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   <title>FRIコラム</title>
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   <title>日本国家改革論 第三章『地方自治（政治・行政）のあるべき姿とは』</title>
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   <published>2011-04-23T23:01:23Z</published>
   <updated>2011-05-26T16:02:01Z</updated>
   
   <summary>『第三章：地方自治（政治・行政）のあるべき姿とは』 　 前章では、財政基盤の構造改革のために、収入と支出の双方からのアプローチで検討を進めた...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="Current Topics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      <![CDATA[<strong>『第三章：地方自治（政治・行政）のあるべき姿とは』</strong>
　
前章では、財政基盤の構造改革のために、収入と支出の双方からのアプローチで検討を進めた。特に、今までは成長を前提とする発展型国家の税制だったのを、低成長や現状維持を前提とする先進国家型の税制と国家予算のあり方について論じた。
第三章では、行き詰まった中央集権国家の次のあり方として、地方分権があるが、今の中央集権を前提とした地方自治ではなく、地方がリードするため、地域住民により身近な立場にある地方自治のあり方について考えていきたい。

]]>
      <![CDATA[　
<strong>【地方政治改革】</strong>
　
今回の地方統一選挙において、大阪府と大阪市、堺市では、橋本大阪府知事の率いる大阪維新の会が大躍進を果たした。
また、愛知県及び名古屋においても、首長が同一の方向性（実際の方法は少し異なる）で選ばれており、議会においても、大阪ほどではないものの、議席数を伸ばしている。
現職優位の選挙戦と考えると、これは、市民の意識が明確に変わってきていると考えた方が良いだろう。
　
ちなみに、都知事選は四選してしまったが（個人の資質も課題はあるが、それよりも四選は組織硬直化を招き悪影響の方が大きくなるだろう）、これは、日本における東京という表面上の恵まれたポジションを維持したい、という後ろ向きの結果だと考える。
しかし、現状維持を行うには、ある程度の改革は常時必要であり、東京はしばらく停滞するリスクが高いと言える。私個人としては、東京一極集中を改善する日本にとっての好機だと考えている。
　
話を戻すと、マスコミは「民主党敗北」を連呼していたが、どちらかと言うと、既存政党全体が負け、新たな改革政党が勝利した、という絵の方が正しいと言える。
自民党は長年の歴史による厚みがあり、また、公明党はバックの宗教組織の強さが群を抜いているため、既存政党の中では現状維持出来たが、他は軒並み議席を奪われている（そういう意味では、共産党も少数ながらも頑張ったのではないかと思う）。見方を見誤ると、今の動きは正確につかめない。
正直、国のあり方や方向性を決めて、世界におけるポジションを考える国政と、身近な地方行政サービスを考える地方政治は、求めるものが違ってきているのではないだろうか。そこに、国政と同じ政党政治を持ちこむのは、ややずれを感じているのではないだろうか。
極論を言えば、自民党や民主党ではなく、内容は別としても、子育て党や老人党くらいやりたい事がわかりやすい党があっても良いように思える。国政に左右されることなく、掲げた理念をもとに地方行政サービスの改革改善にまい進して欲しい、という意識が、今回の選挙で表れてきたのではないだろうか。
既存政党がどうか、ではなくて、自分達の地域がどうなったら良いか、という観点で地方選挙は投票する。決して、自民党が良いから、民主党が良いから、等と言う軸ではない。もちろん、政党を意識しない訳ではないが、それは、自分達の地域にどういう考え方の人がいたら良いか、という観点の一つとして政党を見るだけなのだ。
もっと個々人が、わかりやすくはっきりした方向性を打ち出していけば、既存政党とは関係なくなっていくのではないだろうか。それまでは、地域政党にはもっと頑張って貰いたいものである。
　
<strong>【地域住民の地方政治への直接参加】</strong>
　
そのような観点で言えば、私はもっと地域住民が地方政治に参画すべきだと考えている。
大阪都構想で橋本府知事が、「区議会はボランティアで」という話が出て、一部からは強い反発を受けていたが、私は他の先進国を見ても、的外れなことを言っていないと思う。実際に、地域住民として生活している一般市民の声を適切に入れていくには、代理人たる職業政治家ではなく、当事者本人が入る方が良い。イギリス、ドイツ、フランス、アメリカなども地方議員は本業を持っていないと食べていけない給与額だし、スイスなどは無報酬だ。大きい政府の代表格である北欧スウェーデンですら、兼業が普通である。
　
例えば、議会のうち、一定少数を職業政治家枠とし、多数を地域住民ボランティアとする。議会には、課題を取り扱う「○○委員会」というものを設置するのだが、その委員長を職業政治家が担い、決定事項の遂行管理と報告を責務とする。他の委員には地域住民ボランティア議員が担い、決定は多数決としておき、可能な限り民意を反映させる、という役割分担だ。
そうなると、委員会は平日の夜か週末に開催されることになり、一般市民の傍聴もし易くなる。更に、傍聴者参加型委員会、などをやっても良いだろう。あるいは、傍聴者に発言権を与えても良い。最近、タウンミーティングがよく開催されているが、意見を集める場と議論の場を分ける必然性はなく、その場で傍聴参加者に意見を求めながらも、委員会で議論を行って方向性を出す、というやり方が規模によってはあっても良い。
　
現在の職業政治家（100%を政治家としての仕事にあてる）の問題は、今、社会で活躍している人が参画しにくい、という点が挙げられる。また、それが生活の糧になってしまいがちで、職を確保することを優先してしまいがちとなる。
例えば、企業に入って活躍したり、社長業をやっている人、看護師などの専門職で汗を流している人達が、わざわざ自らの職を投げ打って、通るかもわからない選挙に臨むだろうか。相当の思い入れがあるか、たまたまやることが途切れてしまったか、政党から政党スタッフや議員秘書などの保証を受けている人に限られる。
誰でも政治家にはなれるが故に、最適な人がなる訳ではない、という逆説的な構造になってしまっているのだ。
あるいは、世界水準に比べて日本は議員定数が多く（国政も地方議会も）、給与や支給される経費額も高いのだが、これらの引き下げは職を不安定化させるので、増やす方に容易に傾きがちだ。その成果が今の状況を生んでいるのであるが、このように職業政治家に頼る政治は、今の社会においては悪い側面の方が強く出がちである。
　
そこで、ここにもし、ボランティア議員を導入するとどうなるか。
まず、実際に第一線で活躍している人で意識の高い人を、地方政治・行政に取り込める。能力的にも経験的にもより充足している人を投入可能となるため、地方政治・行政は劇的に良くなる可能性が出てくる。政党の顔色を伺いながら議論をする、という本末転倒な議会運営から一歩引くことも可能となる。
次に、定数を更に増やし、抜け漏れのない議論が可能となる。地方政治の課題として、簡単に議員定数を増やせない、という問題がある。これは、一人当たりの人件費が調査費等を含むと、数千万円かかるからだ。ボランティア議員であれば、議会や委員会に参加するための必要経費・諸手当のみとなる。仕事をしていれば、政務調査費を使って海外旅行、などのような無駄遣いをする時間的余裕もなくなる。そう考えれば、議論する場を一気に増やすことができ、課題が積み上がったままに終わるケースも減ってくる。
追加的に、現状の議席数の多くをボランティア議員に置き換えられれば、地方政治（行政）コストを削減できる。行政機関に対する見方も厳しくなり、浮世離れしたコスト感覚も是正効果が見込める。ただ、ニューヨークですら地方議会は定員が50名程度であり、日本は国政含めてとにかく議員数が多く、まともに議論が出来なくなっている面もあるため、定数について注意は必要である。
第三に、職業政治家と違って、ボランティア議員は食べるための職を他に持っているため、次の当選を意識せずに、あるべき議論を出来るようになる。どうしても、職業政治家は、その職自体が食いぶちとなるため、有権者が少しでも嫌がることは、本来やるべきことであっても避けがちで、お手盛り行政を地方自治体と一緒に推進し、結果的に地方財政は火の車になりがちだ。それを仕組み的に防ぐことが可能となろう。
　
最後に、この制度は、より多くの人に政治への入り口を提供できる。ボランティア議員出身の首相や大統領が出てくれば、日本の政治は大きく変わっていくのではないかと、私は直観的にもそう感じるが、皆さんはいかがだろうか。こういったステップが明示されれば、それぞれの現場の第一線で活躍する人の中で、職業政治家に踏み出す人も増えるかもしれない。
政治が、より身近な地域住民の手に戻るのであれば、それこそが最も重要な成果と言えるだろう。
　
<strong>【行政単位の見直し】</strong>
　
都道府県は、導入部でも触れたように、明治に行われた廃藩置県（今の都道府県とほぼ同形は調整を重ねて明治22年に固まる）以来、その行政単位は変わっていない。
しかし、当時の設定は、国としてほぼ独立していた藩や住民に配慮した上で、最低限、財政面で維持でき、紙ベースで事務手続きができる規模、という基準で行われており、今とは環境も大きくことなる。当然、それをこれだけの期間、踏襲するだけで良いはずがない。
例えば、農業などの第一次産業が主要産業だった当時と今とでは、地域産業政策を実行する予算規模は全くことなる。社会資本も同じくだ。そう考えた場合、今の道府県規模では、経済規模として十分とは言えない（都だけは十分あるが）。いわゆる道州制を早急に導入し、日本を、カナダやマレーシア、台湾、オーストラリアくらいの２～３千万の規模のエリアに分けるのである。そうなれば、ある意味、独自の経済発展が可能な国として行政が行える。そこに、ほとんどの徴税権と行政事務を渡し、地域の独自運用を認める。
これこそが、道州制の基本的な考え方だ。こうなれば、各道州が真に特色のある発展が可能となるし、十分にそれだけの規模感を有している（前述の国家と同じ規模である）。
　
また、今回の震災を機に、東京一極集中に関する問題も取り上げられるようになった。
地震が直撃している訳でもないのに、都内は多大な混乱に陥った。そして、今でもその影響は続いている。
そう考えれば、直下型でなくとも、より近い地域で大規模な地震が起きたら、都市機能がしばらく停止してしまいかねない。そして、あれだけの地域に日本の全人口の１割以上が住んでいる上に、急激な高齢化に見舞われている。今や東京は、とても災害に弱い街になっているのである。
道州制を取り入れれば、必然的に行政機構と政治機構が地方に分散される。もちろん、国にも多くの機能は残るが、ほとんどの公共事業や行政サービス、経済対策、教育など、住民サービスに関わる部分は地方へ移管される。そうなれば、自然と中央に残る行政機能は減り、そこと取引のある企業は各地の拠点へと分散する。東京都の中心部は、引き続き経済機能の多くを持ち、土地や人件費は簡単に下がらないため、リスク回避の観点からも本社機能を道州都に移す企業も出てくるだろう。それに伴って、サービス系の企業も東京一極集中は減る。基本、顧客が多くいるところに企業が集まるからだ。
道州単独で世界レベルでは国単位の予算を持てるので、各地方独自の特色を出して発展させることも可能となろう。
　
また、徴税権（税金を集める権利・機能）は原則地方に置く。そして、国には地方から上納金の形で税を分配するのだ。いわゆるドイツ方式である。今は国が地方に配分する逆の流れであるが、本当の地方分権は、国に地方が協力し国のサービスの対価として負担を担う、という形こそ、本当の地方分権の基盤となる。
そして、今の税務署と都道府県・市税事務所のような事務の重複構造は撤廃し、道州単位で徴税機構を設け、徴税コストを下げる。税務署に行って、更に都税事務所に行く、などという無駄もなくなる。
当然ながら、システムは道州間で共通化させる。難しければ、道州内は全て同じ住民サービスシステムとし、全ての住民サービスがどこにいても同じように受けられるようにする。引越手続きも、同一道州内なら転入転出手続きは不要で、住所変更だけでＯＫだ。あらゆる住民サービスに必要な情報が引き継がれる。
システムを共通化すれば、無駄なシステムコストを道州内で大幅に削減できる。現在は、都道府県単位、市区町村単位で異なるシステムを持っているのだから、無駄以外の何物でもない。同じにしてコストを削減すれば、財政基盤の立て直しに寄与できるだろう。
　
道州制の議論は様々出ているが、大切なことは、地方が第一としてあり、国が第二としてある、という構造転換である。国が第一にある中央集権型では、多様性を前提とするこれからの国際社会では生き抜けない。
行政単位の見直しは、現在の都道府県・市区町村を見直すだけでなく、その構造自体を見直すことが重要なのである。
　
　
最後に、私は特に支持政党を持つ訳でもないし、政治に打って出ようと思っている訳でもない。個人的に資産（大半は借金だが…）も持っており、提言通りに実行されたら、たぶん今より多く納税する可能性が高い。
なので、自分の損得とは関係なく、あくまでこれは純粋な「提言」である。
しかし、明治維新がなされた時のように、こうやって政治を仕組みとして考え、より適切な形は何かと、具体的に議論することこそが、政治をより良くするための土台作りの方法であり、ある意味、考えれば誰でも出来ることであると、私は考えている。
やれ民主が良い、自民が良い、などと言っていては、政治の政局化を進め、衆寓政治に堕ちることに加担しているに過ぎない。
個々の議論において、何が良くて何を改善すべきなのか、そのような視点を養うことが、本質的な市民の政治参加の第一歩なのだと考えるのである。
この提言が、皆さんの議論のたたき台になれば幸いである。是非、政治について、具体的に仕組みを語って貰いたい。今必要なことは、投票に行くことと、政治を具体的に語ることなのだから。
　
　
<strong>＜日本国家改革論＞</strong>
<a href="http://www.fri-associates.com/blog/current_topics/000380.html">第一章　『国家のトップのあり方とは』</a>
<a href="http://www.fri-associates.com/blog/current_topics/000381.html">第二章　『国家財政基盤の構造改革におけるポイントとは』</a>
　
　
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。現在は、大手監査法人にてメーカーを中心に、（グローバル）グループ経営の在り方などのビジネスアドバイザリーサービスを提供している。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
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   <title>日本国家改革論 第二章『国家財政基盤の構造改革におけるポイントとは』</title>
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   <published>2011-04-20T13:51:47Z</published>
   <updated>2011-05-26T16:02:53Z</updated>
   
