
「しかし、今こそ、真剣に考えるタイミングに我々はいるのではないだろうか。」本当にその通りだと思います。イニシアティブを取れる若手の育成がんばってください。
「差というものは、つけるところにはつけ、つけないところにはつけない。そして、既得権益として固定化させない事が、最も大切である。それが全ての基本であろう。」この文書はとても清水さん的でいいですね。
投稿者: MY | 投稿日時:2007年10月09日 07:18
いつもありがとうございます。
農業に関しては指摘の通り、国際競争力には限界があります。ただ、国内や近隣諸国に対しては、ブランドや輸送コストなどで、ある程度は維持しうると考えています。実際どうかは別として、私も含めて、やはり国産の響きは魅力的です。
外貨獲得に関しては、産業における、あるいは、その産業内における役割分担だと考えます。全ての産業が外貨を獲得する必要はなく、国内限定のものと国際的なものとが、高いレベルで調和する時に、国力は増し、生活者の暮らしは豊か(金銭以外の満足感も含め)になるのでしょう。行政の富の分配機能は、未来への投資であるはずで、現在の格差を穴埋めするためのものではありません。そこをはき違えないようにすれば、私は分配でも良いと考えます。
私が「権限委譲型道州制」を推す最大の理由は、中央行政への競争環境の導入です。中央官僚が旧態然としているのは、それが環境的に許されてしまうからです(本質的にではなく表面的に)。地域に分かれれば、「A州は○○という施策を展開しているのに、うちの州はどうなっているんだ!」と具体的に指摘されるようになりますし、生活者も比較対象を持てるので、議論もしやすくなるでしょう。それだけで、行政はかなり良くなると思います。
競争が格差を生む、という最近の議論には私は否定的です。競争によって変化が生じ、それが補正されるまでの間、若干の格差はタイムラグによって生まれます。しかし、競争の良いところは、それが補正されていく、という側面を持つからです。ところが、既得権は、なかなか目にする事がないために気付いていないだけで、過去の日本はかなりの格差社会です。政治で二世議員が活躍しているのが、その代表格でしょう。しかも、大抵、実家は豪邸で地域の名士、というのがパターンです。これこそ格差以外の何者でもありません。
後世に何を残すのか。今だけを見るのではなく、多くの人が後世を考えられる社会になるよう、これからも頑張っていきたいと思います。
投稿者: 代表理事 清水 知輝 | 投稿日時:2007年10月13日 02:57
とても丁寧なコメントありがとうございます。勉強させてもらいました。「後世に何を残すのか。今だけを見るのではなく、多くの人が後世を考えられる社会になるよう、これからも頑張っていきたいと思います。」これは結局、過去の人が何を残してくれて、そしてこれから現在の私たちが何を変えて何を温存する必要があるのか、取捨選択する事ですね。以前リーダーシップの事でで清水さんが述べておられた日本に苦手な決断のひとつですね。このテーマでハンナ・アレントの「過去と未来の間」とセオドア・ゼルディンの「悩む人間の物語」はとてもお勧めです。是非ご一読ください。
投稿者: MY | 投稿日時:2007年10月16日 00:45
いつもありがとうございます。
ご指摘どおり、物事を切り分けて考える、優先順位をつけて対応する、やらない事を決める、というような思考プロセスは苦手な人が多いように感じます。
「悩む人間の物語」はちょうど読んでいるところです。なかなか分厚くて手ごわいですが。何か良いアイデアをつかめるよう、お薦めの本を読ませていただきます。
投稿者: 代表理事 清水 知輝 | 投稿日時:2007年10月20日 23:31