「エコ」の見方

あなたの「エコ」は、環境にとって本当に意味のあるものだろうか?
「イメージ」に隠されている本当の「エコ」の姿を、観ていこうかと思う。
テレビのスイッチをひねると、さまざまな企業のCMが流れ、さわやかなタレントが「エコ」を連呼している。
雑誌を開けば「エコ」を取り扱った特集が企画され、WEBには「エコ」を題材とした論考が目立つ。「エコ」はちょっとしたブームである。
日本でも封切られて暫く過ぎたが、米国のゴア元副大統領の映画『不都合な真実』も、そのブームに対して一役を買っている。内容的には今に始まったことではなく、10数年前から変わっていないのだが、あのようなわかりやすい形で視覚に訴えられたことは理解を促すためには有効である。
徐々ではあるが、地球環境のために何かしなければ、という認識が醸成されてきたと思う。
しかしながら、まだまだ「エコ」という「イメージ」ばかりが先行しており、「エコ」という名を冠せばなんでもかんでも良い物だ、という思い込みがあるような気がしてならない。本当に有効な環境対策を考えていくために、「エコ」という行為を「イメージ」だけではなく、「収支」、「ものの流れ」「効果」という切り口をもって見ていこうと思う。
【収支で観てみる】
たとえば、車の世界でエコロジーの代名詞ともいえる、TOYOTAのプリウスを見てみよう。
ガソリンエンジンと電気モーターのハイブリッドで世界に誇る日本の環境技術を満載した車である。
1500ccの排気量にもかかわらず燃費は35.5km/l(10・15モード)を誇り、私が所有している1200ccのバイクなんぞより圧倒的に燃費がよい。比べる相手も悪いが、走行した距離に対して排出する有害物質の排出量は確かに低減されそうだ。
では、走行時ではなく製造過程を見てみよう。
実は、プリウスは普通のガソリン車に比べて環境に対する負荷が高いのだ。環境に良いと思いきや、その全く反対なのである。
ハイブリット機能を支える高性能部品の製造は、ガソリン車と比べより多くの生産エネルギーを必要とし、より多くの有害物質を使用することとなる。もちろん、廃棄時にも使用している有害物質が廃棄されることとなる。
また、特に新プリウスは軽量化のためにアルミを多用している。
ご存知のとおり、アルミの精錬には大量の電力が必要とするものである。日本の電力生産は主に火力や原子力で発電されている。火力であれば発電時に当然CO2が発生し、原子力であればより深刻な廃棄物を残すことになる。
仮にCO2のみに話を限定しても、製造過程で通常より多く排出されたCO2を走行時の排出削減量で差し引きゼロになるのは暫く掛かる。新車で購入したプリウスを走行距離が少ないまま売却した場合、その個人の収支で見ると返って環境負荷が高い行為をしているともいえるのである。
私は、プリウスを批判したいがために言っているのではない。
私が一番危惧していることは、「エコ」をやっています、ということが心理的な免罪符として作用し、それ以上の追究を止め、想像力を働かせなくしてしまうことである。
一見、よいと思っていることが、実は単なるイメージでしかなく、かえって当初の意図していた目的とは反対の結果を招いてしまうことだってあるということだ。
「イメージ」という思い込みを常に「疑う」ことの重要性を言っているのだ。
問題を根本的ないし構造的に取り扱っていかないと、単純に問題を横に移動させただけになってしまうのである。
物事はありとあらゆることがつながっているのだ。自分の目の届く領域の問題を解決すればいいのではなく、つながりやものの流れの中で考えていく必要がある。
さて、次はそのつながりやものの流れで「エコ」を観てみよう。
【ものの流れで観てみる】
世界的な「エコ」に対する関心の高まりが、日本の町の小さな豆腐屋を営む高齢者の生活を脅かしている、という事実をご存知であろうか。
これは、風が吹けば桶屋が儲かるという話ではない。
以下にざっと流れを見てみよう。
・昨今の石油価格高騰が、代替エネルギーに対する関心を高めている。
・代替エネルギーの筆頭である、バイオエタノールの需要が増加。
・主な原料のトウモロコシの需要が増え、価格が上昇。