   <summary>『第二章：国家財政基盤の構造改革におけるポイントとは』 　 前章では、国家のトップのあり方について、如何に戦略を考え実行できる環境が重要か、...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="Current Topics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      <![CDATA[<strong>『第二章：国家財政基盤の構造改革におけるポイントとは』</strong>
　
前章では、国家のトップのあり方について、如何に戦略を考え実行できる環境が重要か、また、それを実現する方法は、今の議員内閣制では難しいことを述べた。
今回は、物言わぬ今の子供達や未来の人達に借金を押し付け、問題を直視しない国家の財政基盤をどの様に改善するのかについて、支出である国家予算と、収入である税制について、それぞれ考えていきたい。
]]>
      <![CDATA[　
国家財政はよく、破綻しているしていない、という話で語られがちだが、本来の話を言えば、トップが考えた戦略を実行をする際に、自由に使える幅が一定以上なければ実現し得ないため、常に一定の余力を持っておく必要がある、というレベルで語られなければならない。赤黒ギリギリの会社が、次の大きな一手をうつ事が難しいように、ギリギリ生き永らえた、という話を国家財政でしている時点でリーダーシップを持って遂行するためには、アウトとってしまうのである。
そして、更に言えば、なぜ国債を買うか、と言えば、きちんと返ってくる保証があるからで、その保証というのは、国が担保するからではなく、日本という国にある企業が、貿易を主体として海外からも稼いでいるという実績が裏打ちしているからだと言う事を忘れてはならない。単に日本にある資金額と国内購入が大半だから、という話だけで済ませていては、直ぐに行き詰まってしまう。
国家財政基盤を考える時は、同時に、国内産業（国内に拠点があるグローバル企業含む）や消費者の動向をプラスにしていく視点も必要なのである。
　
<strong>【国家財政の矮小化リスク】</strong>
　
現在、各種保険などを含めて、日本を運営するためにかかるお金は200兆円を超えると言われているが、一般財源予算は100兆円に満たないということはご存じだろうか。
つまり、特定財源や保険等の名目で強制徴収されている金額のうち、半分以下しか機動的に使えなくなっているのだ（実質的に、そのうち変更できるのは、更に1割程度だろうが）。
更に、予算折衝での変動も、億円単位で動く程度で、兆単位で動く話を聞いたことがない。
これでは、国民が付託した税金の大多数が、官僚の思い込みで硬直的に使われてしまい、本当に全国民に必要なもの、未来の日本に必要なものに、使われることはなくなってしまう。
そのため、特定財源の廃止と一般財源への繰り入れが主要議題となる。
　
また、利用者負担の原則と言うが、それも本当だろうか。系統だった負担計算を行ったのか全くわからない。例えば、自動車排ガスは各種の疾患を発生させ得る。そうであれば、健康保険に対する支出が必要であるが、自動車重量税や石油諸税が、一時的な流用は別として、そういうところに使われたという話を聞かない。それはなぜだろうか？
所得税や住民税や消費税は、本当に利用者負担なのか？
税金というものは、本来、富の再配分の機能であり、ある程度の行政サービスを受ける人や行為からは、幅広くとって再配分すれば良い。特定財源だけ、利用者負担を盾に一般財源化しないのは、単に省庁の固定予算をなくされないための詭弁とも言える。ふるさと納税（正確には寄付金の税控除）について、都知事が一笑に付したこともあるが、本当にそうなのであろうか。多くの人が、働く場所であっても住む場所ではない、と言っている事に対して、都知事はどう考えているのだろうか。ようは、行政サービスが納税額に見合っていない、という評価であるし、寄付、という考え方自体を否定すべきではないだろう。
　
あるいは、国家予算は単年度原則と言うが、本当に重要な予算であれば、それでも継続的に予算が付くし、例えば、政権交代による政策変更によって中断されれば、それが国民の意思とも言える。本当に続けたければ、普通の企業のように、その意義とメリットをきちんと説明し続ければ良いだけのことだ。楽してはいけない。
一時期、民主党が国の研究開発予算を一律絞るという愚行を行ったが、当然、かなりの反発を受けたし、国民もそれに賛同する人は多かった（但し、説明責任を果たせなかった文科省の官僚や科学者は、理系出身者としても強く反省を求めたい）。国民はそこまで馬鹿ではない。
普通の企業で、収益を挙げていない事業が、何の努力もなしに予算消化だけで、翌年も同額予算を貰える、などということはあり得ない。もし、今のようなやり方をしていれば、行政サービスが良くなることなどあり得ないだろう。努力なきところに改善はないのだ。
　
特定財源を廃止し、全てを一般財源化し、継続的に必要な予算は高い成果を上げることで確保する。こんな企業では当たり前のことをすら、国土整備には長い年月がかかる、という理由でなされないのだ。
　
しかし、良く考えて欲しい。
年数がかかる、ということと、予算を固定化する、更に、それを裏打ちする税収を固定化する、という話は、全く別物である。
本当に必要なものであれば、毎年予算申請すれば通るはずだ。
　
実際、各地でダムや高速道路の見直しが入ったし、スーパー堤防なる荒唐無稽な代物まで、200年かけて全ての整備を前提として整備が続けられていた。そんなものに予算を費やすくらいなら、首都機能を移転・分散化し、リスク分散することに予算を使った方が、よっぽど健全だ。あれだけ地震が起こりやすい地域に首都機能を置き続け、それを守り維持することに無理がある。
そして、多くのケースで、予算化して着工してしまったから途中でやめるのは難しい、という話が出るが、これも本末転倒である。必要だから予算を付けて実行するのであって、必要性が薄まれば、一定の現状復帰や対策は前提となるが、計画を見直して実行しないことが当たり前だろう。
年数がかかっても、予算を固定化する必要はないし、予算が実質固定化したからと言って目的税により歳入とリンクさせる必要はない。本当に必要なのであれば、固定化しなくとも説明責任を果たせる以上、途中で予算が打ち切られることの方が許されなくなるからだ。
　
つまり、特定財源を残す必然性はないという事だ。
いったん、全ての特定財源を廃止し、ゼロから見直してみれば良い。結果的に、少しの混乱は出るかもしれないが、大量の無駄な予算が白日の下にさらされる結果になり、大多数の国民のためになるだろう（一部の既得権者は怒り心頭だろうが…）。
　
<strong>【無駄な独法と天下り＆渡りの廃止】</strong>
　
以前から問題となっている天下りや渡りは廃止し、そのために作られたような独立行政法人（独法）は、徹底して廃止していくべきだろう。
そのためにも、天下り廃止と定年までの雇用と出向、関連業界への転職年齢制限をセットで打ち出す必要がある。
当然、省庁の中でも、給与も役職者とそれ以外で差を明確につけて、一定の役職者以外は、役職定年として給与もそれを前提に、40～50歳くらいにかけて、調整を入れ始めていくべきだ。
　
どうしても官僚独特の能力が必要な場合は、全てを情報公開することを前提に、出向という形で人を派遣する。但し、給与だけでなく個室や送り迎えの自動車など、元々の待遇を超えてはいけない、という規定も厳格に適用する。もし、本来の立場よりも高額の給与を出向先で貰う場合は、一旦、給与を国庫に入れた上で、国から元の立場の給与を支払う。差額を国に収めるのである。もちろん、退職金もこれに当てはめて、何度貰っても全て国庫に入れる。退職金は国の規程に則り、一度だけ支払われる。当然、定年退職した後は、国や地方自治体に関係する機関（当然、ファミリー企業や深い取引関係がある企業も含む）、自分がいた省庁の関連業界には、一切再就職できないようにする。
　
こういった話をすると、職業選択の自由の話が出てくるが、これについては、特別な権限を持つ国家公務員である以上、一定の制限がかけられて当然である。それが嫌であれば、一定年齢、例えば、35～40歳までに辞めれば、そういった制限はかけないとすれば良い。
これで退職金を複数回貰う行為は減るし、仕事に見合わない高給をとることは減るだろう。あくまで、一般企業を模した形の国家公務員の給与体系の中におさまるからだ。民間からの中途採用も増やし、それが嫌なら民間で働けるようにすれば良いのだ。
高い退職金や給与の背景として、就職時に大企業でも公務員でもなれたのだから、同レベルの待遇を得て何が悪い、と言う公務員もいるが、聞いた瞬間に「なら、大企業に入っておきなさい」と思うのは、私だけではないはずだ。公務員は公僕であり、国民全体の平均よりも高い給与を貰えば、当然、様々な反発を受けるのは、考えれば当たり前である。それを前提に公務員になるのか、給与を取るなら、大企業を選べば良い。自己選択の結果を、周りに押し付ける身勝手な論理としか言いようがない。
もし、それで良い人材が集まらないなら、民間企業で力をつけた者を上手く活用すれば良い。力をつけて視野が広がった結果、行政や政治に関与したくなる者は多い。上手い集め方をすれば、それほど高い待遇でなくとも、能力の高い人材を集められるだろう。杓子定規に「試験ありき」で新卒から採用しようとするから人が集まらないのは、少し考えればわかることである。
　　
また、ハッキリ言って、単純に「公務員減」を言い続けても無意味である。それを行えば行うほど、国家公務員としてカウントされない独立行政法人やそのファミリー企業が増えていくだけだ。公務員数削減だけでは、単なる数字計算上の話であり、結果的には、国民から見て割に合わない支出（天下り官僚に対する高給や高待遇、複数回の退職金、無駄な施設や車、特別に守られた共済年金など）を強いられて、より損をしていくばかりである。
独立行政法人も、結局のところ制度倒れに終わっているところが大半だ。それを維持すべく、予算や仕事をあてがい、不必要となった独法も改名や合併等で延命させるだけである。それであれば、改めて行政機関に取り込み直し、行政機関として、予算と実績をもっと細かなメッシュで提出・開示すれば良い。官僚の見做し人数だけ減らしているが、実際に税金で食べている実質官僚がどれだけの人数になるか、見たら驚くだろう。
今は、それを見にくくしているだけであるから、早期に見える化を進めるべきなのである。
　
あるいは、金融監督庁ならぬ、「規制・行政法人監督庁」をつくり、徹底して規制と独法等の行政機関を管理し、減らしていくことに集中した機関として置けば良い。警察官の取締ノルマや税務署の追加徴収ノルマより、よっぽど国民のためになるだろう。
また、独自で調査し勧告するだけでなく、国民からの請求があれば、その規制や独法を調査し、必要性を確認して結果を広く開示する、という責務も負わせる。この仕組みを国民が活用すれば、結果的に無駄な規制や独法はなくなっていくはずだし、本当に必要なものであれば、国民がそれを理解し納得できるものになる。
規制する側に取り締まり機関がなければ、野放図に無駄な規制や補助金、独法が増え続けるのは道理である。その方が仕事が増えるし予算も増える。そこから得られる利権も増える、という構図だからだ。それを防ぐ恒常的な機能が今こそ必要なのである。
　
最近、民主党は官僚を使いこなせていない、などの批判が自民党などから出ているが、逆に官僚に乗せられているだけであり、そのような言葉に踊らされては、再び、政官癒着に後戻りするだけである。民主も自民も、結局、官僚をコントロールすることなど出来ていないのである。
大切なのは仕組みであって、個々人の力量はその上に立つものだ。つまり、きちんとした仕組みがあれば、政治家個々人のレベルがどうであれ、最低限の部分は押さえることが出来る。本当にコントロールしたいのであれば、監査と抑止の機能を適切に働かせるよう、徹底した情報公開と、それを支えるチェック機構、そして、信賞必罰の厳しい法制度である。
そこまでセットでやらない限り、結局は今まで同様、掛け声倒れに終わってしまうのだ。
　
<strong>【成長にシフトする税制改革】</strong>
　
労働人口が減りゆく中で、総額給与の伸びを期待してはいられない。それでも、医療費や介護保険を中心に支出は伸びていくだろう。
つまり、課税ベースが縮小する中で、フローである給与で税（支出）を支え続けるという事は、ほぼ無期限無制限に税や保険徴収を増やしていく、という事に他ならない。そうなれば、労働人口が消費の中心であることは変わらず、また、子育て世代でもあるため、日本経済の成長を支え続ける事は難しくなるのは自明の理である。
つまり、課税の根本を変えていかなければならない構造に、日本はなってしまった（なりつつある、ではなく、なってしまった）のである。
　
では、どうしていけば良いのだろうか。
まず、消費自体に課税をする消費税を増やす、という議論がある。現在はこれが基本であるが、こちらも利率を上げると消費が減衰する可能性が高いというフロー課税の一種であることに変わりはない。
所得税や社会保障費が入口での課税とすれば、消費税は出口での課税であり、基本的考え方は同じである。ただ、入口だと貰う総額が把握しやすいため、累進課税（給与が多い程税率を高くできる）を取りやすい、という特徴があるだけだ（但し、サラリーマン以外は捕捉しづらく、公平性に欠ける、という大きな問題点がある）。
つまり、所得税か消費税か、という議論は、あまり本質的な議論ではなく、単に、入口と出口のどちらで課税した方が都合が良いか、という課税のしやすさ（税金の取りやすさ）の話でしかない。これは、抜本的な話があった後に考えるべき話であろう。
　
もうひとつの見方として、ストックとフロー、という考え方がある。
これは、ビジネスをやっていると当たり前に出てくる話だが、私達に当てはめてみると、土地や建物、有価証券や現預金、高額な家具や家電などが、いわゆるストックであり、それ自体は大きな価値があるものの、持っているだけでは何も変わらない。フローの代表格は、給料や利子、配当金、家賃収入などがある。
今まで日本は、課税というと、ほとんどがフロー側であり、ストックにかかるものと言えば、土地建物にかかる土地計画税など数えるほどしかない（但し、年額にすると結構な額になる。また、企業は固定資産税も大きな負担にはなっている）。
　
日本は一気に高齢化が進み、市場が拡大しなくなったことを考えると、稼ぐ人も使う人も減ったためにフローは容易に増えず、老後などのリスクを鑑み、ストックが積み上がって使われないまま放置される、という状況がどんどん進んでいる。
そう考えると、当然、課税ベースをフロー重視にしていれば、財政は破たんするので、ストック重視にシフトして課税していくべきだろう。これは、考えれば当たり前の話である。
具体的には、土地建物については、農地等も含めて課税率を引き上げる。また、有価証券や現預金などに対しても、僅かの率であっても課税する。それ以外の個人資産については、捕捉が難しいので、現時点では行わないものの、法人課税については、率を引き上げることも、ものによっては検討して良いだろう。
かわりに、法人税や所得税（家賃収入なども含む）を引き下げ、配当金等への課税も特別減税を恒久化する。そうして、フローで稼いだ時点では課税せず、一定期間現金で預貯金したり、有価証券などを購入・保有した場合は、年度末の保有資産の種類と額に対して、それぞれ一定の税を毎年納めるのである。特に、現在、相続税で一括で取るものも、生きている間に納税して貰い、相続税がかかる金額の上限をかなり引き上げ、かなりの資産家でない限り課税することをやめる。
これで、フローからストックへの課税ベースシフトを実現する。
これを行えば、消費税の増税も、そこまで大幅なものにはならないだろう。日本の保有資産額は非常に大きいからだ。
　
そして、資産はもっていないが稼ぎは多い働き盛りの世代の課税負担を減らすのである。そうすると、当然、働き盛りの世代は、出費が多い世代でもあるから、今まで以上に消費に回すようになる。貯め込んでも課税されるだけなら、所得税等が減った分、子供の教育など、必要な消費により資金を回すだろうからだ。
併せて、公的年金については、全て非課税としておけば、年金の不払いも少しはマシになるだろう。
　
また、土地建物への課税を増やすと地価が下がる、という話をする人がいるが、きちんと運用している人は、運用益に対する課税も同時に減らす訳なので、魅力的な土地は更に価値が上がる。もちろん、運用が難しい土地は下がるかもしれないが、地価が下がればそこに魅力を感じる人が出てくる訳で、単に、土地の魅力がより明確に定まるだけと言える。
併せて、余談ではあるが、海外資本による山林の買収などが問題になっているが、土地の保全を保有条件にし、必要な保全を行わない場合は、課税率を上げるなどの措置を、山林への課税と同時に行えば、単なる保有は高コストだという事で、幾つかの投資先から撤退の話も出てくるだろう。国土保全にも、税は使えるということを忘れてはいけない。
　
<strong>【課税の公平性と弱者の考え方】</strong>
　
こういう税に関わる議論をすると、必ず出てくるのが、「高齢者などの弱者の負担を増やすのか！」という感情的な言葉である。
よく言われるのは、所得税や法人税の減税は金持ち優遇、という話であるが、相続税の減免なら確かにそうかもしれないが、本当の金持ちは海外に居住したり、別の形で報酬を受け取るなどして、入口の税金対策は万全にしているものだし、大企業も同じく、法人税をほとんど払っていないところは多い。逆に、中小企業で危ない赤字企業を除き、ほとんどが優良納税法人である（社員の給与を減らしてでも、黒字化させて税金を納めている）し、所得税の主要納税者は中間層たるサラリーマン達だ。
そう考えると、こういった指摘はたまたま損をしてしまう少数派の話など、的外れな部分も多いのである。そういう人は、別の仕組みを持ってセーフティーネットとして拾い上げる、ということが重要であり、大枠の仕組みで考えてはいけないのだ。これは、震災復興税を消費税型で行うと、被災者も課税される、という話と同じである。被災者に課税しても、それ以上の補填があれば、トータルとして問題がないのであるが、この切り分けや組み合わせが中々わからない人が多いようだ。
　
また、肉体的弱者の高齢者とバリバリの働き盛りを比べて、高齢者は弱者だと言われるが、確かに肉体的な弱者ではあるものの、経済的弱者かと言えば、健康保険の負担など、かなりの面で高齢者が既に優遇されていることもあって、実質的な可処分所得は逆転しているケースが多いし、そうだからこそ持ちたくても家庭を持てない若者が増えている事実を見過ごしてはならない。
子供一人が大学を出るまで、約１０００万円かかると言われる現代において、夫婦二人と子供三人で妻がパートの場合、ある年代では可処分所得は確実にマイナスに陥る。これが夫が正社員ではなく派遣社員だと、子供一人でも危ないくらいだ。更に言えば、その生まれてくる子供は、１０００万円近くの借金（国と地方合わせて）を負っており、年金も極僅かしか貰えない。出生率が下がるのも、近年は経済的要因が主要因であることは明らかだ。
年金を積み立てた額以上に貰う現在の高齢者と比べて、一人当たりの可処分所得額を考えれば、単に高齢者が弱者だと言うのは、乱暴な議論でしかないと考える。
実際、多くの蓄えを持ち、立派な家に住み、毎年海外旅行に行ける老夫婦も多い。気持ち的には、今までありがとうございました、という部分で楽しい老後を過ごしていただきたいが、それでこれからの未来を支える子供の出生率が下がり、借金を押し付けているなら、本末転倒としか言いようがない。日本の高度成長期を支えたことを報われると同時に、こうしてしまった責任も併せて負ってもらうべきである。
　
そうすると、ストック（資産）課税、というのは、比較的公平性の高い考え方だ。
しっかり貯めて資産形成した人、すなわち、本当の金持ちから税金を取ることは、その人の年齢に関係なく、累進課税の大本の考え方に合致していると言える。
また、特に土地建物などは、その地に固定化される固定資産なので、対価が地域行政サービスだと考えると、その地にある資産が多いほど、対価分の負担を多めに持つ、というのは公平性が高いと言える。逆に、土地や建物を広く持っているのに、（節税対策後の）課税ベースの所得が少なければ、都市計画税を除き、主に相続税でしか取られない、というのはバランスを欠いていると言える。更に言えば、相続税も減免が行われているケースがあり、更に、一時的に借金を増やして土地建物など課税ベースの率が低い資産を増やすなどの方法を取れば、節税対策が可能であることも忘れてはならない。また、企業の相続を進めるために、土地と株式の管理会社を作れば、相続税が企業が存続する間留保されるという優遇策もある。企業に価値があり、富を生み出すからこそ相続税がかかる。本来であれば、少しずつでも良いので株を買い取り続けることで相続すべきものを、企業の存続という観点だけで留保されるのは、公平と言えるのだろうか。
　
一般的に、金持ち＝資産家、である。であれば、相続税のような一過的でない恒常的な資産課税は、金持ち優遇にならない唯一の課税の仕組みであることは明らかだ。
逆に、フローに課税をすると、努力した人が損をする、という話になりかねず、ただでさえ沈滞している日本の足腰を弱らせるベクトルが強く働いてしまうのも、また、明らかである。
過去に言われていたから、官僚や偉い人が言っているから、と言って考えずに信じるのではなく、今の環境においても本当にそうなのか、疑ってみるべきだ。
　
そして、最も大切なのは、お金を滞留させないことである。
特定財源にせよ、天下りのための付加価値のない独立行政法人にせよ、お金が常にそこに流れ続けるのは、国としての付加価値創造力に何の貢献もしない。単なる現状維持どまりが関の山で、大抵は労費に過ぎなくなる。競争環境や厳しい監視下におかれなければ、基本的に改善はないのである。
また、ストックに対する課税は、何もしない資産家には厳しい状況を生むかもしれないが、資産を活用しない、つまり、お金を滞留させる者には厳しくなり、価値を生んでフローを生み出す者には優しくなる社会になる訳で、お金が現時点では手に入れられていない者に還流させやすくなる。
フロー課税を甘くすると、直ぐに金持ち優遇だと短絡的に見る見方があるが、そうではない。一番の金持ちは、資産家であり、それを自助努力ではなく相続によって手に入れた者たちである。ここの対応を見誤ると、機会の平等という民主主義の根幹が揺るがされるのであるが、多くの人達はそれに気づいていない。フローではなくストック課税にする意義は、やる気も能力もある者達に対価を得やすい環境を提供する、ということであり、生まれという不平等を出来るだけ防ぐことに他ならない。
そして、大切なのは、そういう国が最も力を持つという事実である。
日本だけでなく、アメリカや中国など、本当に成長していたのは、そういった個人の努力に関係ない生まれ等による富と地位の固定化がなくなった時代であることは、周知の事実である。今より、若干の格差はあったが、夢やチャンスが確実にあったのだ。
　
本当の弱者は、富を相続しなかった者で、非常に不公平な課税状況になっているという事実から目をそむけず、真の国民主体の税制改革を成して貰いたいものである。
　
　
最後に、重要なポイントではあるが、とにかくシンプルな税制にすることが重要だろう。今のフロー側の税制は、様々な例外事項が補足が設けられており、複雑怪奇なものになっている。
更に、これは海外からも指摘される日本税制の最も悪い面であるが、税務職員による判断に任されている部分が広く、人によって判断が異なることだ。これでは、安心して経済活動が行えないばかりか、知らない者は損をする、といったことがまかり通ってしまう（現在は、まかり通っている）。正直者がばかを見る社会が税においては体現されてしまっているのだ。高額所得者が日本から逃げたくなる気持ちもわからないでもない。
実際、確定申告なども楽にはなったが、色々と申告書をつくってみるものの、何がどうなってこの納税額になっているのか、はっきり言ってよくわからない。複雑にして、いざという時に税金を取りやすくしているようにしか思えない。もっとシンプルにして、誰でも納税額が簡単にわかるようにしてしまえば、税収の予測も立てやすくなり、身の丈に合った予算編成も出来るようになるだろう。
支出（国家予算）も収入（税収）も、もっとシンプルにわかりやすく、国民が振りかえりやすいものに変え、きちんと義務教育の期間内に基本を教え、国民が自分の事として議論できる必要があるのである。
それこそが、真の公平性を担保する環境を作るものではないだろうか。
　
※ 第三章に続く
　
<strong>＜日本国家改革論＞</strong>
<a href="http://www.fri-associates.com/blog/current_topics/000380.html">第一章　『国家のトップのあり方とは』</a>
<a href="http://www.fri-associates.com/blog/current_topics/000382.html">第三章　『地方自治（政治・行政）のあるべき姿とは』</a>
　
　
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。現在は、大手監査法人にてメーカーを中心に、（グローバル）グループ経営の在り方などのビジネスアドバイザリーサービスを提供している。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
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   <title>日本国家改革論 第一章『国家のトップのあり方とは』</title>
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   <published>2011-04-14T16:04:21Z</published>
   <updated>2011-05-26T16:03:32Z</updated>
   
   <summary>今回の大震災を機に、明治時代から続く政治制度のほころびが明確なものになり、確実に日本という国に悪影響を及ぼしてきていると感じている。正直、管...</summary>
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      今回の大震災を機に、明治時代から続く政治制度のほころびが明確なものになり、確実に日本という国に悪影響を及ぼしてきていると感じている。正直、管内閣がかわろうが、政権与党が民主党から自民党にかわろうが、本質的に良くなると思っている国民は、少数派だと言えるだろう。もはや、制度自体が疲労してきており、現代社会にそぐわなくなってきているのだ。


      <![CDATA[　
例えば、今の政治制度の根幹は、明治政府が立ちあがってから大きくは変わっていない（もちろん、参政権など重要かつ大きな変更はあったが、仕組みの面では変わっていないと言える）。
その当時の人口は、約３４００万人、今に至るまで１４０年強の歳月を経ている。
また、その当時の日本は、欧米列強に植民地化されないように、国を挙げて国力増強につとめていた後進国の一国であった。そのような環境では、徳川幕府時代のように大名による地方分権をやめ、中央集権国家として一点集中突破をはかる必要性があったのは理解できるところである。
　
しかし、現代はどうかと言えば、経済規模は中国に抜かれたとは言え、世界第三位を誇る経済大国であり、人口は急速な高齢化が進んでいるとは言っても、約１億３千万人を抱える大国である。人口を多い順に並べれば、国連統計によると１０位であり、イギリスとフランスを足したよりも多い。また、東京都区部を中心とする首都圏は、国連の統計では世界最大の人口と経済規模を持つとされている。尚、東京都の人口は１３００万人で、ギリシャやポルトガル、ベルギー、スウェーデンやスイスよりも多く、残る北欧のデンマークやフィンランドの倍以上である。
日本はある意味、何カ国も国を内包しているのと同じなのだ。
そんな国が、未だに明治に始まった中央集権の仕組み（都道府県に至っては、廃藩置県で生まれたから、江戸時代のお国から変わっていない有様だ…）を後生大事に守っている。これは、伝統を守る、という時限の話ではなく、単に変えられないから変えていないだけ、と言える。
　
では、どうすべきなのか。
今回は、
「国家のトップのあり方」
「国家財政基盤構造改革」
「地方自治（政治・行政）改革」
について、どの様な考え方を持ってどう変更すべきか、ビジネス経験をもとに論理的に考えた解を探っていく。
※ 今回のコラムは、文章量が多いため、上記の章ごとにアップする
　
<strong>『第一章：国家のトップのあり方とは』</strong>
　
<strong>【国のトップが短命で良いのか】</strong>
　
国のトップとは、企業と同じく「国の戦略を指し示す」役割が第一と言えるが、これに異論がある人はいないだろう。しかし、現実的には、とてもそうなっているとは言えないし、そもそも政局ばかりで国家戦略を話せる環境にないのが現実だ。
翻って、企業経営戦略とは、業種によって異なるものの、少なくとも５年のスパンで考えるものだ。年度計画が１年、中期経営計画が概ね３年、経営戦略が５～７年、というイメージがわかりやすいだろう。
そんな訳で、1年程度でトップが変わる企業に投資する投資家やお金を貸す銀行はない。少なくとも、10年程度は安定的にトップにいて、同一の方向性での戦略実行を担保してくれないと、安心して資金を任せることなどできないし、個人的にも、そんな会社に入社したくないと思う。
「国家百年の計」と言うが、一企業よりも長期が必要な国のトップである首相が、３年間で５人交代するのであれば、その組織、すなわち国が弱体化するのも仕方がない。
これは、トップに立つ個人の問題もあるが、どちらかと言うと、仕組みに問題があると考えた方が良い。日本人は、とかく個人の責任を咎めがちだが、個人に頼るのは仕組みとして弱い、ということであり、個人の責任を問い続ける方が良い（早い）のか、仕組みを変えた方が良い（早い）のか、という判断軸はしっかりと持っておくべきだろう。
　
私は、まず、日本を変えたいのであれば、少なくとも10年程度は、一人のトップが方針を堅持できる環境を作るべきであり、それを個人の資質に求めるのは無理があると考えている。つまり、仕組み上の問題であって、明治政府に始まった、今の内閣総理大臣を国の唯一のトップとする制度は、既に破綻しつつあると考えた方が良い。
ただ、あまりに長い在任期間は独裁や腐敗のリスクとの綱引きがあり、一旦は必ず区切ってかえる、という仕組みも必要である。
そう考えると、5年改選の2期連続まで、あるいは、7年改選の連続はなし、期中の解任は原則なし、という長さが保てることが妥当ではないだろうか。
尚、余談ではあるが、都道府県知事は再選制限がない。東京都知事が四選したが、三選目くらいから東京都庁の硬直化が見られ始めており、トップに対する牽制機能が働かなくなった事に起因する不祥事が表面化しつつある。四選目の今期は、表面化しない、という怖さもあるが、多くの不祥事が在任期間に発生するリスクが高いと見ている。
　
次に、もし国家のトップが戦略を決める、という役割を主とするのであれば、今度は実務を支える組織が必要となる。
それが内閣となる訳だが、企業においても、組織が大きくなると、CEO（最高経営責任者）とCOO（最高執行責任者）を分けるように、戦略を担うトップ機関と、実務を担う実務責任者機関は分けるべきだろう。
ちなみに、実務責任者機関は、官僚機構ではない。官僚機構は、企業で言うと、管理・企画部門やオペレーション部門であって、事業部門ではない。管理部門や戦略部門が、役員の代弁者となって動く企業は、全体として弱体化していく。発言と責任が乖離し、無責任さが増長されるからだ。
そう考えた場合、半大統領制（大統領と内閣が両立する）によって、国家戦略を担う大統領と官僚を率いて国家運営を担う内閣、というセットが、今の日本に親和性が高い制度だと考えられる。この場合、アメリカのような大統領制ではなく、半大統領制と称されるフランス等が参考とされよう。
　
<strong>【中長期に考えられる仕組みが必要】</strong>
　
では、国のトップを安定的に5～10年程度、その地位に置くためにはどうすべきか、と言えば、既にフランスの例を挙げたように、国民による直接選挙によって一定期間選ばれる大統領が最も適していると考える。
内閣総理大臣（及び総理により指名で選ばれる内閣）は議会から選ばれるもので、当然ながら議会の政党勢力が変わる度に挿げ替えられる可能性が高いが、大統領は国民が直接選挙によって選ぶものであり、原則的には期間中に変わることはない（制度上、例えば、国民の一定率以上が請求すれば再選挙を行う、というような牽制の仕組みは必要）。
ただ、大統領と内閣の差は、CEOとCOOの業務の差と同じく難しい課題である。
　
フランスにおいては、慣例上、外交は大統領、内政は内閣、という分け方がなされているが、外交は外部への約束事なので、内政よりも長期的な方針の堅持が重要性が高く、これは納得のいく結果である。各種条約の批准権がその代表的なものになるが、内閣での審議なしに批准する訳ではなく、必ず議会の審議を通した後に行う形とするべきだろう。
内閣総理大臣の任命も形式的なものであれば、大統領が持つべきであろう。但し、実質的なものではなく、あくまで、選出は国会が行うべきで、大統領は慣例としてそれに従うべきある。しかしながら、国家戦略を堅持するため、いざという時は、任命拒否を行う権限を与えておくべきであろう。国民の直接選挙によって選ばれる者には、国家の最終意思決定に近いものを付託すべきであるからだ。
　
後は、大統領府は中長期にわたる国家戦略を検討し、広く国民に知らしめる仕事を持つべきである。
そういう意味では、税や社会保障、地方自治のあり方については、大統領にある程度の権限を有する形とするべきだ。そして、それら

のスタッフも大統領府に配置すべきであり、個別の機関として、公務員とは切り離したスペシャリスト活用の場とするべきだろう。
戦略立案については、行政を確実に進める公務員とは、異なる資質を要求される訳で、大統領補佐官への民間からの専門家登用、フランスの「アタリ政策委員会」のような実効性の高い戦略的政策委員会など、短期・長期にわたり、戦略立案・企画・調査などのプロフェショナルを広く活用しなければ、あるべき国の形を議論してはゆけない。
　
<strong>【実行に至る上での想定課題】</strong>
　
大統領制の話が出ると、日本においては、天皇制との兼ね合いをどうするのか、という課題が出てくるのが特徴である。
しかし、それを聞いて、「そうだったんだ」と思う人が多数いるのではないかと、私は思っている。専門家にとっては当然の話かもしれないが、一般の人の感覚とはかなりずれていると感じる。
その理由として、象徴天皇の位置付けと国民の認識がある程度の集約を見ている点があり、政治制度と関連する部分は、単なる過去のしがらみになってしまっている、という認識を持つべきだろう。国民からの信頼は、制度によって成されているのではなく、かなりの部分が、天皇皇后両陛下自身によっても作られてきたものだと考えるべきである。
また、天皇の国事行為が身体的負荷の一要因となっていることを鑑み、改めて、天皇の位置付けを見直す（象徴及び国家の良心としての天皇家という本質的位置付けを主な役割とする）ことも考えるべきではないだろうか。
　
例えば、国民の代表たる大統領に対し天皇が国家元首としての地位を全権付託する、というような形をとっても良いだろう。タイの国王は、象徴と呼ぶには強い権限を有するが、国民からの信頼、という面では参考になる部分が多い（仏教国であり国の仏教のトップが国王、という面も強いだろうが）。
天皇は日本の良心、国民の心の支えとなり、それに基づく独自の発言を行って良いことにした方が良い。もちろん、必要以上に話すことは不要だが、自らの利害を伴う発言しか出来ない政治家だけでは、本質的な良心に基づく発言など難しい。天皇のような特別なポジションにある方のみがなせる役割であろうし、それを天皇に望みたいと思う国民は多いはずだ。
実際、今回の東日本大震災においても、（関東地方の）避難所へのお見舞いのご様子から、私も含めて、天皇皇后両陛下にしか出来ないことだと感じた人は多いはずだ。例え、都知事や総理大臣が見舞ったとしても、被災者の方はあのような反応はしないだろう。だからこそ、形式ばかり論じるのではなく、現実をそのまま反映させるにはどうすれば良いかを考えるべきなのではないか。
　
他にも軍事はどうするのかなどの話は多数あるものの、今の議院内閣制だけでは、もはや、政局によって政治が滞る、というあってはならない本末転倒な事態は解消されえないし、それに対する国民の不満は取り除けないだろう。まさに、一部では、衆愚政治が現実のものとなりつつあると言え、我々は岐路に立たされていると考えるべきだ。
この議論においては、憲法改正が必要であるが、改正は第９条だけの話ではなく、国家としてのそもそものあり方自体を考え、憲法を改正する時期に来たと言えるのではないだろうか。そうでなければ、日本はこのまま世界の中で沈みゆくしかなくなってくるのだ。
リーダーを待望するのではなく、リーダーが生み出される仕組みを、今こそ、我々は我々自身の手によって、見出していく必要があるのである。
　
※ 第二章に続く
 　
<strong>＜日本国家改革論＞</strong>
<a href="http://www.fri-associates.com/blog/current_topics/000381.html">第二章　『国家財政基盤の構造改革におけるポイントとは』</a>
<a href="http://www.fri-associates.com/blog/current_topics/000382.html">第三章　『地方自治（政治・行政）のあるべき姿とは』</a>
　
　
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。現在は、大手監査法人にてメーカーを中心に、（グローバル）グループ経営の在り方などのビジネスアドバイザリーサービスを提供している。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
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   <title>優れた叱り手とは ～部下を伸ばす叱り方～</title>
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   <published>2011-04-06T12:52:26Z</published>
   <updated>2011-06-25T17:37:56Z</updated>
   
   <summary>最近、上手く部下を育てられない、という悩みではなく、そもそも「部下を叱れない」という悩みをよく聞くようになった。実際、無理に笑いをとったりし...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      最近、上手く部下を育てられない、という悩みではなく、そもそも「部下を叱れない」という悩みをよく聞くようになった。実際、無理に笑いをとったりして、雰囲気をよくしようという方向だけ努力し、結果的にチームが一丸となって動いていない、といチームう状況を度々見かけるようにもなっている。これでは、調子が良い時は良いが、厳しい状況を乗り切るチーム運営はできない。

      <![CDATA[　
「叱る」というのは、上手い人がいるが、その反面、一歩間違えるとパワハラと言われる難しさもあり、また、多くの上級管理職が、中間管理職に叱ることを押し付け、中間管理職はプレイングマネージャーとして、常にストレスを感じながら、部下の面倒も一人で抱え、その割に大したリターンも得られない損な役回りとして認識されつつある。
過労や鬱になりやすいのも中間管理職であり、また、部下がストレスで参るのも中間管理職が最大の原因だ。そして、中間管理職が弱い会社は、組織全体が弱くなってしまい、変化に脆くなるのも事実であり、経営的な観点からも、容易に看過できる問題ではないのも事実である。
　
しかしながら、ゆとり世代の社会参加を踏まえ、今まで親や教師にきちんと叱られた事がない新卒社員が増えてくるのも、避けようのない社会環境になってきた（個人的には、その事実に驚きを否めないのではあるが…）。
今回は、そういった課題や悩みに応えるべく、部下育成に主眼を置いた「叱り方」とその考え方について論じたい。
　
<strong>【叱れない人は人を育てられない】</strong>
　
「この人には育てて貰ったな」と思う人や、「この人は育て方が上手いな」と思う人は、総じて叱り方が上手いし、叱るべくところは躊躇なく叱る。
最近は、「叱らずに伸ばす人材育成」などと言うマニュアルもあるようだが、褒めて伸びるのは本人が気づいている範囲のみで、本来必要とされているのに気づけていない事は伸ばせない。その限界を理解した上で用いるべきだし、本気で育てる気持ちがあるなら、褒めるも叱るもバランス良く行える必要がある。
ゆとり世代が叱られ慣れていなかろうが、根本的には変わりはない。決して、表面的な話に流されるべきではないだろう（論理思考や過去のフレームワークがもう古い、と言う話も大抵本質論になっていないのと同じである）。
　
時々「相手のことを思うと叱れなくて」という人に会う。
最近、その傾向が強くなっている気がするが、私は「相手のことを思うからこそ叱れる」のが正解だと思う。
　
感情的に怒ることと異なり、「叱る」というのは非常にパワーのいる仕事だ。
怒ることは自分のストレス発散がメインだが、叱ることは相手の改善や成長がメインとなるため、相手のことを色々と考え、叱る方法も吟味した上で、どちらかと言うと強いストレスを受けながら行うものである。
なぜなら、大抵の場合、どれだけ相手の事を考えていても、その気持ちは直ぐには伝わらないものだし、相手からは負の感情をぶつけられることが多く、たまにそれがきっかけで疎遠になってしまう人すらいるからだ。
それをわかりながら実行する、というのは、非常なストレスであることは、一度なりとも真剣に叱った経験がある方にはおわかりいただけるかと思う。
叱る前、叱る時、叱った後、ずっと気が重いし滅入ることも多い。叱り手は非常に損な役回りなのだ。
　
ここまで読むと、最初の話がわかっていただけるかと思う。
「相手のことを思うと叱れなくて」ではなく、「相手の反応を思うと（それが怖くて）叱れなくて」というのが、自覚しているか否かに関わらず、的確だろう。
少なくとも、私が「叱る」時は、今後、相手が今叱らなかったことで、将来的に不利益を必ず被るだろう、という確信のもとに叱っているし、相手に対して怒りを覚える時は、叱ることはせず、逆に好き勝手にさせる。それで後で不利益を被っても、なぜ悪いかに気付かず繰り返そうとも、その人の勝手だと思うからだ。
　
自分自身も含めて、残念ながら人は失敗から多くを学び、成功からは慢心をえてしまう生き物だ。
だからこそ、人が成長するのは、褒められた時よりも叱られた時の方が多くを占める。
もちろん、だからと言って、褒めなくて良い、とは言っていない。褒めてばかりだと、それが普通になって、褒められないと動けない褒められ中毒になるし、叱られてばかりでは、自分は何をやってもダメな人間だと負のスパイラルに陥る。バランスを欠き、どちらかのみに偏ってしまってはダメなのは明らかだ。
　
ただ、相手のことを育てたいと思うなら、きちんと相手を見て、必要に応じて真剣に叱り、きちんと褒めることが欠かせない。
相手を真剣に叱れないのは、自分を守っているか、相手のことをそれ以上に考えていない、ということだと、是非考えて貰いたい。
　
<strong>【「叱る」と「怒る」は別物】</strong>
　　
逆に、「叱り方が下手」と思う人は、共通している点がある。
それは、「冷静さを失い、怒ってしまう」人である。
　
見ていると、大抵の場合、最初は冷静だが、だんだん怒りが増してきて、最後は何を指摘しているのかわからなくなることが多い。そうなると、怒られている側も、理由がわからないので、だんだん右から左へ聞き流すようになる。
こうなると、「怒られた」と相手の記憶に残るだけで、「何に対して」「なぜ」という重要な部分が相手の記憶に残らない。つまり、叱ることが無駄になる訳だ。
これは、叱り方が下手と言わざるを得ない。
　
相手が大人だろうが子どもだろうが、叱り方というのはあまり変わりはない。
相手が「何に対して」「どう行動したから」叱られているのかをわからなければ、叱る意味はほとんどない。
出来れば、「どう行動すれば良かったか」まで含めて伝われば、成功であろう。
　
これだけしようと思えば、叱る側が冷静でなければ難しいのはおわかりの通りだ。
感情に任せて怒っていては、決してなしえない。
ほとんどの場合、叱られる側は感情的になりがちである。叱り手のことを理解しようと心底思える人は、残念ながらほとんどいない。
それを前提に考えれば、如何に叱る側が冷静に、少しずつでも相手に理解を深めていって貰わなければならないのはわかるだろう。
叱るというのは、本来、これくらい叱り手にとって高コストな仕事なのである。
　
少し脱線するが、よく幼児虐待の理由として「躾（しつけ）」をあげる親がいるが、全く本末転倒というか、嘘っぱちであり、あれこそまさに「叱る」ではなく「怒る」である。
「躾ける」とは本来、礼儀作法を教える、という意味である。あるいは、仏教における「習慣性」を指す言葉が変化した事が語源と言われているが、どちらにせよ、「何が正しいか、何が間違っているか」を理解させ、次からは正しいことをさせる、ことが、その指す意味である。
決して、間違ったことだけに集中し、体罰を与えることが躾けではない。もしやるのであれば、何度も正しい形を覚えこませる、くらいが関の山だ。
結局のところ、「躾」を言い訳に、自分の怒りを子供にぶちまけているに過ぎない。それは決して本来の躾ではないのだし、そんなことをしても、本来はどうすべきだったかが身に付くはずもない。
もし、子供の悪い部分を理解させる、ということであれば、それをした直後に何が悪かったかを言った上で叱る、ということを心がける必要がある。なぜなら、多くのことを身につけていかなければならない子供は、自分が何をしていたか、それほど長期間記憶に留めないからだ。
　
さて話を戻すと、「叱る」というのは、「悪い事をしたから罰する」のではなく、「悪い事をしたから正しいやり方を教える」という認識で行わなければならない。しかし、通常の教え方では身に付かない場合もあるので、記憶に強く留めるために、「叱る」というインパクトのある方法をとるのである。
だからこそ、最初から「叱る」のではなく、何度か繰り返した時に「叱る」のだし、怒りに任せてやっては決して上手くいかないのだ。
　
<strong>【叱るには「軸」が必要】</strong>
　
特に仕事においては、管理職として叱る上で重要なことがある。
それは、「何をしたら叱る」のかを、ハッキリとさせておくことだ。
　
例えば、
・「一度目の失敗は問題なしとするが、何ら対策を講じず同じ内容でミスをした」
・「言われたことをすれば良い、という意識だけで、それを前提に努力不足を認めない」
・「約束を守らない、あるいは、守れなくなった時点で連絡をしない」
という条件を設定し、常にその条件に照らして、原則、それを守ることである。
これが出来ると、その組織はベース部分が引き締まり、土台がしっかりしてくる。
　
これを行うには、自分の中に叱る軸、すなわち、事の良悪の考えがしっかりしていることが重要である。そして、聞かれたら理由を相手が納得できるように話せるまで、自分の中で整理がついている必要がある。こういう人に叱られたら、有無を言えない分、ある意味、清々しい負け気分になれるものだ。
まずは、この判断軸を考える必要がある。
それが出来れば、判断軸が部下の中に移植され、物事の判断力を身につけていくことが出来る。基本的なことであればあるほど、普遍性があり、一度身につけると、それだけで一段評価が上がっていくのだ。
　
また、日本ではやりがちだが、基準にさじ加減当てはめると、納得感がなくなり上手く叱れない人と思われる。
よくあるケースでは、「○○君は失敗したけど、別件で頑張ったからねぇ」などと言って叱らないことがあるが、実はこれは一番やってはいけない方法だ。
最初に定めた基準に照らして、叱るときは叱る、褒めるときは褒める、を毎回同じようにしなければならない。
そうすれば、いちいち叱ったり褒めたりしなくても、何が良い行動で何が改善すべき行動かが、身にしみてわかり、次からは自分で考えて動くようになる。
叱る、というのは、相手を個人として尊重し、自律的に動けるようになると信じるからこそ行えるものなのだ。
　
では、常に機械的にするのかと言えば、それもまた違う。
さじ加減は、その時の「程度」で行うのだ。
ちょっと叱る、強く叱る、盛大に褒める、一言褒めるなど、叱り方や褒め方に差をつける。
あるいは、叱った後に、「○○の件では頑張ったことはよくやった」と分けて褒めることだ。
良い事と改善すべき事を足して二で割るような事は、決してしてはならない。そもそも、そういうものではないのだから。
上手く叱るというのは、そんなに簡単なものではないのである。
　
<strong>【もっと叱られてみよう】</strong>
　
「最近の」と言うと、ステレオタイプっぽくなってしまうが、入社後数年の若手は、叱られ慣れていない分、叱るのも下手であることが多い。また、少し叱られていると、耳を閉ざして自分を守ることに注力してしまう人が多いように感じる。
　
私は、小さい頃から色んな人に叱られたり怒られたりしてきた。親だけでなく先生にもそうだったし、上司にもよく叱られたと振り返ってみて思う。そういう意味で、よく粘り強く叱ってくれたな、と感謝の念でいっぱいである。
そして、時々ふと思い出されるのは、叱られたり、厳しく問われたりした人の事だ。たぶん、叱られた量では、真っ直ぐに育った多くの読み手の方と比べれば、まず負けない自信はある。そんなことに自信を持ってもとは思うが、そんな私でも、何とかこうしてやっているし、時には高く評価していただいている。
叱られることは、そんな怖いものではないし、やはり叱られるのだから、納得がいく話なのであれば、そこは直す努力をすべきなのだと、私は素直に考えるようにしている。
それに、振り返ってみてよくわかるが、叱られて傷つくプライドなど、もとから大したプライドなどではないのだ。
なので、過度に叱られることを意識する必要はないだろう。
　
また、そういう経験をしていると、自分がなぜ叱られているのか、相手は何を期待しているのか、叱られたことに対してどうこう考えるよりも、相手が叱る理由や期待に頭が働くようになる。そうしないと、自分に反映させるのが難しくなるからだ。
それを積み重ねていくと、何となく、どう叱れば理解しやすいのか、逆に耳に入りにくいのか、あるいは、押さえるべきポイントは何かが見えてくる。叱ることも、コミュニケーションの一環であると考えると、習うより慣れろ、という部分は大いにあるのだろう。
　
あまり叱られなくなって思うが、叱って貰えると言うことはありがたい。
是非、皆さんもそう思って、一度、叱り手が何を言わんとしているのか、しっかりと耳を傾けて貰えればと思う。
それこそが、優れた叱り手になるための第一歩になるのである。
　
　
最後にまとめよう。
「叱る」というのは、人材育成（特に部下育成）において必須である。そのためには、相手のことを考えて叱る、ということが前提となり、非常にパワーが必要な行為であると覚悟する必要がある。
「叱る」のと「怒る」のは別であり、これが上手く冷静に切り分けられていない人は、「叱る」のではなく「怒る」になってしまい、自分のストレス発散が先にたってしまう。これでは、人を育てることなど出来ようもない。
大切なのは、「叱る」上での「軸」を持っておくことだ。そして、それを簡単に変えてはいけないし、きちんと説明できなければいけない。そして、良くないのは、その基準自体にさじ加減を行い、時には叱ったり叱らなかったりすることだ。これは信頼を失い、叱ること自体の意味を失わせる。
また、「叱る」ことが上手い人は、「叱られる」経験が多かった人が多い。もし、自分が叱られ慣れていない、あるいは、叱られたことを真剣に受け止められずに逃げている、と思う節があれば、最初に改善すると良い。
「叱る」機会が減っている今だからこそ、高い「叱る」スキルを身につけ、組織に適度な緊張を与えて成果に繋げて貰いたい。
　
　
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。現在は、大手監査法人にてメーカーを中心に、（グローバル）グループ経営の在り方などのビジネスアドバイザリーサービスを提供している。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
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   <title>東日本大震災の中長期的復興政策とは ～社会資本整備と財政基盤、原発問題を考える～</title>
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   <published>2011-03-25T15:53:52Z</published>
   <updated>2011-04-20T02:12:54Z</updated>
   