・商社がトウモロコシの在庫を増やし、生産能力以下に市場の流通量を絞る。
・トウモロコシは儲かると認知され、投機的な買い集中、価格をさらに押し上げる。
・農家が大豆や小麦の作付面積を減らし、高く売れるトウモロコシを増やす。
・大豆や小麦の流通量が減り、それらの価格が上昇。
・近所付き合いで成り立っている、町の豆腐店はおいそれと値上げを出来ず収益を圧迫。
前年比トウモロコシ約1.5倍、小麦や大豆は約1.3倍も上昇しているのだそうだ。※2007年4月前年比
これらの穀物価格の高騰は、たしかに一時期的に市場の需要供給のバランスが崩れているだけのことかもしれない。しかし、この現象からもう一つみえてくるものがある。
小売 - メーカー - 商社 - 農家間のパワーバランスの変化である。
いままで、農家は選別される側の立場だったのだが、徐々に選択する側に立つようになってきたのだ。
農家が他の作物を作ると宣言すると、それを当てにしていた商社やメーカーは恐れおののいてしまうわけである。
世界的な人口増加は予想以上に進み、一地域にとどまらない食糧不足の問題が出てくるだろう。
さらに、地球温暖化の影響により、気候の変換が急激に起こってくると予想される。
豊かな穀倉地域が、今まで体験してこなかった干ばつや台風などに異常気象に見舞われ、今までどおりに生産量が不安定になってくるだろう。
その際に、一番力を持つプレイヤーは、農作物を安定的に供給(生産ないし流通)できるところであろう。
一方では、石油メジャーから食料メジャーに世界の覇権が移っていくという見方もあるが、決定的に異なる要素がある。
それは生産者が意思決定を出来ることである。
油田が生産するものは原油のみであり、意思決定は生産量の調整のみであるが、農家は市場をにらみながら、今年はトウモロコシ、来年は大豆にすると、作付け作物の意思決定が出来るのである。
あくまでも作付け作物は市場に支配されるため、買い取る側はそれを操作することができないのである、ここが決定的に違う。
付き合う相手を選ぶ選択権は、徐々に商社ではなく生産者のほうにシフトしていくのである。
昨今の食料価格の上昇は、世界的経済構造の変化の序章なのかもしれない。
さて、次は「エコ」のイメージの裏側を観てみよう。
【イメージの裏側を見てみる】
日本の広告代理店はえらいと思う。
社会に対して新たなコンセプトを提示し、ブームを意図的に醸成することが出来ているからである。その効果のほどは、人により異論はあろうが、一定の役目を果たしていると私は思う。エコに敏感な人たちが実践している、MYバック、MY箸、クールビズ、ふろしき、などこれらはすべからく広告代理店が関わっている。
将来、地球が温暖化して住めなくなるのはいやだ、でも今、車もエアコンも使わずガスも電気もない生活を送るのはもっといやだ、と思っている人が大半であろう。
そういった人たちに、ちょっとした罪滅ぼし的な安堵感と、環境にも気を使っている私はエライという優越感を、提供することが出来るのだ。
マズローの要求段階説の上位に位置する「自我の要求」の欲求を巧みに刺激してくる。
消費者も喜んでそれを受け入れるのだ。
それはそれでいいのだが、一方ではその効用はいかほどのものであろうか。ふと疑問に思う。果たして、消費者はその効果を意識して行っているのだろうか。
たとえば、MYバックを見てみよう。
今年1月にイオンが京都で実験的にレジ袋の有料化を行った。
客離れもせず約80%のお客がMYバックを持参するようになった。事前にお客への説明と理解を積極的に行ったことが功を奏したようだ。イオンはこの成功を足がかりに全国展開し、2010年までには現在の半数である8億4000万枚削減を目指しているそうだ。
では、目の敵にされているレジ袋が日本の原油消費量のうち、どれぐらいを占めているか正確に答えることが出来る人は果たしてどれぐらいいるであろうか。
現在、日本においては年間305億枚のレジ袋を使用し、その製造に約55.8万klの原油を使用している。日本の年間原油輸入量は約24千万kl(※2002年度)である。輸入量に対してレジ袋の消費量はわずか約0.23%ほどである。この数値を多いと感じるか少ないと感じるかは人によると思う。