   <summary>震災は、緊急即時対応が場所によって成果を上げつつあるが、まだ地域や場所によっては緊急対応すらままならない状態にある。各地の住宅等への集団疎開...</summary>
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      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
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      震災は、緊急即時対応が場所によって成果を上げつつあるが、まだ地域や場所によっては緊急対応すらままならない状態にある。各地の住宅等への集団疎開や避難所の集約、仮設住宅の建設などが急がれ、疎開の場合は受入先の自治体や自治会との連携、避難所では継続的物資及びボランティアの供給、仮設住宅においては戸数の確保と住宅群の運営など、多数の課題が出てくるが、今回は、更にその先の中長期の課題について論じたい。


      <![CDATA[　
今回の震災被害の特徴は、津波による生活資産の全面的喪失にある。また、個々の規模の大きさと発生範囲の広さも他に例を見ない。
こうなってしまうと、現実的に、個々人で家を再建するのはコスト面で非常に難しく、社会インフラも併せて失っている以上、義援金や少しの支援だけでは如何ともしがたい。また、国の支援と言っても、必要とされる財政規模が大きく、裏打ちのない方法では、国の借金状況が限界に達している現在、安易な判断は国全体の信用を落としてしまい得る。
また、津波が来た地に再建すれば、堤防の高低に関わらず、被害が再発しないとも限らない。まだ、プレートの半分程度がずれずに残っている事も踏まえ、安心安全な生活が送れるかどうかは、「？」マークが残らざるを得ない。
　
そこで、以下の三点について、中長期的な観点から提言を行いたい。
・財政的に圧縮しながらも生活も便利な形での再建策
・復興財源の確保
・計画停電に対応するエネルギー政策
　
<strong>【被災地域を集約する究極のコンパクトシティ】</strong>
　
津波によって、数多くの地が壊滅的打撃を受けたことは、ほとんどの方が理解されていることだろう。
生活の基盤である住宅、道路や鉄道などの社会インフラ、電気・ガス・水道・電話なども、大半の地域で同時に失われている確率が非常に高い。
そうなると、再建する、と言うよりは、一から街を作り直す、と言った方が早い。
その際に問題となるのは、個人の資金力によって、再建速度だけでなく、再建可否すら決まってくる、という現実である。実際、神戸でもかなりの地が歯抜けとなり、土地区画整理を行ったところで、やっと空き地が減ったくらいだ。
つまり、今までの再建方法をとっていては、更に輪をかけたような事態になるし、社会インフラ整備（道路や電気・ガス・水道など）のコストも莫大にかかってくるだろう。少々の義援金も焼け石に水で、どちらかというと、住を除いた衣食（家財道具含む）に、義援金の使い道を集中させた方が良い。
　
では、どの様に再生すれば良いだろうか。
それは、「コンパクトシティ」と呼ばれ、以前からうたわれてきた（地方）都市の再建方法にヒントがあると考える。
　
具体的には、今回、津波被害を受けなかった高台を中心に、集合住宅とショッピングセンター（地元商店街が中心に入る）、クリニックモール（地元医院が中心に入る）などを集めたコンパクトシティを新たに建設し、被災住民に現在の土地との現物交換で入居して貰うことで、災害にも強く、現在のコミュニティを維持した形での復興を実現する。必要であれば、鉄道も再敷設し、コンパクトシティに直結させれば良いだろう。
こうすれば、社会インフラ整備額は最少額に抑えられる。なぜなら、そこへのアクセスだけを考えれば良いし、建物内の配管工事は、道路に埋めて各戸に供給するより、はるかに低コストで済むからだ。
　
また、現物交換で得られた土地は、公園や農地等に再整備し、住宅や商業施設としては利用しないことで、災害対応力を高めれば良いだろう。
津波に襲われない土地に住む事が最大の防衛方法だ、とは専門家のコメントだが、コンパクトシティ構想は唯一それを絵空事に終わらせない方法なのである。
　
更に、コンパクトシティに物流拠点を併設し、公民館や役場などの機能も集約すれば、一大防災拠点として活用することも可能となる。災害時には、その物流拠点の担当者が、救援物資等の受入や小口配送を指揮できるような契約にしておくことや、防災倉庫への備蓄以外にも、各店舗の食料品や衣料品も、災害時には後払いにはなるが、一括購入できる契約を結んでおき、併設の役場責任者の判断で、救援物資化できるようにするのだ。
公営プールを耐震構造で作っておけば、災害時には飲み水以外の生活用水も確保可能となるし、当然、太陽光発電や風力発電設備の保有と電気自動車による蓄電も行うことで、更に防災力は格段に向上する。
　
そして、これは付加的だが、とても重要なことがある。
もし、これだけの地域拠点が出来れば、多くの人が住みたいと考えるとは思わないだろうか。
そうなれば、一つの過疎化対策にもなる。
平常時は海に面した大規模公園を擁し、生活に困らない街があり、集合住宅でも、中には以前のご近所さんが住んでおり、祭りをやったり、オープンカフェがあったりすれば、コミュニティの維持にも繋がる（コンパクトシティでのコミュニティ維持の可能性については、また別途論じたい）し、集約効果による地域人口増にも貢献してくれるだろう。
加えて、買い物難民となっている高齢者も、車なしに買い物が可能となるし、役場の担当者が個別訪問する頻度も十分高められるはずだ。
　
地域防災拠点及び役場等との複合化によって、高い耐震性を持ちながらも、建設コストは個々に建てるよりもはるかに安く収められるだろう。
1～2年程度かかるかもしれないが、何とか他地域の都道府県営住宅や仮設住宅に住んでいただき、その後はずっと、安全安心で便利な生活をして貰いたいものである。
　
<strong>【財源は期間限定の消費税】</strong>
　
再建には、お金が欠かせない。
それも、億単位ではなく、兆単位のお金が必要となるだろう。
日本だけでなく世界中から義援金はかなり集まっているが、正直、焼け石に水、とまでは言わないが、かなりの財政出動を伴わないと、実質的な再建・復興は叶わないと考えるべきだ。長年かけて蓄えてきた社会資本すら失われた訳で、それを一気に建て直すとしたら、何十年分の支出を一度に必要とするからだ。
　
財源については、既に政府内では復興債の発行などの話も出ているが、出来る限り、借金を将来に繰り延べる形ではなく、税として裏打ちのある形で、短期前借（長くても5年以内）としての復興債が限度だろう。
そうしなければ、日本の負債比率は上がるばかりで、復興の足を引っ張りかねない。
勿論、方法論として、大量の円供給により、実質的な円安誘導により、日本企業を助ける、という話もないわけではない。しかし、それ以上に、復興以降のことを考えれば、これ以上、財政に手枷足枷をつけるのは避けるべきだ。
それに、今であれば、ある程度の国民負担は容認されるだろう。景気の下押し効果も、一気に5%でも上げない限り、そこまで大きくは出てこないはずだ。どの道、震災後には節約や震災影響による下押し効果が出てしまうのは避けられないし、逆に、十分に復興に資金を供給すれば、再建需要による景気の押し上げ効果も出てくるだろう。
　
現時点で、最も可能性が高いのは、消費税だろう。
+1～3%（概ね2%）程度の範囲で、1～3年くらいの期間限定で、復興税として消費税に上乗せ回収する。国民全体で被災地を助けるという考え方だ。
　
消費税は、低所得者層に厳しい、と言われるが、所得が高いほど消費も旺盛であり、また、消費税は個人だけではなく法人にも広がり、言われるほど公平性に乏しい訳ではないし、所得税等で賄うにせよ、国民全体の所得が落ちている現在、かなりの所得層まで課税対象を広げないと、実質的に徴収額が確保できない。
法人税も、大手企業でも既に納税額が０円の企業も多く、銀行からなど間接調達中心となる、中堅や中小企業に負担が増すだけだ（赤字企業は追加融資を受けづらいので、何とかして黒字化して納税するのが、中堅や中小企業の暗黙のルールである）。
そして、所得税は、高額所得者ほど税金対策を行っており、所得税を上げれば上げるほど、抜け道を探して実行する。結果的に、消費の主体者であるサラリーマンという、「取りやすいところから取る」という結果になるだけだろう。これでは、一気に消費が冷え込むリスクが非常に高い。サラリーマンに打撃を与えて、良い結果になった試しはない。
また、被災地にも課税されるのでダメだ、という話が出ているようだが、これを言いだすと何も決まらない。マイナス評価主義の現れだろう。本当に日本の良くないところだ。第一に、被災地に課税されても、被災地に還元される。被災地の方は一時的に国に預けるだけ形になるだけで、別に完全に持っていかれる訳ではない。そして、課税したら生活が苦しくなる、という話は、それ以前に生活が苦しいのだから、さっさと支援金を確保して支援するなり、逆に被災地の所得税や法人税を減税すれば良い。そうすれば、企業は被災地の生産拠点などを完全に移転させることは思いとどまるかもしれない。
何かを行えば課題が発生する。所得税や法人税課税にすれば、確実に消費を減らすので、日本経済全体にマイナスとなるのは確実であり、結果的に、被災地への支援額の確保が難しくなる。そこまで考えた上でどうするか、という観点で方策を検討すべきである。
決して、減点主義の発想で取り組んで、今までと同様の失敗をおかさないで貰いたいものだ。
　
但し、恒久的に増やしてしまうと、単なる増税なので、これでは理解が得られない。
そこで、期限を定めるのだ。
期間としては、小売を中心に消費税の更新にコストがかかる以上、1年間では手間ばかりかかるので、出来れば2年程度は行った方が良い。ただ、震災とは別に、税のあり方が議論されており、消費税の見直しも当然含まれるだろう（増税の方向で）。
それに最短でも2,3年はかかるだろうから、消費の冷え込みという悪影響のことを考えると、そこまでには終えたい。
そうるすと、1～3年という期間となる。
消費税1%で概ね2兆円だから、最低限の生活基盤づくりという意味では、何とか賄える規模になる。
　
これ以降は、どちらかと言うと、規制緩和などを大胆に打ち出し、震災特区として自主的な復興を後押しする。
優遇税制や農業の法人参入許可、水産加工施設など関連企業を集中させるスーパー漁港の整備（分散投資を避け特色のある集中投資を各地で行う）、復興関連ファンドの優遇（例えば、一般の方から集めたファンドで漁船を買い、漁船を失った漁師に貸して水産物を含むリターンを得る。このリターンを無税にする。土壌改良が必要な農地にも買い取り＋土壌改良で賃貸と農作物によるリターンなども考えられる）など、投資を呼び込む仕組みが必要になってくるが、これはこれで別途議論が必要なテーマだろう。
　
もちろん、消費税の一時増税だけでは不足するのはわかっている。しかし、4兆近くの裏打ちがあれば、マーケットへの影響は限られるだろうし、それだけの紐が付かない真水があれば、個人の支援に繋がる純粋な住基盤の整備に使う目途も立つ。それが、国民からの付託であると考えれば、無駄な独法をつくったりして、無駄に労費することはさすがに抑えられるだろう。
再建のための呼び水・土台作りとして、この程度の真水資金は短期間で必要だし、投資の方法によっては、その後の財政出動を抑制することも可能となる。ドイツ東西統合時も、一時的に統合のための税を設けていたし、それによって東側の再開発が劇的に進んだのは事実である。国民で支えるのであれば、その程度の負担はあって然るべきではないだろうか。
　
<strong>【自然エネルギー促進税も同時に】</strong>
　
今回のもう一つの災害（人災という指摘もあるが、基本は津波を起因とする自然災害が主要因だろう）である原発事故であるが、こちらに対する恒久的対策もうっておくべきだ。
私は、原子力工学出身であり、基本的には現時点においては原発容認派であるが、発想のベースは「原発は必要悪」である。
なぜなら、発電システムの中で、最も高出力でＣＯ２も排出しないが、同時に、最もハイリスクであり、高レベル放射性廃棄物は必然的に排出され、なお且つ、日本の非常に高い技術力を持ってして、何とか安全に運用でき得るギリギリのレベルにあるからだ。同時に、現時点においては現実的に原発なしに日本の電力消費は担える状態にない、という事実も受け止めるべきであろう。
中東の内紛で簡単に価格が急上昇したり、下手をすると入手が困難になりかねない石油に頼る電力供給体制は、エネルギー安全保障上の観点からも、適切とはとても言えない。日本は海洋国家のため、ヨーロッパなどと異なり、電力の形でエネルギーを輸入するのは難しい点も、急激な変更が出来ない理由に挙げられよう。
しかし、ハイリスクである以上、原発を更新して安全性と効率性を増しつつも、数自体は減らしていき、エネルギー構造を変える努力はし続けなければならない。
　
そこで重視されるのは、日本国内でも確保できるエネルギー資源であるが、日本の技術力優位性や産業振興を考えると、太陽光及び風力による自然エネルギーの活用は外せない。
確かに、自然エネルギーは自然を相手にする以上、供給の「不安定性」という問題があり、一概に解決策にはなりにくい。しかし、日本全国に散らすことが出来れば、東西の電力相互供給（周波数変更）の問題を解決すれば、面として国土を捉えられるので、発電所ほどではなくとも、一定の安定性は保てるだろう。
太陽光発電所の話では、設置面積の広さが障害要因として挙げられるが、主に住居の屋上に設置すれば、膨大な面の確保が可能となる。日本の太陽光発電システムは非常に高度であり、発電所の形で運用しなくとも良い、という利点は大きな強みとなろう。
　
そこで、今回の震災復興税の一部（率で言うと、2%のうちの0.5%程度）を自然エネルギー促進税とし、太陽光発電及び風力発電の導入に補助金を出すのである。あるいは、避難所となりうる学校などの公的施設には、100%に近い設置を目指すのだ。
特に、太陽光については、夏の電力需要期に向けて重要な対策となる。<a href="http://www.fri-associates.com/blog/current_topics/000139.html">「原発停止による電力不足」から考える</a>でも述べたように、太陽が照っている時ほど暑く、その分、エアコンによる電力需要が増すが、当然、太陽が照っていれば太陽光発電も出力を増すことになる。これにより、ピークの相殺効果が出るため、最大需要期に併せて発電設備を準備し稼働させる、という基準で考えれば、かなり停電のリスクは下げることが可能となる。
※ 但し、電力の安定供給の面で課題はあり、短期的にはLNG（ガス）火力発電の増強や家庭用燃料電池（ガス発電）の普及、中長期的には原子力発電における高温ガス炉など軽水炉よりも安全性の高い新型炉の開発などが必要
　
また、産業面で見ても、補助金は国内産に限定すれば、国内産業の振興にも繋がる（非関税障壁と訴えられる可能性はあるが、震災復興の一部として期間限定で実施すれば、そこまで多数の非難は起きにくいと考えられる）。
それに、東北地方は風が強い地域も多く、地域産業への貢献にも繋がる。
当然、設置には工事が必要だから、そういった方面での需要も増すことになるし、中長期的にメンテナンスなどの安定的な需要も見込めるはずだ。
更に、発電量が増してこれば、スマートグリッドなどのインフラ系の投資も増えてきて、自然エネルギー活用について、世界的に技術的優位に立つことも可能となってくる。これからの世界貿易において、インフラ投資は見過ごすことの出来ない領域である。
　
今回の震災においては、阪神と異なり、地域産業基盤にかなり幅広く大きなダメージを与えたため、より産業振興による押し上げが必要不可欠となる。
その観点で、自然エネルギー関連は重要な位置付けとなるだろう。原発の問題がクローズアップされているタイミングでもあり、併せて進めるべきではないだろうか。
　
　
最後にまとめよう。
幾つかの地域においては、社会インフラと住基盤へのダメージが大きく、また、将来的な津波被害への対処も考えると、根本的な見直しを行った方が結果的に良い成果が上がる。財政的に圧縮しながらも生活も便利な形での再建策として「コンパクトシティ」が挙げられ、防災拠点との複合化により、更にその価値は高められる。
復興財源の確保としては、時限的な消費税増税が適切だと考えられる。地域の社会及び住インフラへの十分な資金供給と投資を行うことができる金額を確保しなければならず、特定層や法人などに限った課税ではなく、国民全体で支えるという意図も含めて、消費税はある程度有効な手段と考えられる。
原発被災に起因する計画停電に対応するエネルギー政策としては、やはり徹底的な自然エネルギー活用への転換が欠かせない。特に、夏場を乗り切るには、太陽光発電は欠かせないものであり、尚且つ、国内産業の底上げにも繋がってくるものをチョイスすべきだろう。
以上が提案の骨子となるが、今回の震災は被害が広域かつ大規模であり、ある種、目玉的な復興を用意し、内外から投資を呼び込むことを意識しなければ、正直支えきれないと考えている。そのため、如何に復興投資を乗数的に膨らませられるかが、中長期的対策においては重要なのである。そこまで考えての政策でなくては、被災地の本質的復興はなされないのである。
阪神・淡路大震災にあった者として、一日も早い対策の実施と復興の実現を願ってやまない。
　
　
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。現在は、大手監査法人にてメーカーを中心に、（グローバル）グループ経営の在り方などのビジネスアドバイザリーサービスを提供している。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
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   <title>日本における教育の問題点と学力低下 ～ゆとり教育はなぜ失敗したのか～</title>
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   <published>2010-10-27T14:49:36Z</published>
   <updated>2010-11-26T18:49:41Z</updated>
   
   <summary>「ゆとり教育の失敗」とそれによる「学力の貧困化」が、最近言われるようになったが、「ゆとり教育の失敗」そのものには賛成するものの、原因分析につ...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="Current Topics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      「ゆとり教育の失敗」とそれによる「学力の貧困化」が、最近言われるようになったが、「ゆとり教育の失敗」そのものには賛成するものの、原因分析について大半のものが読んでいて違和感を感じてしまう。そこで、ＦＲＩを通して出会ってきた学生の変化を踏まえながら、この問題をひも解いてみたい。


      <![CDATA[　
<strong>【ゆとり教育の導入】</strong>


なぜ、ゆとり教育が導入されたか、という歴史背景は、今更ではあるが、問題把握に必要なので、ざっと確認してみよう。
ゆとり教育以前の日本は（実際は今もあまり変わりはないが）、「答えのある」問題を如何に素早く解くか、に特化してきた結果、大量生産時代において驚異的な回復を見せたのであるが、それは他者にも真似され易い、という欠点を持っており、主に新興国と呼ばれる国々に、そこを突かれた格好になっている。しかも、特に先進国においては、「答えのない」課題に一定の解を導きだす力が重要視されており、教育が社会環境の変化についていけていない、という背景もある。


その中で導入された「ゆとり教育」であったが、根本的な部分で判断に誤りがあった。
それは、判断時点における現状分析の誤りである。
「ゆとり教育」の基本は、詰め込み教育＆過度の学歴競争を問題の元凶とし、勉強量を減らし、詰め込み時間に余裕を持たせ、空いた時間を主に情操教育など、今まで行ってこなかった、あるいは手薄だった教育に振り向けるものだ。ついでに、過度な競争を避ける、という意味で、勉強が苦手な子の活躍の場である運動会等から、順位を奪い取ってしまったり、成績順の発表をやめてしまった（今回は触れないが、これは、子供の多様性を奪う最悪な判断の一つだ。どこか一つは長所があり短所がある、という人として欠かせない気づきを奪った重大かつ最大の判断ミスと言えよう）。
とにかく、適度な競争が社会的発展を生み出してきたことを無視して、過度な競争は悪、と決めつけてしまったのである。


<strong>【現状分析の誤り】</strong>


しかし、本当にその分析は正しかったのだろうか。
一部分は合っていると言えるが、問題の根源を見出し損ねた、と言うのが、私の見解である。


この問題の最大の課題は、詰め込み教育や過度の学歴競争ではなく、一言でいえば、「インプットとアウトプットのバランスが悪い」ということに尽きる。
なぜ、なかなか根本的な思考力が身に付かないかと言えば、アウトプットする機会がない、あるいは少ないから、インプットを活かす思考力が身に付かない。簡単に考えればわかることだ。しかし、ゆとり教育が失敗したのは、インプット偏重で量が多いから、と言って、インプットする側を減らしてしまったことに尽きるだろう。
インプットの質に問題はあったにせよ、私は量が極端に多いとは思わないし、ビジネスパーソンも含めて勉強不足だとすら思う。国際的な調査でも、日本の自主学習時間は世界最低レベルという結果に終わっている。まあ、詰め込みだけの勉強に興味を失った結果とも言えよう。
結局、アウトプットを伴わない記憶力勝負のインプットばかりしていることに、問題の根源があるのだ。
問題解決の基礎、現状分析でこけてしまった代表例とも言える。


やるべきだったのは、インプットの量を考えるのではなく、アウトプットの場づくりを考え、それに応じて、インプットの質を変えることだったはずだ。アウトプットの方法論を学ぶと共に、アウトプットの機会を増やし、自身の気づきを表明して他者の反応にさらされる、という経験を積んでいくことこそ、答えのない課題に対処する力を身につける方法だからだ。
更に言えば、そういった学習方法でなければ、自ら興味関心を持って勉強しようとは思わないだろう。
勿論、ゆとり教育の意思決定をした人たちが、元々、インプット偏重の教育を受け、選抜されてきた人たちであるから、それを責めるのは、少しかわいそうな気がするが、しかし、判断を誤ったのは事実だし、それを受け入れたり後押しした、学校関係者やマスコミ、国民は、素直に反省すべきだろう。


私は、円周率：π＝３、と聞いた時には愕然としたものだ。覚えにくいからと言って、単なる「３」にしてしまったのは、子供から考えるきっかけを奪ったに等しい。πとは3.1415…のように、ずっと割り切れないもの代表格だ。小さいながらに、なぜそんな事になるのだろう、と疑問を覚えて、πをどのように算出するのかの考え方を調べたりしたものだ。確かに、3にすれば3.14まで覚えたり、計算が楽になることだろう。しかし、最も大切な「なぜ」と感じるきっかけを失ったことに対するリターンが、単に計算が楽になるでは、割に合わないのではないだろうか。


<strong>【目的のある詰め込みは意味がある】</strong>


私も詰め込みの代表格である受験勉強はした。
第二次ベビーブーマー（団塊ジュニア）のはしくれとして、いわゆる受験戦争を経験したのであるが、その無意味さを理解しつつも、家庭の事情等から自分なりに懸命に努力し、何とか最もお金のかからない地元の国公立の大学に現役で合格できた。
その時の知識自体は、その多くが直接役立ってはいないものの、どうやれば効率よく勉強できるか、集中するための方法、問題集を攻略するスケジュール作りなど、色々なことを考えたし、一定期間の長期戦にも対応できるようになった。受験勉強がなければ、勉強に対する耐性は、かなり弱いままだったと思う。数学などは、今でも抵抗感が薄いのはありがたいと感じるし、科学に対する興味・関心もその時のベースがあるからこその部分はあるだろう。


詰め込み教育が良くないのは賛成だが、知識量はアウトプットと紐付くことを前提にすると、多いに越したことはないとも思う。やはり、自らの仕事ややっていることに応じて、きちんと読書などの勉強をするビジネスパーソンとそうでないビジネスパーソン（している事と関係ない読書ばかりをする人も含む）とでは、成果の出方が大きく違うと感じる。アウトプットを伴うことを前提にすると、勉強はやはり必要なものなのだ。
だからこそ、その時点での「勉強量」だけを論点にした「ゆとり教育」の導入は、問題の絞り込みが誤っていると感じるのである。


ＦＲＩのイベントでも、必ず「アウトプットの場」を大切にするし、それに対するＦＢ（フィードバック）を重視している。例えば、名著をもとにプレゼンをして貰い議論をする、という事はしても、著名人を呼んでの単なる講演会のようなものは、決して行わない。ディスカッションであれ何であれ、とにかくアウトプットする場を必須としているし、出来る限り、アウトプットしっぱなしにならないようにしている。
なぜなら、良い話を聞いたからと言って、知識欲は満たせても、本当にそれが使えるようにはならないし、翌日から実際に使う人はまずいない。相手の成長に貢献できないことは、理念に照らし合わせてやるべきではないと考えるからだ。
そして、アウトプットの質を高めるのは評価、すなわちＦＢである。更に言えば、ＦＢは行う人にとってのアウトプットの場だ。する側もされる側も、どちらも学びに繋がるし、考える時間を確実に確保できる。


少しイメージして欲しい。前に立って「自分の意見を話せ」と言われたら、「どうしよう」と何度も話す内容を推敲しないだろうか。更に、「話した相手に納得して貰え」と言われたら、今まで考えもしなかったくらい、頭をフル回転させるだろう。
そういったことを繰り返すことで、今流行りの脳科学的にも、脳の回路が再構成されていき、考える力が身についていくのである。
覚えて答えるだけでは、単なる（知識の）倉庫と同じだ。
知識を加工して新たな製品を作る（創造する）工場に、自分の脳を変えていくには、市場の評価を真摯に受けとめ、必要な投資を行い、日々の改善を欠かすことなく行うことが必要なのである。


<strong>【学校教育に押し付けず社会全体で解決すべき】</strong>


一つの解決策は、教育に企業や地域の力をもっと取り込むことである。
ハッキリ言って、教師に全てを押し付けるのはお門違いだ。但し、かわいそうだ、とか言うつもりはない。そもそも、大学を出て、社会経験もないまま教師になった人に、表面上ならいざ知らず、社会教育の深い部分までさせよう、というのはそもそも無理があるのだ。学校を社会に出るための予備校だと考えたら、社会に出ている人が社会経験を活かして教育に参画するのが、最も合理的である。寺子屋以前は、そうやって育ててきたのではないか。
更に、少し話はそれるが、モンスターペアレントも、自らが教える立場にたたされたら、きっと鳴りを潜めるに違いない。他人事だから、様々な要求が出来るのである。人間という生き物として、子供の教育に、責任を負わなくても良い部分など、本来は誰にもないはずなのだ。


方法論として具体的には、ＣＳＲ活動として行っている企業による授業などを、一定規模の会社には義務化する。ディスカッションやプレゼンテーションのような授業については、企業研修をしている会社や仕事でそのような業務を行っている職種の人に担って貰えば良い。子供相手の難しさを乗り越えれば、実務にも役立つはずだ。私も、塾講師をしていた時は、子供の興味関心がバラバラで、なかなか苦労したものだし、ＦＲＩ等で学生に理解して貰うのは、社会人に理解して貰うよりも、相当骨が折れるので、とても良い勉強になっていると思う。いかに自分が、無意識に自分の知識を前提に話してしまっているかがよくわかる。
こういった活動が定着化してくれば、例えば、一定規模の企業で働く人には、会社が社会活動に対して年一日の特定目的有給休暇を出させるようにし、自らが住む地域で教育活動に従事することを義務化しても良い。面倒がる人も多いだろうが、子供は社会で育てるのであれば、義務的に行うこともやって良いと思う。その中で、社会との繋がりを持つ父親・母親も出てくるだろう。
また、地域の団体、特に固有の文化や環境を守ったり研究しているようなところに協力して貰い、地域文化・環境についての授業を受け持って貰う。そういった団体は高齢者の方も多いし、世代を超えた交流も生まれるだろうし、子供は地元に対する興味関心も湧くだろう。まさに、一石二鳥だ。
地域単位で、発表の場づくりが出来れば、評価される機会も増えて、他の人の発表も聞けて、気づきの機会が増えるに違いない。学校の勉強、運動会、学芸会などに続き、子供の新たな活躍の場を提供することにもなる。
そして、学校はそういった時間を必ず確保させるようにし学校にそれを誘致させる。こちらも最初は義務とする必要があるだろう。学校という閉鎖環境から出るのは、大変な苦労を伴うと思うが、結果的には、先生自身の勉強にも繋がるし、社会との接点も確実に増やせるだろう。本当の意味での開かれた学校づくりに手を貸すことになるに違いない。
過疎地域については、一定地域から小旅行の形で集めて行う。そうすれば、企業側も協力しやすいし、子供は他校との繋がりも生まれ、視野を広げる一助になろう。


子供は、社会で教育する。それを掛け声だけに終わらせず具現化すれば、教師のような専門員を軸に、社会が力を出し合って学ぶ機会と幅を増やしていくことが欠かせないのではないだろうか。
当たり前の感覚で、アウトプットの場づくりをすることが、今、最も欠けていることではないかと考えるのだ。


最後に、大切なことに触れたい。
それは、「人は考えることが好きな生き物」であると言うことだ。
今まで、日本の義務教育を受け、受験勉強に明け暮れ、記憶力と知識だけが全てと思っていた学生が、徹底的に考え抜くことを求められ、苦しみながらも自分の意見をまとめて伝える。そんな場面に何度も立ち会ってきたが、例えそのアウトプットが、どのようなレベルであったとしても、彼ら彼女らは、「他では得られない経験」「これからもこういう経験をしていきたい」と話すのである。その時の目の輝きは、小さな頃に空き地探検で、擦り傷をたくさん作りながらも、色々なものを見つけた時と同じだと思うことがある。
私が、ＦＲＩの活動を続けるのは、その言葉を聞ける喜びと、そういった人の根源的なものを信じたいからだと思う。
大切なのは、覚えさせる時間を増やすことでも減らすことでもなく、気づきの機会を増やして、次の一歩を踏み出す手助けをすることだ。教育のやり方を少し工夫すれば、こういった子供達が日本中に溢れる日がきっと来るだろうと信じてやまない。
私達大人の義務として、決して「（教育先進国の）北欧で生まれていたら良かったのに」と子供が社会に出るときに思うような国に、日本をしてはいけないのである。
　
　
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。現在は、大手監査法人にてメーカーを中心にビジネスアドバイザリーサービスを提供している。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
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   <title>議論がうまく進まない理由とは ～会議をリードし成果をあげる方法～</title>
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   <published>2010-10-18T14:40:00Z</published>
   <updated>2011-03-01T18:16:15Z</updated>
   
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      仕事でもそれ以外の場でも、複数の人が集まって議論をすると、なぜか同じ課題で同じ方向性を向いているはずなのに、議論がもめてしまったり、上手くまとまらなかったりする。課題の確認が出来ていない、情報共有が出来ていない、という話は聞くものの、それでも議論というのはもめてしまう。
その理由は、一体どこにあるのだろうか。


      <![CDATA[　
<strong>【やりたいことが違う】</strong>


ちょうど今、引越をすべく準備をしているが、ある引越屋さんから面白いアドバイスを貰った。
「片づけながらの箱詰めは止めてください」
引越というのは、片づけながら箱詰めするんじゃないのか、と思ったが、良く聞くと、必要な荷物と捨てる荷物の選別をしながら箱詰めすると、非常に時間がかかって間に合わなくなる人が大半なので、まず、捨てる荷物を捨て切ってから、整理しながら箱詰めした方が良い、という話であった。
確かに、詰めながら捨てる捨てないの作業をすると、どれだけの荷物を詰めれば良いか見えないし、判断に迷うと箱詰め作業が滞ってしまう。詰められるから捨てなくても良いか、となってしまう事もある。
そう言われて、とにかく荷物を減らす作業だけ進めると、時間はかかっても今までの引越でたまった荷物も含めて、かなり身軽になることが出来た。そこまで行けば、後は詰めるだけ、なので、どう箱詰めすれば荷解きも楽か、そちらに集中して上手くパッケージングできる。


少し話は違うかもしれないが、荷物を減らしつつ引越を済ませる、という目的は同じでも、違う方向性の作業を一緒にすると、非常に進みが悪いことがある。捨てる捨てないは判断だし、箱詰めはオペレーションに近い。
意思決定とオペレーション（作業効率）を、例え同じ時間でも、同時に進めるのと、分けて進めるのでは、大きな差があるということだ。


実は、議論がもめる理由は、これに近い。


<strong>【議論には二種類ある】</strong>


あまり認識されていないが、実は「議論には二種類ある」ということを理解しておく必要がある。
高度な部分でまとまらないケースもあるが、大抵の場合、この違いを理解せずに一緒にやってしまうことでもめているのだ。
しかも、当の本人達は、気持は悪いものの、本質的には気付いていないままである。
実際、その違いを理解し、議論を切り分けて行うと、内容で議論がもめることはあっても、理由がわからずにもめる、という事はほとんどなくなるのを、私は何度も見てきた。


それは何か。
「絞り込む」ための議論と「発散させる」ための議論である。


「絞り込む」ための議論とは、何らかの決定をするための議論だ。
例えば、A案とB案とC案があって、そのうち、どの案で行くか、という議論をするケースである。
３→２→１と絞っていくので、絞り込むための議論となる。


「発散させる」ための議論とは、代表的なものは「ブレインストーミング（Brainstorming）」だろう。
例えば、旅行したい先を制限なく挙げる、というものだ。人それぞれ、様々な観点で意見が出るが、多様性が是とされるものであり、製品開発においては、必ず何回かはそういう場面を通ることになる。


では、なぜこれらが違うのだろうか。


<strong>【議論の目的が異なる】</strong>


考えてみれば簡単だ。
例えば、発散させる議論をしている最中に、「それって違うんじゃない？」と言われて、話が盛り上がって色々と意見が出るだろうか。あるいは、絞り込むための議論をしている最中で、「でも、こういう案もあるよね」と色々と話を切り出されて、話がまとまるだろうか。
そして、その状況で、自分がどちらかのスタンスを取っている際に、違うスタンスで来られて、それを歓迎できるだろうか。私も、それをされるとイライラすると思う。
ところが、「これから絞り込みをします」と決められると、どうやれば合理的に絞り込めるか、というところに全員の意識が向くし、「これから色々な意見を聞くので、出てくる意見を評論・否定しないでください」と言われたら、安心して多くの意見を出す努力をするだろう。


それぞれのゴールが違う以上、同時にやって上手く行く訳がないし、一緒にやって楽しいはずがない。
そんな中では、良いアウトプットも望むべくもないだろう。


だからこそ、議論をリードする人は、まずこれからする議論は、どちらの議論なのかを理解し、出来る限り全体でそれを共有して、議論のルールを決めることが大切だ。
例えば、「絞り込むための議論」であれば、一定の時間的猶予を取った後、新たな提案は原則しない。但し、どうしてもしたい場合は、理由を明確に、現状の判断軸に照らし合わせた上で伝える、ということをルールとする。
「発散させるための議論」であれば、基本、ブレインストーミングのルールを参考にして貰えればと思うが、最低限、出てきた意見を一定期間は評価・否定しない、というルールは必須だろう。ただ、注意すべきは、否定はしないが評価・評論する人がいるが、それも原則してはいけない。これは良くある勘違いなので、気を付けた方が良いだろう。


<strong>【議論には流れがある】</strong>


議論は、収束と発散を繰り返すことで、洗練されたアウトプットに繋がっていく。
つまり、絞り込みと発散を繰り返す必要があるし、議論の大半は、そのどちらかになるということだ。
それがない議論は、議論ではなく雑談だろう。


議論に参加する者、最低限、議論をリードする者は、この違いを理解し、それぞれ異なった進め方を取ることで、議論の生産性は飛躍的に上がることは間違いない。
是非、次の議論の場から試して貰いたい。それによって得られるアウトプットの違いが、良く分かって貰えるだろう。


最後にまとめよう。
議論がもめる理由は、議論にも二種類ある、ということを認識できていない、ということが多い。
それは、「絞り込む」ための議論と「発散させる」ための議論の二種類である。
重要なのは、二種類の議論をまとめてやらず、分けて行うことだ。
そうすることで、絞り込みや発散、それぞれの出てくるアウトプットのレベルは向上し、必要時間は短縮化される。
また、それを担保するために、個々の議論における最低限のルールは持っておきたい。
後は、実行あるのみだ。是非、体験して効果を理解して貰いたい。
　
　
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。現在は、大手監査法人にてメーカーを中心にビジネスアドバイザリーサービスを提供している。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
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   <title>シンプルに捉える秘訣 ～切り分けることの重要性～</title>
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   <published>2010-10-12T16:43:56Z</published>
   <updated>2010-10-22T07:32:48Z</updated>
   
   <summary>「うちのビジネスは複雑なので…」 コンサルティングなどでも良く聞くセリフだが、しかし、実態として複雑なビジネスなどほとんどない。なぜなら、複...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
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      「うちのビジネスは複雑なので…」
コンサルティングなどでも良く聞くセリフだが、しかし、実態として複雑なビジネスなどほとんどない。なぜなら、複雑なビジネスは成功しない、という言葉通り、シンプルだからこそ儲かるし拡大するからである。
逆に、本当に複雑であれば、早急にビジネスを見直すべきだろう。そのビジネスは、必ず下降し始めるからだ。

      <![CDATA[　
例えば、UNIQLOは複雑な流通構造を持つアパレルにおいて、SPAというシンプルな構造をとることで、あれだけの収益を継続的に生み出すことに成功した。事実、トップブランドを除き、グローバルで成功しているアパレルの多くが、SPAの形態をとっている。
また、古い産業が傾いていくとき、色々なものが積み重なって、全体が複雑化してしまっているケースが大半である。そうなると、かけるべきところにお金をかけられず、全体の価値が落ち、顧客の評価を失い、後は、スパイラル的に落ちていく。
複雑なモデルというのは、そういったリスクを常にはらんでいると考えた方が良いのである。


では、なぜ多くの人が「複雑」と思ってしまうのか。
それは、物事を一体的に見過ぎか、あるいは細かく見過ぎなのだ。
理由は後ほど話すとして、最初に話したような方達の話を聞いていると、捉え方に課題があることが大半である。


例えば、自動車を題材に考えてみよう。


皆さんは、自動車（標準的乗用車）はどの程度の部品で出来ているか知っているだろうか。
かなり大雑把だが、だいたい１～３万個程度の部品から出来ている。エンジンだけでも1000個程もあり、そう考えると、とても複雑な乗り物に思えてこないだろうか。仕事で大手メーカーの系列会社でエンジン回り部品を見る機会があったのだが、たぶん、その仕事をしていなければ、一生知らずに終わったようなものが幾つもあったくらいだ。
また、自動車を自動車というレベルで捉えた時、なぜ走って止まるのか、という基本的な原理がわかるだろうか。もちろん、人に依りけりだが、自動車に興味がなく免許も持っていない人であれば、どうやって走るのか説明できない人も多いだろう。そういう人にとっては、自動車、と聞くだけで、複雑怪奇な物体に思える。
前者を見れば、誰でも細かくて複雑に思えるだろうし、後者の立場にたてば、運転するか同乗する以上には理解を進めようとはしない。