たとえイオンが目標を達成したところで、日本のレジ袋の約2.7%を占め、日本の原油輸入量に対しては、約0.006%を占めているに過ぎないのだ。
やらないよりは少しでもやったほうがよい、確かにそうかもしれないのだが。
レジ袋削減は、他の環境問題と比べて比較的とっつきやすいものかもしれない。しかし、その効果は高いのかといわれると、数字を見る限り疑問を持ってしまう。もっと他に、優先して解決すべきものがあるのではなかろうかと思う。
MYバックは、環境に対する意識を喚起するための旗印としての役目を果たすことは出来ても、根本的な環境問題の打開策にはなりえないのである。
目の前に問題があるからといって、問題をオセロのごとくパタンとひっくり返し、解決策にする、というような単純なものでは解決できない。
「環境のため」などと、一見して美しく反論できない言葉で語られる問題に対して表層だけを捉え、「善」と判断してしまうことは危険である。
物事には必ず、「正」と「負」の側面がある。その両面を意識して観ようとしなければ問題の本質はわからないのである。
さて、「エコ」というものを観てきた。
イメージで語られるものを、目に見える数字や事象の流れで観てみると、また違った側面が見えてくることであろう。
私は決して環境保護に反対してるのではないのだが、一つの見方として何かの参考にしてもらえればと思う。
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アドバイザー 河合 拓
スタッフ 木原 工
副理事長 三島 正寛
理事長 清水 知輝

この記事へのコメント (3件)
本日、息子から聞いた話です
息子が、書き込みすると一番説得力が、有ると思うのですが、仕事が忙しくて毎日、かなりの残業だそうです
5月3日に帰宅予定です
その時に直に対談し、また、その内容も私は知りたいです
一番の地球の温暖化を進めているのは、私達動物が吐き出している『メタンガス』だと地下に埋まっているメタンガスが噴出したら、CO2どころの騒ぎでは収まらない事態に成るそうです
人類壊滅か?
恐竜の生きていた時代の重力は今よりの少なかった。だから巨大化した生物が生存出来たと
また、巨大な氷が地球に衝突した事で、氷河期が訪れたと
どんなに,エコを叫んでも、CO2削減などと言っても、追いつかない事態が有ると話していました
どう思いますか
投稿者: 小鉄 | 投稿日時:2008年04月27日 19:56
へスパーの勉強をしていた時に、マズローの法則を習いました
底辺が生理的要求・安全・安定,その上に、集団所属・愛、その上に、自尊心・他者による尊敬、その上に、自己実現
今の世の中では、底辺さえも築けないで居る人が多すぎます
成人としての内容が伴なって居ない人
職場でも、家庭でも朝日新聞の記事に『企業をだめにする危険部位、保身に走る役員、見解の無い局長、ポチ部長、ヒラメ課長,危険部位が社長で有る事が多し』と
こんな社会で、地球温暖化を防げるのでしょうか
私も、家庭の考えを会社に持ち込むなと、社員に注意された
会社も家庭も根本は同じだと思うのは浅はかですか
どんな事からでも、まず取り組むべきでしょう
偉そうな事を言う人にか限って実践しないものね
善輝さん、自己中心的な人民を導く人が必要ですよ
頑張って下さいね
投稿者: 小鉄 | 投稿日時:2008年06月05日 14:49
意識の違いを痛感
どんなに叫んでも、一度便利な生活に馴染んでしまった人々は、簡単には治らない。毎日、生活していて、毎日の事なのだから、皆が目覚めたら凄い力になるのに
格差社会だから、どんどん生きていくのが難しい人が増えるよね
悲惨な事件も増えている
何処かで、小さくても声を上げる事、実践し続ける事、諦めない事が大切です
頑張ってください
私も、職場で無駄の事や、主婦から見たら可笑しい事を、どんどん発言しています。でも駄目だしされ続けています
本社の力が強すぎて、格店舗では、実践出来ない現状
現場を知らない人材が、机上で決め付けて来る
変な仕組みだよ
ガンバ!ファイト!
投稿者: 小鉄 | 投稿日時:2008年06月05日 14:49