しかし、自動車というのは実は、車を動かす力を生み出すエンジン回り、その力を上手く伝達させて操縦したり走行・停止させる駆動回り、ライトなどの電装回り、車室内を快適に保つ室内環境回りの大きく４つ程度からなっている、のであり、その程度の大きさで見れば、何となくわかる気がしないだろうか。
そこから気になる部分をより深く知ろうとすれば、決して、「複雑だ！」という感覚に捕らわれて、それ以上知ろうとしなくなる事はないだろう。


要は、細か過ぎず粗過ぎず、適切な大きさに切り分けることで、人は物事を理解しやすくなる、という基本原理を忘れてはならないということだ。
そして、「複雑だ」という思い込みこそ、思考を停止させる大きな要因であり、また、多くの場合で、言い訳に使われてしまっているのではないだろうか。


これは、ビジネスでも同じである。


「誰に」「何を」「どのように」
私がビジネスを把握する時は、上記のフレームにあてはめて考える。５Ｗ１Ｈは私にとって情報量が多すぎるからだし、その程度に収められないと、他の人も直ぐには理解できないからだ。
正直、これさえわかれば、初期段階としての準備はほとんど終わったと言って良い。後は、それぞれの中身を細かく詰めていって、実行に耐えうるように検討し、ＰＤＣＡを回していけさえすれば良い。


他にも「創って」「造って（作って）」「売る」という三枝匡氏の言葉や３Ｃや４Ｐなどの古典的フレームもある。あるいは、事業とは「商品×市場」だし、有名なポートフォリオも二軸で整理している。
他にも「物理的・感覚（精神）的」「責任・実行」「感情・論理」「権利・義務」「本音・建前」「帰納・演繹」「動的・静的」「必要・十分」など、私たちの周りにも単純な二項的フレームはたくさんある。


例えば、マーケティングのセグメントの仕方は、デモグラフィックかサイコグラフィックの二種類と覚えても差し支えないし、プライシングの仕方は、コスト積上型（かかる費用から算出する）かマーケット型（競合などマーケットで決まっている価格を前提として決める）か、大きく二種類で認識した方がわかりやすい。ビジネスも、賞味期限があるもの（食品だけでなく服などの流行ものも含めて）と長期的なもの（インフラ系や医療系など）では、利益の源泉が異なる。前者は基本、在庫を売り切ってロスをなくすことが、最大の利益源泉となるが、後者は商品サイクルコントロールによる価格維持や競合対策が重要となる。


そういったわかりやすいレベルで何度か切り分けていけば、それぞれを適切な大きさに区切ることが可能となる。
そうなれば、それを元に判断し料理するのはたやすい。


但し、優秀な人ほど陥りやすい失敗もある。
それは、普通の人がわかりやすいと思うよりも、とにかく細かく切って、抜け漏れをなくすことに心血を上げてしまうことだ。
こうなると、作った人以外は簡単にはわからない代物が出来上がる。
財務に詳しい人が作ったExcel表は、このパターンにあてはまることが多い。10億の話をする時に、千円の話に心血を注ぐことの意味を考えればわかるはずだが、それよりも精度を追求してしまうのだろう。気持ちはわからないでもないが、本来の目的を考えて何が重要かの判断は、常に行っていくべきであり、手段と目的を履き違えてはいけない、という典型例と言える。
一度に切り分けるのは、目的にも寄りけりであるが、２～５程度までを基本としておくと良いだろう。
つまり、９割カバー出来ればやり過ぎ、くらいの感覚で物事を見ていく曖昧さも併せ持つ必要があるのだ。


また、切り分け、という作業は、もろ刃の剣でもある。
それは、わかりやすい半面、細かな部分が見えにくいので、確認漏れが出やすい、ということだ。
なので、切り分ける人は、本当にこれで良いのか、という見直しを徹底してやる、という条件が、上手い切り分けの前提となってくる。
簡単なように見えて難しいのは、出てくるものに至るまでの作業が、アウトプットに対してかなりの量と精度を求められるからなのだ。心してかかって貰いたい。


最後に、上手い切り分けをするためにはどうすれば良いかに触れて締めくくりたい。


まず、色々な切り分けを身につけること。考える上での引き出しが多いほど、出てくるものも増えてくる。基礎の上に応用がある、という当たり前の話だが、なぜそういう切り分けが良いのか、どういう時には適切で、どういうときには不適なのか、程度まで、頭に入れておく必要があろう。
時々、ＭＢＡなどの本に載っているフレームワーク（古くはSWOTや3C、4P、5FORCES等々）だけを覚えて使う人がいるが、それが得意とする対象や欠点などを理解し、自分なりに加工して使えるくらいまで追求しないと、本来の効果を得ることはない。本からの知識を使うのであれば、出来るだけ何冊も読んでみて、現場で使っている人にたずねるくらいの努力が必要だ。


もう一つは、素直に考える、ということだ。多くの人は物事を複雑に考える傾向があり、それが優秀さを示すものだと勘違いしがちだが、実は、物事をわかりやすく簡単に話せる人の方が、結果的には高く評価されるし、私もそのような人に会うとそう感じる。そのためには、可能な限り素直にわかりやすく考える、ということだ。「こんな簡単で良いのか？」と自分で不安になるくらいでちょうどいいだろう。
例えば、商品企画であれば、「あなたは欲しいか？」「家族は買うか？」「誰が一番買うのか？」「何が売りか一言でいえるか？」「どこで売ったら一番売れるか？」というような問いを何度もして、そう思う先にフィールドワークに行ったり、ヒアリングをしてみることだ。「○○理論によれば…」などと言われるよりも、生の声の迫力の方が、よっぽど説得力があるものである。


上手く切り分けられれば、物事は全く違った形でシンプルに見えてくる。
是非、その違いを皆さん自身で経験して欲しい。


それでは、まとめよう。
上手くいくビジネスの秘訣は、シンプルなことである。
そのためには、物事を適切に切り分けて、シンプルに捉えていく力が欠かせない。
切り分けは、２～５程度を目安に、細か過ぎず粗過ぎず行わなければならないが、そのコツは、１００％カバーしようとせず、８割９割カバーできれば上出来、と思うことである。
また、「色々な切り分け方を使いこなせるレベルで知っておくこと」と「不安になるくらい単純に素直に捉えること」が、切り分けのレベルを上げるうえで欠かせない。
この「切り分け」のスキルは、努力で身につけられるので、是非、チャレンジして貰いたい。


◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。現在は、大手監査法人にてメーカーを中心にビジネスアドバイザリーサービスを提供している。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
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   <title>リーダーシップにおける３つの勘違いとは ～リーダーの真の役割を考える～</title>
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   <published>2009-09-15T15:59:01Z</published>
   <updated>2010-10-21T01:59:32Z</updated>
   
   <summary>私はたまたま海外の方と接する機会もそれなりにあるが、日本と他の先進諸国で大きな隔たりがあると感じるところが一つある。それは、「リーダー教育」...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="マネジメント・リーダーシップ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      私はたまたま海外の方と接する機会もそれなりにあるが、日本と他の先進諸国で大きな隔たりがあると感じるところが一つある。それは、「リーダー教育」についてである。日本では、教育においてリーダーシップを学ぶ機会がほとんどない。いや、ないと言うよりも避けている、禁止している、と言った方がより的をえているかもしれない。
最近、若者にリーダーシップがない、と言われるが、そもそもリーダー教育を行わず、自助努力で何とかしろ、というのには限界があるだろう。



      <![CDATA[ 
勿論、教育があるから優れているかどうかは別である。しかし、無ければリーダーシップの重要性すら気付けない。それもあって、私はFRIを通じて「次世代リーダー育成」に携わっている訳だが、企業経営やNPO運営をしていくにあたり、リーダー教育のなさは、今後の、いや現在も含めて、日本を迷走させる大きな要因になるだろうと考えている。
 
そんな背景もあって、日本においては「リーダーシップ」イメージの根本的な勘違いが多いようにも感じている。例えば、リーダーに立つ者はもっとは賞賛されるべきだし、それ以上にリーダー自身は組織や社会に対して重い責務を負っていると考えるべきだが、なかなかそうはなっていない。ノブレス・オブリージュ（noblesse oblige）という言葉も最近聞くようになったが、日本でそれに類する教育を受けた記憶がない。
 
そこで今回は、その中でも特にずれていると感じるものを３つほど述べ、リーダーの本質について考えていきたい。
 
<strong>【フラットな組織やビジネス以外ではリーダーは必要ない】</strong>
 
そもそも組織をフラット化したらリーダーはいらなくなる、とか、競争を求められないビジネス以外の組織（例えば、ＮＧＯやボランティア組織）ではリーダーは不要だ、とか、何も考えずに聞くと、ついついうなずいてしまうような話をよく聞く。
 
しかし、果たして本当にそうだろうか。
私は、そもそも、そういった組織形態に応じてリーダーの要・不要が決まるのではないと考えている。
実際、フラット化しても、自然発生的にコアとなるリーダー格は生まれるし、ＮＧＯやＮＰＯ、ボランティア組織こそ、強いリーダーシップが必要となる。
なぜなら、前者だと権限が曖昧であるため、指示命令が上手く機能しにくい。だからこそ、フォーマルではなくともリーダーはより必要不可欠だし、後者も同じで、行動原理が「理念」に依るものだからこそ、リーダーは常にその理念を意識しつつ、メンバーの意識を集約させられるように尽力しなければならない。私が代表を務めるこのFRIにおいても当然同じであり、仕事よりもリーダーシップが求められるシーンが多いと常々感じている。
 
では、何がリーダーが必要か否かを分けるのだろうか。
 
それは「解決すべき課題」の存在だと考えている。
 
本来、組織・集団とは、何らかの課題を解決しなければならないはずだが、時間が経つにつれ、それが形骸化したり、元から存在意義（レゾンデートル／raison detre）が非常に希薄な組織、例えば、天下りのために作られた外郭団体などがあり、そういった組織では、ある意味、誰がリーダー職に就いても、ほとんど変化がない。
 
しかし、何らかの解決すべき課題があるほとんどの組織では、様々な解決手段の中から、その組織の置かれた環境や持てるリソース等を鑑み、どの手段を用いていくのかを、必ず決めていかなければならない。
その選択の巧拙で、組織のバリューに大きな差が生まれるからだ。
また、実際にその組織メンバーがその方向に動くように、全体を導いていかねばならない。
 
つまり、そういった「解決すべき課題」を持つ組織には、必ずリーダーは必要であり、その課題の難易度が高いほど、強く優秀なリーダーシップを発揮する必要があるのである。
 
<strong>【リーダーシップは男性の方が発揮しやすい】</strong>
 
組織を引っ張る様なリーダーには男性が向いている、のように言われる事が良くある。
実際、会社の管理職などで、未だにそう言っている人も多い。
 
確かにタイプによっては、性差はあるため、向き不向きはあるのは確かだ。
しかし、リーダー全般に対してというのは異なるだろう。
 
あなたは、緒方貞子氏をご存じだろうか。
そう、国連難民高等弁務官を三期もの長期にわたり務め、国際的にも非常に高い評価を得ている女性である。
確かに、元総理大臣の犬養毅を曾祖父に持つなど、環境的に恵まれていたかもしれないが、それを活かすも殺すも本人次第であり、それを活用して、あれだけの実績をあげたことは素晴らしい。
しかも、特筆すべき事は、個人の○○大使のような形ではなく、国連難民高等弁務官事務所という国際組織を率いて結果を出した事だろう。
例えば、国連機関が単なる調整機関に終わらぬよう、緒方氏は、現地事務所の裁量を増やし、職員を必ず一度は現地事務所にて働く事を義務づけた。それにより、現地での高い実行力を生み出し、UNHCRの名前をより広く知らしめる事を実現したのだ。
 
数少ないケースなのかもしれないが、これを見て、男性だから女性だから、と言う話が本当なのか、是非疑って貰いたい。
 
最初にも書いたように、性差は確かに存在する。
それは、考え方の違いにも現れやすいため、一切無視することはできない。
※ 詳しくはこちら：<a href="http://www.fri-associates.com/blog/management/000100.html">マネジメント力３ ～優れた上司とは～　『異性（男性・女性）のマネジメントのために』</a>
 
ただ、それは単にリーダーシップのスタイルが異なるだけで、リーダー向いている向いていない、という話では決してない。
確かに昔は、「ついてこい！」型のリーダーや、人情親父型リーダーなど、非常に少ないタイプのリーダーしかなかったのも事実だ。しかし、それも、今までが男性社会だったからなのと、リーダーシップについての議論が真剣にはなされてこなかったからだろう。
 
今は、リーダーシップのスタイルについての議論は、かなり深まっているし、欧米を中心に女性がとりやすいリーダーシップスタイルも提唱されている。ロールモデルとなる人も増えた。
もちろん、これは性別だけでなく、男性のリーダーシップスタイルも増えた事になる訳で、今までは向いていないと勝手に思い込んでいた人も、実は非常に向いているかもしれない、何てことが起きるかもしれない。
 
是非、多くの人がしっかりと学び、チャレンジして欲しいと思う。
リーダーシップも、基本的には実践する事が一番の糧になる事に変わりないからだ。
 
<strong>【リーダーは生まれついてのものである】</strong>
 
よく「昔からリーダータイプだったよね」などと話が出る事がある。
確かに、私もそれなりに小さい時からリーダーっぽい役割に就く事が多かった。
 
しかし、よくよく考えてみて欲しいが、誰しも小さい時から考えていけば、班長とか学級委員とか、何らかの役割をした経験があると思う。
全くない人は、自ら避けていた人だけではないだろうか。
 つまり、昔からリーダーをしている人が、必ずしも今リーダーである事はない、という事であり、リーダーというのは遺伝的なものではない、という事だ。
 
私は、リーダーというのは、役割であり、一部はスキルであると考えている。
学びによって、優秀なリーダーになることは誰でも出来るのだ。
 
唯一条件があるとすれば、その人が「解決すべき課題」を持っているかどうか、であろう。
それがなければ、結果的にリーダーになる事（手段）だけが目的になってしまい、リーダーになってから、方向性を見失って、組織に悪影響を及ぼしかねない。
 
よく「起業したいです」という人に、「何のためですか？」と聞いて、「理由が必要ですか？」と驚いた表情で聞き返される事があるが、これこそまさに手段が目的化しているいい例だろう。
もちろん、それが悪いとは言わないが、起業する過程において、あるいは、起業後にでも、何のために事業をするのか、という目的は持って貰いたい。
 
それを除いて考えた時に、本当にリーダーは生まれついてのものだろうか。
私は、結局は、それをやれるかどうか、つまり、覚悟の問題であると考える。
様々なリーダー像が語られているが、多くの優秀とされるリーダー達は、基本的に他者に対して聞く耳を持ち、現状を変えられるものと捉え、継続的な努力を欠かさない。
もちろん、リーダー毎の個性はあるが、これらの共通的特徴を見て、あなたはこれが「生まれついて」のものだと思うだろうか。
 
勿論、リーダーというのは、個人として優秀である事も求められる。
様々な意志決定を行い、それが組織に対して大きなインパクトがある以上、その精度を高める必要はある。
但し、それも上手くメンバーの力を活用し、常に努力し続け、メンバーの意識を集約していけば良い。
松下幸之助氏が「失敗はありますよ。しかし成功するまで続けたら、失敗はない。成功とは成功するまで続けることだ」と述べていたが、まさに、リーダーも同じである。
リーダーとして覚悟を決めて、成果を出すためにトコトン努力する。そうすれば、気付けば貴方はリーダーとなっているはずだし、周りもそう見ている事だろう。
 
それを踏まえれば、リーダーとは格あるべし、というものも、実は存在しないという事に繋がるのがわかるだろうか。
もし、そんなものがあるとするならば、それは「柔軟性」かもしれない。
その時その時で、最も最適なリーダースタイルを取れれば、結局のところ、それがベストなのだ。
社会が多様化した以上、リーダースタイルも多様化して当たり前なのである。
 
 
最後にまとめよう。
リーダーは、「解決すべき課題」が存在する組織には、必要不可欠な存在である。
お金が絡むかどうか、組織がフラットかどうかは関係ない。企業においてリーダーシップがよく語られるのは、社会の課題を解決しなければ、本来はその対価を得られないからである。
そして、リーダーシップを発揮するのに、性別は関係ない。また、加えて言えば、持てる性格も関係ない。但し、発揮しやすいリーダーシップのタイプ、発揮しにくいリーダーシップのタイプは存在する。
つまり、リーダーシップには複数のタイプが存在すると言う事であり、本来は、それらを複数組み合わせて、リーダーシップを発揮するのがベストである。
そういう面では、リーダーシップはスキルであり、リーダーは役割である。継続的な学びと努力、他者に対しての聞く耳、現状を変えられるという可能性を信じる力があれば良い。
但し、唯一資格があるとするならば、「解決すべき課題」を自分自身の中に持っているかどうかであると言えよう。それを持っているかどうかが、最後の一歩を踏み出せる力となるのだ。そして、道を外れないための道標として持てるのである。
そう、リーダーとは、そういった目的や信念を持つ者のことを指すのだから。
 
 
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
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   <title>ビッグピクチャーを描け ～改良改善の積み重ねでは真の改革・創造は生まれない～</title>
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   <published>2009-09-08T15:25:10Z</published>
   <updated>2010-10-21T02:00:39Z</updated>
   
   <summary>企業改革、行政改革、政治改革、どれも上手く進んだ例が非常に少ない。それはなぜか考えた事があるだろうか。どれも高いスキルが必要だからだろうか。...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="経営戦略論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      企業改革、行政改革、政治改革、どれも上手く進んだ例が非常に少ない。それはなぜか考えた事があるだろうか。どれも高いスキルが必要だからだろうか。
あるいは、事業予測は外れる。各地の道路や橋、地下鉄などの建設計画はあまりにお粗末だが、企業においても新規事業の立案などは、上手くいったケースを探すのが大変である。しかも、それにあたる人達は、分析能力に優れ、高学歴と呼ばれる人達であるにも関わらずだ。
しかし、本当にそれらはスキル不足や精度不足が招いた結果なのだろうか。


      <![CDATA[ 
<strong>【それは、何のため？】</strong>
 
結論から言えば、原因ではないとは言えないが、小さな要因であると言える。
 
例えば、私は<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/15243519.html">個人ブログ『デジタル一眼レフカメラの今後』</a>にて、一眼デジカメの将来を予測し、それは実際にその後にPanasonicを中心に発売された製品が証明しているし、スクールニューディールと言われる施策についても、過去に<a href="http://www.fri-associates.com/blog/current_topics/000139.html">コラム『「原発停止による電力不足」から考える』</a>にて提言してきた。
確かに私は、事業改革や事業企画というところの経験が豊富ではあるが、そんな緻密な分析から考え出した、という事ではないし、別に有名大学のＭＢＡホルダーという訳でもない。コンサルティング会社の勤務経験はあるものの、その期間は数年足らずだ。
それで、将来を見据えた話が出来るのだから、スキル不足や精度不足というのは、大きな理由にはなり得ないだろう。
 
では、何が不足しているのだろうか。
 
それは、「ビッグピクチャー」である。
言い換えれば、「戦略の具体的なイメージ」だろうか。
 
私は、様々な企画提案を見てきたが、そのほとんどが、「それで、どうしたいの？」と思うものばかりだった。
これに答えるのが、まさに「ビッグピクチャー」である。
 
仕事をした経験がある人はわかると思うが、単純作業でも、結果的にそれがどの様になるか、という事が見えているのといないのとでは、やる気の出方が違うのではないだろうか。
以前、私が勤めていたベンチャー企業で、新卒入社の部下の一人から、日々の業務（いわゆるオペレーション業務）に目的を見出せず、相談を受けた事があった。そこで私は、ちょうど私が受け持っていた案件で、社長プレゼンの機会があったので、参考までに連れて行く事にした。
結果として、具体的な部分までは理解しきれなかった様であったが、その日から部下はやる気を取り戻した。それは、自分の仕事が何に繋がるのか、具体的に見る事ができたからだ。自分の仕事が誰かの役に立つ。それを、手触り感がある形で理解できたのだろう。
 
これから行う事は、全体像としてこういう事をしたい内のこの部分で、それが実現する事で、全体に対してこの様な効果がある、という事があるのとないのとでは、それを見る人の納得感が全く違うし、ビッグピクチャーがある事によって、携わる人のやる気が全く異なるのだ。
 
<strong>【ビックピクチャーがないと納得感に欠ける】</strong>
 
「霞ヶ関改革」などはよく話しに挙がるが、どれも「改良改善」の域を出ない。これでは、真の改革など不可能だろう。
霞ヶ関の一番の問題は、「列強にアメリカに追いつき追い越せ」の仕組み、すなわち明治時代から変わらぬ中央集権体制自体が、既に時代遅れになって、時代と制度が合っていない事だからだ。
つまり、霞ヶ関の発展的解体を行い、中央集権国家から真の地方分権国家への移行しか、価値ある行政改革はなされないという事だ。
 
これは実は難しい事ではない。
地方分権されたからと言って、今、霞ヶ関にある行政機能は必要だ。
但し、国家に一つである必要はなく、地方に幾つかあれば良い。それがすなわち「道州制」と呼ばれるものだ。
地方に全く同じとは言わないものの、今の霞ヶ関に近い機能をコンパクトにして置けば良い。
地方の優秀な人材も、わざわざ東京に集まって現場から離れなくとも、より地域に近いところに住み、より現場感のある施策提言が可能だ。
今は、国家が一丸となって何かをする、という事よりも、多様性を発揮し、地域地域で得意分野を生み出して、多種多様な価値創造を行わなければ、国際競争に勝ち残れないし、地域の要望に応える事は難しい。
 
この様に考えると、霞ヶ関がそのまま残る事を前提に話す改革案など、言葉は悪いが、所詮、改善の域に留まる内容であると言えよう。結局は、天下りはなくならないし、省庁間の壁は一時的に低くなるだけで、真に地方が発展する国家像には繋がり得ない。
もちろん、そういった努力をする人達に対して、私は尊敬の念を禁じ得ない。数々の抵抗勢力を前に、挫けず、一歩一歩進める精神力と実行力は、並大抵のものではない。
しかし、それで開ける未来には、限界があるのも事実である。
 
だからこそ、しっかりとビッグピクチャーを描き、それらの努力を一つたりとも無駄にしてはならないと思うのだ。
人生は皆限られている。少しの時間も無駄にして欲しくないと思うのは、私だけだろうか。
そうでないと、私は信じたい。
 
<strong>【些末な議論に陥る】</strong>
 
今、民主党のマニフェストで、最も人気のない「高速道路無料化」も、ビッグピクチャーがない良い例だ。
 
そもそも、高速道路を論じるのであれば、日本の交通システムの絵を描き、その結果の一つとして、高速道路無料化、という手段が出てくるはずが、なぜか、高速道路無料化の話だけが来てしまう。
本来であれば、例えば、貨物輸送はこのままトラック輸送に頼るのか、モーダルシフト（鉄道輸送）するのか、また、都市部についても、自動車に頼るのかヨーロッパを中心に展開されている地域交通網（いわゆる高度路面電車）の整備に力を入れて、自動車の乗り入れ制限を行い、人の手に安全な街を取り戻すのか、という議論もない。
更に、地方については、自動車は切っても切れない交通機関である。これは、ハッキリ言えば、人口密度が低いために、そちらの方が社会資本的に効率が良いのであるが、どこからどこまでは地方と見なして集約整備していくのか、都市部との接続はどうしていくのか（キーステーションを作って、自動車とのシームレスな乗り継ぎ環境を実現するのかなど）、その辺りの絵（ピクチャー）がない。
 
特定道路財源が、と言うが、その範囲を広げ、一部は環境対策（排気で環境を汚す以上、回復責任は生じる）に、それ以外は交通網整備、という財源にすれば良い。そこで、鉄道なども含めて、全ての財源を統合して、用途も幅広く行う。
それに、雇用対策の面からも、道路工事だけが公共事業ではないはずだ。予算を投じれば、道路以外でも雇用は発生するし、産業の広がりという面からも波及効果は大きいだろう。
 
この様な絵が前提としてあると、高速道路をどうするか、という話も納得しやすいだろう。自動車に乗っている人も、時には街で子供と歩きながら、自動車のない街を楽しみたいと思うはずだ。あるいは、地方アクセスがもっと良くなれば良いと思っている人も多いだろう。
スモールピクチャー、つまり、個別の議論だけを話して、「出来る、出来ない」の議論をするから、「やるべきかどうか」の判断が出来ないし、雑多な話しか出て来ないのである。
 
<strong>【あなたの身近にもそれは存在する】</strong>
 
これは、企業も同じである。
いわゆる個別最適というものだ。
 
（あまりステレオタイプに言いたくはないが）日本人は、改善は得意だ。
それは、日本人が細かな事を詰めたり、決められた事をその通り行う能力に、非常に秀でているからである。
私は、今、メーカーに勤めているが、一部の大企業を除き、海外企業の部品に対する信頼度は、日本の同等規模の部品メーカーと比べると、確実に劣る。いや、そもそも信頼度に対する考え方が異なるのではないかと思うほどだ。
これこそ、日本メーカーの優位性であるとも言える（コスト高ではあるが…）。
更に言えば、「戦略は細部に宿る」と言うが、戦略に誤りがなければ、日本企業ほど強い企業はないとも思う。それでも負けるのは、まさに「ビッグピクチャー」のなさとも言えよう。
 
しかし、例に挙げた「高速道路無料化」のケースのように、個別最適に陥ると、些末な議論ばかり行い、そもそもそれをやるべきか否か、という議論に行き着かない。
そして、無駄な議論に時間を費やすのである。
高速道路無料化の議論を見ていても、まさに重箱の隅の突き合いで、じゃあ地方はどうする、とか、渋滞するんじゃないか、とか、シミュレーションをしたしない、など、聞いていて不毛な事この上ない。そもそも、地域毎に事情が違うのだから、無料化だけで何かが動く話ではないし、高速道路無料化は手段である以上、目的にしてはならないのだ。
 
これは、何も政策や企業だけでなく、学生のイベントなどでも同じである。
やることが目的になっていて、イベントによって提供する価値を最大化するために、何を捨てて何を優先するか、という話にまで行き着かない。更に問題なのは、結果的に「何となく喜んで貰えたから上手くいった」と言って終わってしまう事だ。これでは、やっただけで本質的な学びにも繋がり難い。
もちろん、これは行政でも企業でも、同じような光景が繰り広げられている。
要は、それくらい根源的な話であるとも言えよう。
 
<strong>【ビッグピクチャーを描く】</strong>
 
では、どうすればビッグピクチャーを描けるのであろうか。
 
それは、兎に角、自分自身に「なぜ？」「どうして？」という問い掛けをひたすら行う事だ。
自分は、何のためにそれをやろうとしているのか、自分は、どこに向かおうとしているのか。それに、自分が答えられなくて、人に伝えられる事が出来るだろうか。
それは言うまでもないだろう。
 
なぜなら、改善の積み重ねの先に、ビッグピクチャーはないからだ。
改善は、現状を前提として、問題になっているところを、手直しする。しかし、改革が必要となっているところでは、そういった手直しが重なり過ぎて、問題の根源が見えにくくなり、また、関係が複雑になってしまい、少々の事では、全体の問題は解決しえない状況になっている。
つまり、改善では直しようがないのである。
まさに、今の行政機構がそうである。戦後から環境の変化に対応できるように、改善を積み重ねてきたが、そもそもの目的がずれてしまっている上に、それに対応するためには既存の仕組み自体が阻害要因になる、という状況なのだ。
こうなると、現状から阻害要因を無視した形でのビッグピクチャーを描く以外、これを解決する方法はない。
その後、それをどうやって実現するかを、真剣に検討するのだ。
 
また、進める上で大切な事は、
「自分だけで考えない」
「答えが見つかると信じる」
「だが、本当に思い付かなければ、諦める事も選択肢に入れる」
という事だろう。
 
一枚の絵を観た時、個々人によって解釈が異なるように、複数の人が見て、大きくズレのないビッグピクチャーを描くには、他者からの評価を積極的に受ける必要がある。
考えるのは自分で良いが、決して自分だけの思い込み、独りよがりにならないよう、自分とは考えが合わない人や立場の違う人の評価を、積極的に聞くべきだ。
そして、先達の知恵を活用する事も欠かしてはならない。様々な成功や失敗を積み重ねてきた人達の知恵を活用せずして、良いピクチャーは描けない。別に真似る事は悪い事ではないし、私はむしろ良い事だと考えている。
実際、私も、かなり多くの人達の知恵を拝借してきた。大切なのは、それを自分自身で考えて、自分の中で咀嚼してから用いる事だ。結果的に、同じ事をするにしても、応用度が全く異なってくる。
 
また、二つ目と三つ目は、ある意味、背反する内容ではあるが、何事も自分が信じ切れていなければ、最後まで到達し得ず、諦めて妥協してしまう事が多い。だからこそ、信じる事が大切だ。
しかし、本当に思い付かなければ、そんな人が描いたものは、間違っているか思い込みの可能性が高い。
何とかしたい気持ちはわかるが、それによって多くの人の時間が無駄に浪費される可能性が高い以上、自分自身でもっと考え抜く事こそ、責任ある人の行動と言えよう。
 
そして、最後に、最も大切なのは、「何はともあれ描いてみる」という事だ。
具体化せずに、あれこれ言う人がいるが、それで人に伝わるほど、人のコミュニケーション能力は高度ではない。
まずは、失敗しても良いから、素案を描く事が、私は何よりも大切だと考えている。
それを、評価に晒し、どの様に変えていくか。そこが腕の見せ所ではあるが、それもベースがあるからこそなのである。
 
但し、現状分析だけは疎かにしないで欲しいと思う。
基本的に、ビッグピクチャーも問題解決であることにかわりはない。現状認識がずれていれば、ビッグピクチャーはもっとずれる。
しっかりと徹底して現状を見つめ、しかし、それには流されない。そんな目で、日々色々なものを見て貰えればと思う。
 
 
最後にまとめよう。
改革は改善の積み重ねによって実現できない。
日本人は改善は得意な方であるが故に、それに引っ張られてしまうが、意識的にそこから離れ、ビッグピクチャーを描く努力が必要だ。
そして、ビッグピクチャーを描く事で、初めて些末な話から離れた、本質的な議論が出来るようになる。なぜなら、手段が目的化しないからだ。逆説的に言えば、日本では、かなり多くの組織で、手段が目的化されてしまっているとも言える。
また、ビッグピクチャーの話は、実は私達の身近にも存在する。就職時の企業選択なども、本来は自分の目標があって、そこに合った企業選びがあるはずだが、なぜか個別企業の名前が飛び交う事態に陥ってしまう。そのくらい、根源的かつ普遍的な話と言えよう。だからこそ、ビッグピクチャーを描く力は身に付ける価値は、非常に高いのだ。
ビッグピクチャーを描く際は、独りよがりにならない事が大切である。最後は自分で決める必要があるが、その目的から考えて、それまでは様々な視点を取り込み、多くの人が見て一定の範囲内に収まるものにしなければならない。
だが、最も大切なのは、とにかくまずは描いてみると言う事だ。最初は上手くいかなくても構わない。だからこそ、周りの評価に晒すのである。それを前提に、是非、ビッグピクチャーづくりにチャレンジして貰いたい。
そうすれば、未来への道が、あなたの前に姿を見せてくれることだろう。
 
 
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
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   <title>コストをかければサービスが良くなるのか？　～サービス向上で陥る罠と嘘～</title>
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   <published>2009-09-06T13:37:15Z</published>
   <updated>2010-10-21T02:01:23Z</updated>
   
   <summary>「お金をかけ、対応を手厚くすれば、サービスレベルが上がり、顧客満足が上がる」 もっともなように聞こえるが、果たして本当にそうなのだろうか？ ...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="仕事術・思考方法" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      「お金をかけ、対応を手厚くすれば、サービスレベルが上がり、顧客満足が上がる」
もっともなように聞こえるが、果たして本当にそうなのだろうか？
私は、事業企画と業務改革を中心に仕事をしてきて、今もある大手メーカーの本社管理部門改革を支援させていただいているが、最近、「人がいる程、仕事が増える」という言葉の方が、本質を突いているように感じることが多くなった。


      <![CDATA[ 
例えば、「一人一人、相談に最後まで乗って、それを前提に対応する」と言われると、一見すると、一生懸命やってるのだなぁ、と思うかもしれないし、実際、担当者は一生懸命やっているのであるが、実のところ、大多数の顧客からは、高い評価を得られていないことが多い。
そこで、実際にそういう現場でよくよく話を聞いてみると、幾つかのことが共通している事がわかった。
 
・特定の人（管理職）が相談対応に時間を取られている
・全体の作業効率が悪い
・現場のメンバーは何やら忙しい
・仕事の大半は管理職で止まっている
 
他にも色々とあったのだが、ここまで来て何となくわかった。
それは、意思決定が可能な管理職の業務量のみ増していて、現場のメンバーは時々で変わる指示に振り回され、その後始末に追われていて、結果的に、普通の日常業務が雑になったり、とにかく短時間で済ませようとして、顧客から見て支障が出ている、という流れである。
 
こういうパターンの場合、現場を更に深く見てみると、
 
・マニュアルがない、あるいは、あっても不完全
・判断基準が曖昧で、その周りの問合せが多い
・多くのことが、最後は管理職に聞かないと判断がつかない
・一人一人対応を考えるため、対応する人によって対応内容が変わってくる
 
というような特徴があることが多い。
 
ようは、判断基準が明確化されていない上に、問い合わせしたら情状酌量の余地があるので、それが原因で問い合わせ数が非常に多くなり、しかも、現場担当者クラスでは判断し兼ねる事も多いので、問合せをした人は、「対応が遅い」「たらい回しにされる」と不満を持たれる上に、情状酌量された人がいると聞きつけた人は、「判断が人によって違うのは不公平だ」と常々不満に思う。
それを何とかしようと現場のメンバーも頑張るが、結局、自分で判断できないので、誤魔化し対応になり、更に、基準が曖昧なので標準化されておらず、対応するには幅広い知識や経験が求められるようになり、若手や派遣社員ではどうにもならず、少々の増員も焼け石に水。
日々、相談ごとに追われる結果となり、落ち着いて仕事も出来ないし、判断待ちの案件が多すぎて、幾つかは忘れさられてしまう有様。そうなれば、更に顧客満足は下がり、頑張っても報われない環境が作られていくのだ。 
更に言えば、忙しいからと人を増やせば、アウトプットは良くならないのにコストは上がる。
 
「お金をかけ、対応を手厚くすれば、サービスレベルが上がり、顧客満足が上がる」
 
ここまで聞いて、この言葉は本当だと思えるだろうか？
嘘ではないかもしれないが、それは、基準が明確化され、ある程度、標準化が進んだ組織が、対応力を増して、顧客の待ち時間を減らす時に、はじめて言えることであって、曖昧な判断で柔軟に対応するという、一見すると良さそうに見えるところでは、この言葉は詭弁であると言えよう。
 
ベストなサービスとは、そもそも、「問い合わせや相談をする必要性を感じないサービス」であり、誰が見ても明確でシンプルであることだ。
例えば、あらゆる機能を満載しているが、全てを使いこなせない最近の携帯電話が、果たして優れたツールだと言えるだろうか。買い換えるまでに、一度も使わない機能や設定が如何に多いか。少なくとも私は、シンプル携帯が売れるのはとても納得がいく。
そういったシンプルさ・わかりやすさの追求を徹底せずに、「お金をかけないと／人を増やさないと出来ません」と安易な方に流れる事しかできない人は、そもそもサービスの何たるかを語る資格はないだろう。
 
コストをかける前に、自分がやれる事は本当にないのか。常々忘れないようにしたいものである。
 
 
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>（本稿は個人ブログより転載）]]>
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   <title>学びと成長の本質とは ～学習能力と成果を高める方法～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.fri-associates.com/blog/professional/000288.html" />
   <id>tag:www.fri-associates.com,2009:/blog//2.288</id>
   
   <published>2009-06-18T23:30:00Z</published>
   <updated>2010-11-08T15:55:09Z</updated>
   
   <summary>最近、「成長」や「○○学」というものが付いたタイトルの本やＴＶ番組が増えているようだ。これを読んでいる人の中にも、手に取った事がある人もいる...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="プロフェッショナル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      最近、「成長」や「○○学」というものが付いたタイトルの本やＴＶ番組が増えているようだ。これを読んでいる人の中にも、手に取った事がある人もいるのではないだろうか。
しかし、実際にそれを読んで力が付いている人は、それ程多くはないように感じる。
確かに読んだり観たりすると面白いし参考にはなるのだが、これをみても、成長しない人はしないだろうな、といつも思う。


      <![CDATA[ 
<strong>【学びに必要なもの】</strong>
 
それは、なぜか。
そもそも、「学び」というのが機能するためには、学ぶ本人の行動や習慣が、それに合ったものになっていなければならないからだ。
つまり、その人の意識や考え方、それに支えられた行動によって、成長に繋がるのである。
 
日本の教育は、ほとんど全てが「正解」の「暗記」である。
大学で行われる研究まで、思考方法などを学ぶ機会は、ほとんど皆無と言って良い。
なので、「学び」と聞くと、つい正解を記憶する事と思ってしまいがちで、本を買って読んで満足してしまうのである。
 
しかし、実際には使いこなして初めて役立つし、仕事においては、一般解はあったとしても、個々においては最適解があるだけで、「正解はない」のが普通である。
なぜなら、相手が不確実性の高い人間だからであり、当たり前の話なのであるが、人はついつい「当たり前」の事を忘れてしまう生き物のようだ。
 
つまり、本を読んで暗記するだけでは、ハッキリ言って、全く使い物にならない。
但し、役立たないとは言わない。
きちんと「学び」を本質的に理解している人であれば、先人たちの知恵の集大成である書物は、強い味方になってくれるはずだ。
私も数百冊の本を読んできたが、実際に直ぐに使うもの程、生きた知恵として身に付いているが、何となく読み終えてしまい、大して役立っていないものもある。
要は、内容如何に関わらず、学び方次第、と言えるのである。
 
では、学びの本質とは一体何だろうか。
 
<strong>【学びの本質】</strong>
 
私が考える学びの本質は、
 
・優秀なものを徹底的に「真似る」
・企画よりも「振り返り」に重点を置いて行動する
・「深さ」にこだわってとことん追求する
 
の三つに集約されると考えている。
 
まず、「学ぶ」とは「真似ぶ」から来ているというが、まさしく本質を得ていると考える。
直ぐに「独自性」や「主体性」などを持ち出して、特定のコミュニティ内で行おうとする人がいるが、それは自分で壁を作っている事に気付くべきだろう。
それは単に、自分達がやりやすい人達で固まって、狭い世界で小さく満足しているに過ぎない。
オリジナリティとは、本来、基本がしっかりと出来てから発揮されるもので、最初から発揮しようと思うこと自体、考えがずれているとしか思えないし、実際、そのレベルでオリジナリティと表現して欲しくない事も多いのが事実である。
 
私なら、使えるものは徹底して使う。
成果に繋がるのであれば（費用対効果を当然考えるとしても）、わざわざ制限を設ける必要がどこにあるのだろうか。既に前例があるなら、それを「参考例」として聞き、出来る事なら直接質問し、良かったところや改善すべきところを学ぶのである。
そして、真似できるなら、とことん真似しても良い。良い物を真似て、何の問題があろう。
新しいものを一からつくるよりも、よっぽど効率的だし、創造性を発揮するところは、そんなところにあるべきではない。大切なのは、何を選択して、何をその上に積み上げるかだからだ。
創造性は、あくまで成果に一番効くところで発揮されるべきだし、既に誰かがやった事についてまで、わざわざ一からやって「創造的だ」と言うのも、少しもの悲しいと私は思う。
過去の叡智は、ありがたく使わせて貰った方が良いに決まっている。
 
そう考えると、周りにある物事や人は、ほとんど全てが学びの対象になることに気がつくだろう。
ほとんどの人が、自分にはない何かを持っているし、自分がやったことがない経験があったりする。
それを教えて貰うだけで、どれだけ自分の思考の幅が広がるかわからない。
 
しかし、知識だけを身に付けても意味は薄い。
それが発生した際の思考プロセスや周辺への影響まで知って、初めて自分の思考を豊かにしてくれるのだ。
 
うわべだけの暗記では、自分のものには決してならない。
その時に、「なぜ、そうなるのか」という部分についても、併せて理解できるようになれば、次に近いシーンになった時に、自分の判断・思考の糧となるのである。
 
もし、それがわからなければ、色々考えて言う前に、とにかく真似てみて、自分が実行してみて、どう感じるかを肌で理解してみる事も大切である。
文句を言うなら、まずはやってみてから、というのも強ち間違いではないのだ。
 
「真似ぶ」という言葉を胸に、そういう機会が周りにないのか、一度、見直してみてはどうだろうか。
きっとたくさんの「真似びの場」があなたの周りにある事に気がつくに違いない。
 
<strong>【始めよりも終わりを重視する】</strong>
 
次のポイントは、「振り返り」である。
 
よく新しい事をやったと自慢する人に会うが、「その後、どうしましたか？」と聞くと、結局、自分の糧になっていない、その場限りの行為に留まっているケースが多いように感じる。
これでは、企画力がある、というよりは、単なるイベント屋かばくち打ち、あるいは、お調子者である。少なくとも私なら、怖くて企画を任せる気にはなれない。
 
実は、何かを成す際に大切なのは、「再現性」だったりする。
つまり、この点ならば、少々のブレはあっても次も大丈夫、と思えるかどうかだ。
 
なぜ重要なのかと言えば、それが大丈夫だとわかる事で、他の未知のところに力を集中できるからだ。
橋を渡る時に、「あの人は渡れたけど、次回は崩れるかもしれません」と言われて、あなたは橋を渡ろうと思うだろうか。答えるまでもないだろう。
何かを成すには、様々なことをやらなければならないが、そのうちの多くが再現性がない状態だと、成功する確率は非常に低くなってしまう。それでは、オチオチ新しいことに力をかけられないし、効率化など以ての外である。実際には、新しい事をすると言っても、10のうち1新しければ良いほどだ。残り9は既存のものを活用するのである。つまり、全体の9割が不確定であれば、新しい事などなかなか出来はしない。
 
では、どうすれば良いかと言えば、何かに取り組む度に（新しい事は特に）、必ず「振り返り」をする事である。
振り返りのポイントは、
 
・良い事も悪い事も、正しく認識する
・良かった事は伸ばし、悪かった事は改善する
 
ことであろう。何が良くて、何が悪いのかを、正しく認識できなければ、決して次に繋がらないからだ。
自分の悪い面と向き合うのは辛い事だが、それを認識できなければ、次から気をつけることすらできず、また、失敗してしまう。
 
例えば、「結果が出たから良かった」とか「別に問題起こってないから」と言って済ませていないだろうか？
これでは、次に同じ結果は出せないし、もしかしたら次に問題が起きるかもしれない。
「良かった良かった」は、次の失敗への第一歩なのである。
 
人によって差はあれ、良かったところは伸ばし、悪かったところは改善していけば、必ず成長する。
これは、当たり前の話である。
しかし、なぜかこのような当たり前のことをやらない人が非常に多いのも事実だ。
ここで大切なのは、振り返って、喜んだり凹んでいるだけでは意味がない、という事だ。良い点はなぜ良かったのか、どうすれば次も出来るかを理解し、悪かった点はどうすれば良くできるかを考えることで、次に繋がっていくからである。振り返りは、次に繋げるためにするのだ。
 
本気で学び、成長し、成果を上げたいのであれば、企画よりも振り返りに力を入れるべきだろう。
そこで初めて、前回よりも良いものを出せるようになるのである。
そうして、土台をしっかりと形作ってから、企画力を高めていった方が、遠回りに見えても、より良いものを継続的に生み出せるようになれるのだ。
 
このFRIでも、時間が確保できる限り、振り返りに力を入れるようにしている。
そして、運営を担うスタッフ間でも、非常に振り返りを重視し、更なるステップアップに繋げているが、振り返りを繰り返すと、人によってスピードに差はあれ、確実に成長していくのがわかる程だ。
 
振り返りは地味な作業で、企画というのは華やかで楽しそうなイメージがある。
しかし、本当に成長したいのであれば、そのような見た目のイメージに決して惑わされないことだ。イメージに振り回されていては、本質などには決してたどり着けない。
つまり、振り返りを繰り返すことで、本質を見極める力も同時に養われていくのである。振り返りというのは、それ程、効果の高いものなのである。
 
<strong>【それは本当に正解なのか】</strong>
 
そして、最後に「深さ」が大切であると考える。
 
会社で面接などを担当していると、色々な経験をしている割には、これと言って秀でているものがない人に良く会う。あれもこれも、中途半端に手を出していて、それぞれがきちんと高いレベルで「学び」に繋がっていないか、個々が有機的に上手く結び付いておらず、更に高いところに昇華されていないのだ。
こういう人は、先日もそうだったが、私はご縁がなかった事にしている。なぜなら、一つ一つの仕事を高いレベルでこなしたり、他の人との結びつきで思いも寄らないものを生み出して貰えそうにないと思うからだし、個人的にも、自分自身にとって得られるものが少ないと感じてしまうからだ。
そういう人に会うと、環境があるのに勿体ないな、といつも思ってしまう。
 
これは何も、仕事のことだけではないので、案外当てはまる人は多い。
表現すると、「あと一歩及ばず」というところだろうか。やっている本人は楽しいし、それなりに充実しているのかもしれないが、残るものがないのである。良いところまで来ているだけに、とても残念な気がしてならない。
なぜなら、多くの事をこなせる人は、基本的に器用だし、コミュニケーションやリーダーシップの力も高い事が多いからだ。しかし、自分自身をコントロールする意志力や目的意識が欠けているために、ついつい色々な誘いやお願いに負けて、高みにまでは至れず、結果的に全てが中途半端になってしまうのである。
 
なぜ、そうなってしまうかと言えば、意識的にか無意識的にかはわからないが、人と同等レベルまでやって、それなりに評価されれば満足してしまっているからであろう。
それは、テストで80点取れた、という満足と同じだ。別に、合格点をとるために生まれてきたのではないだろうと、私は思う。経験も大切だが、参加すれば良いってものばかりではない。そんな満足感に浸っていては、例え、そのレベルのものを何度も繰り返しても、それ以上には決して到達しえないのだ。
 
これは、まさに正解教育がもたらす弊害でもある。
これでは、単なる自己満足に終わって、自分には取り立てて残るものがない。周りの人と同じレベルで出来る、という経験だけである。それに疑問を感じないところが恐ろしい。何か一つだけでも良いので、自ら秀でたものを作り、それを軸に社会に貢献していく事こそ、私達が社会に生きる上で大切な事なのではないかと思うのだ。
なぜなら、満遍なく出来るよりも、幾つかのポイントは押さえつつも、何か一つに秀でている事の方が、社会における価値は増大するからだ。ある意味、それ以外の部分は、あなた以外に秀でている人を集めれば良いのである。その方が、より高いレベルでアウトプットが可能だ。
 
成果を出すために、一歩抜きん出た力を本当に身に付けたいのであれば、とにかくそれに執着し、自分の成果に満足せず、人以上に考え抜き、人以上に行動する事である。
何か一つだけでも良い。そういうものを作ろうではないか。
単に「人と違う」と言われて満足するのではなく、成果で違いを語れる人を目指すべきだろう。
そうする事ではじめて、人よりも多くのものを学び取れるのだ。
 
中途半端にしかやれないなら、全てやらない。あるいは、中途半端にならないように集中してやり切る。
そのどちらかを、常に選択するのである。
これが、学びの本質を理解し、本当に成長している人の法則である。
「やる」か「やらない」か、とことん出来るかどうかを、自分に常に問い掛け続ければ、あなたの学びは一歩抜きんでる事になるだろう。
あなたにしか出来ない事とは何かを、常に問い続け、それを目指し行動する事が、真の成長を生み出す根源なのである。
 
 
最後にまとめよう。
「学び」を成長に確実に繋げるためには、まずはベースについては「真似る」こと、地味であっても「振り返り」に重点を置くこと、そして、「深さ」にこだわってとことん追求することを心掛けることである。
どんな立派なビルでも、基礎がしっかりしていなければ、簡単に倒れてしまう。
人の学びも同じであり、しっかりと基礎を築きあげる事が、将来的な強さ、すなわち、高いレベルでの着実な成長に繋がるのである。
企業も大抵は多角化をミスって傾く事が多いし、「戦略とは捨てること」と言われるほどだ。中途半端にたくさんの事をするよりも、絞り込み、一つの事に集中する事は、非常に大切である。
また、「当たり前のことを当たり前にやれば儲かる」とも言われる。ベースを大切にする人ほど、結果的に多様性を生み出せる。うわべだけの華やかさに惑わされてはいけないのだ。
 
これらは、全て「学び」にも当てはまる。
自分自身を本当に成長させたいのであれば、中長期的視野を持って、時には短期的には我慢も必要だろう。周りからの誘いやお願いも断らなければいけないかもしれない。それをどれだけ本気でやりきれるかどうかが、実のところ、最も大切なのかもしれない。
有り体に言えば、「本気で成長したければ、誰にも負けないくらい学びを追求しろ」という事だ。それだけやり切る事を考えれば、楽しい事だけしていては駄目な事も、出来ることは多くない事も、適度なところで満足してしまう事も弊害だということが、自ずとわかってくるはずだ。
自分との戦いに勝てた時に、本当の学びと成長が得られ、その結果、あなただけの貢献ができるようになるのである。
学びもまた、近道や楽な道は存在しないのだ。
 
努力した人全てに幸運の女神は微笑まないが、努力した人だけがその権利を有する、のである。
 
 
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
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   <title>仕事は対応を後回しにするほど、業務量が増える ～仕事がはやい人の法則～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.fri-associates.com/blog/basic-skill/000287.html" />
   <id>tag:www.fri-associates.com,2009:/blog//2.287</id>
   
   <published>2009-06-13T11:41:20Z</published>
   <updated>2010-10-21T02:10:44Z</updated>
   
   <summary>１つの仕事が遅い人は、大抵、全ての仕事においても遅い。 同じ仕事量でも、なぜかかかる時間が全く違う。 これは、単に仕事をこなすスピードが遅い...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="仕事術・思考方法" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      １つの仕事が遅い人は、大抵、全ての仕事においても遅い。
同じ仕事量でも、なぜかかかる時間が全く違う。
これは、単に仕事をこなすスピードが遅いだけかと思っていたが、最近、それだけでもないように感じるようになった。

      <![CDATA[ 
<strong><a href="<$MTBlogURL$>basic-skill/000109.html">『仕事が「はやい人」と「おそい人」の違い』</a></strong>を述べたが、最近は、それに加えて、意思決定を後回しにする人は、それだけで、自ら仕事を増やして、自分の首を自分で締めている、という事に気が付いた。
 
私は理事長としてNPOの様々な意思決定を、仕事をやりながらこなしているのだが、対応がとにかく「遅い！」と感じることが多々あるし、それによって、無駄な業務がかなり生み出されているように思える。
もちろん、これは通常の仕事でもそうである。
私が携わってきた改革の大半は、上位者がダラダラと意思決定をしないが故に、課題が問題へと大きくなり、解決しなければどうしようもないまで熟成した結果、その解決に多大な労力をかけなければいけないケースばかりである。
 
そもそも、「仕事に優先順位を付けられない（付けても間違っている）」「対応すべき範囲が不適切」というところがあるのだが、特に上位者になればなるほど、方針決定が遅れると、その方針に沿って業務を進める人達の作業が分散し、結果的にムダになるばかりか、後から決めた方針によって駄目になってしまったことについて、「なぜ駄目なのか」を説明しなければならず、その説明自体も間違っていないかを、方針決定レベルで確認を取らなければならない。
つまり、自らの意思決定と説明が遅れた結果、ムダな仕事を生み出しているという事だ。
ムダな仕事を生み出せば、当然、その分、成果に結びつかない事に時間を費やすわけで、一生懸命やってはいるが「仕事が遅い」ということになる。
 
もっと分かりやすい例で説明しよう。
例えば、お客様とアポを取る際、どのように依頼をしているだろうか。
仕事が遅い人は、大抵、「私が駄目なのは、○日の午後と○日の午前です。それ以外で決めていただければ合わせます」とか、「言って貰えれば、極力調整します」などと言ってくる。
一見、相手に親切そうだが、実は、結果的に迷惑がかかる事が多い。連絡をした後に、他の外せない用事が出来て、返事が来ても被ってしまったり、他に調整が必要な用事が複数あると、重要なものから順に決めなくては、返事を貰ったとしても他のものが決められなかったり、調整しきれずアポに間に合わなかったりする。相手にとっては、迷惑以外の何者でもない。
 
仕事がはやい人がどうするかと言えば、「以下の日程からお選びください」と確実に都合を付けられる日程を３つ４つ提示して、相手に選ばせるというものだ。
これなら、複数の約束があっても、それぞれ被らないように枠を設定して、一斉に調整をかけられるし、返事が来た瞬間に確定できる。また、確定さえすれば、新たに話が来ても、決まったことで調整枠が空くわけなので、調整はどんどんしやすくなる。前後の移動時間を考えて日程枠を提示すれば、遅れる事も基本的にない。
ある意味、日程調整を始めた瞬間に、その仕事は終わっているのである。
 
このようにすれば、スムーズに意思決定（日程決定）が行えるし、ムダがほとんど発生しない。移動時間や空いた枠で仕事を片付ければ、自分の時間も有効に活用できる。社内の打ち合わせも、事前に枠を少しとっておけば、それもしっかりと行える。
一見、強引なようにも見えるが、相手に選択の余地を与えているし、その範囲内では迷惑をかけていないわけだから、結果的には非常にスムーズにことが運ぶ。私なら、そちらの方がよっぽど仕事がやりやすい。「やる事は無限にあるのに時間が有限」というのが忙しい人間の基本的感覚だからだ。
 
意思決定の大半を相手に預けるような事や自身の意思決定やその伝達自体が遅れると、確認・調整などの面倒な仕事がどんどん増えるし、相手に待ってもらうというムダな時間を発生させてしまう。
自らの意思決定の遅さが、どれだけ回りに迷惑を与えているのか、よくよく考えて貰いたいし、それによって、自らの手で自らの仕事を増やしていることに気が付いて貰いたい。「仕事がたまってるんですよね」と苦笑いする暇があれば、その瞬間に、一件でも良いから意思決定を行って進めれば良い。
 
私は、極論を言えば、出来る限りその場で片付けることが、仕事をはやくする方法だと考えている。
なぜなら、人が常に考えられる数には限りがある（それも片手程度だ）以上、それ以上の仕事を抱えるのは無意味だし、重要な意思決定は、常にやってくるものだからだ。
 
時間が有り余っていると思っている人はそれでも良いが、仕事ばかり増えてなかなか進まない、と思う人は、まず、自らの仕事のやり方を見つめ直して貰えればと思う。きっと、多くのヒントがそこにあるはずだから。
 
 
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、計測機器メーカーにて、経営企画担当の上席執行役員として、各種改革業務および主要事業のマーケティング、事業開発などを推進する。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>（本稿は個人ブログより転載）]]>
   </content>
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<entry>
   <title>最適な就職先の選び方とは ～後悔しない企業・会社選択方法とキャリアプランニング～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.fri-associates.com/blog/career/000152.html" />
   <id>tag:www.fri-associates.com,2009:/blog//2.152</id>
   
   <published>2009-03-04T15:30:00Z</published>
   <updated>2011-06-11T15:15:16Z</updated>
   
   <summary>今年の就職戦線は、リーマンショックに始まった昨年と打って変わり、売り手市場から買い手市場へと変わりつつある。但し、その変化は二極化がよりハッ...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="キャリア・就職" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      今年の就職戦線は、リーマンショックに始まった昨年と打って変わり、売り手市場から買い手市場へと変わりつつある。但し、その変化は二極化がよりハッキリと現れてきているだけであり、以前から内定が出る人は多数から出て、出ない人はあまりでなかった点では、変わりがない。単に、内定が出る人にとって、出る数が少なくなってしまっただけである。
私の経験からすれば、就職が楽な時代よりも、就職難の時の方が職の迷いは減り、入社後も上手くいっている人が多いように感じるが、それでも、どこに就職するかは、特に新卒採用者にとっては悩み多き問題である。
今回は、これからの時代において非常に重要な「キャリアプランニング」と、後悔しない就職のためのポイントについて触れてみたい。


      <![CDATA[ 
※ 本コラムは過去のコラムに修正・加筆を行ったものです。
 
私は、コンサルティング会社、ベンチャー企業、投資育成会社、そして今はメーカーと、普通の人と比べて多くの企業と職種を経験してきたし、個々の会社において、一定の成果も挙げてきた。
その中では、事業推進者として、人材育成や採用などに携わる事もあったし、FRIを通じて多くの人を見てきた。そして、仕事柄、大手企業や著名企業で働く人との付き合いも多かったのだが、そういった中で、満足のいくキャリアアップをはかっていける人だけに、一定の共通点がある事が、最近、わかってきた。
その共通点は、実経験の中からの一つの解であり、学術的な世のキャリア本とは異なる。統計的に上手くいった人の共通因子、ではなく、それらの持つ本質的な共通項である。
 
今回、私のメルマガ「ＦＲＩマーケティング＆キャリア（旧就職参謀）」（現在休止中）でも何度かキャリアについて触れてきたが、そこから特に本質的な部分のポイントを抽出し公開したいと思っている。
ただし、最初に断っておくと、実際のところ、その有効性は保証するが、それを実行することは楽ではない。成功している企業が、当たり前の事を着実に根気強くやっているのと同様、成功するキャリアについても、似たような面があるのだろう。
仕事やキャリアは算数ではない。これから読み進める前に、これは、最初に心に留め置いて貰いたい。


<strong>【現代のビジネス環境】</strong>
 
変化速度が過去とは比べ物にならないくらい加速し、同時にボーダレスな環境に置かれた現在、新卒採用が空前の売り手市場と言われるようになったとしても、社会に出てからは、より個人に成果を生み出す力が強く求められるようになっているのは、既にご存知の通りだ。
 
過去、日本は「国内事情」というものを錦の御旗にして、グローバルな基準からは目を背けてきた。なぜなら、日本国内には、世界基準に照らし合わせると、様々な「既得権益」という非合理的なものが山積していたからだ。
ちょっと考えればわかるが、「官僚の天下り」など、合理性はほとんどない。確かに、国家予算は非常に大きなものであり、関係者（官僚）を受け入れる事で、それに紐付いて仕事が来るなら、公僕という位置づけ上、良いか悪いかは別として、まだ、受け入れ側の話はわかる。しかし、今は、「公益団体」「特殊法人」という名の天下り先を自ら作り出し、数年いただけで高給と莫大な退職金をせしめる。そこに何の合理性があるのだろうか。
 
ボーダレスな社会においては、そのような非合理性は存続し得ない。なぜなら、付加価値を出せない組織は、寄生虫と同じであり、その母体を弱らせ、いずれは母体諸共、競争に負けて死んでしまうからである。
企業は社会の公器である。社会に対して、自分が得た対価以上の価値を提供できないものは、存在を許されないのだ。競争環境は、そういった非合理性を補正する。
 
それだけでなく、仕事に目を向ければ、定型業務はシステムに取って変わられ、少々の判断が必要であっても基準にのっとった判断程度しか要求されなければ、中国などに移ってしまうだろう。これは、結果的な事実である。
企業に関しても、実際、保険などは、ちょっと出来る人は、ほとんどが外資系の保険会社で契約しているし、金融も外資系や異業種を母体とする新銀行の躍進など、生み出す付加価値に見合っていない高給を貰っているような企業群は、企業自体が競争力を失っていくだろう。
高給で有名な大手広告代理店やTV局なども、TV一極集中ではなくなりつつあるに従い、それがいつまで維持できるかわからない。
 
つまり、ボーダレスというグローバル基準のある種平等な競争環境にさらされる以上、誰かにすがって生きていく事は、先ほどの「寄生虫」と同じ運命を辿る事に繋がる。
今の企業の置かれた環境は、それほど甘いものではないし、ボーダレスによって「日本の特殊事情」という言い訳が通用しなくなった以上、一歩間違えれば大企業でも傾く時代は、これからもしばらくは続いていく事になるのである。
 
そう、目前の売り手市場だけ見ていては、その先の荒波に飲み込まれてしまうのは必然だ。
これからは、会社という組織に頼るのではなく、自分自身は自分自身で磨きあげなければ、その会社諸共沈みかねない。
団塊の世代の大量退職や失われた10年間の雇用不足、若年者人口の急激な減少など、国内の特殊要因に一喜一憂している場合ではないのである。
 
だからこそ、「キャリアプランニング」という自身でキャリアを築いていく、という発想が重要度を確実に増しているのだ。


<strong>【仕事の本質】</strong>
 
では、その仕事というものに目を向けてみよう。
 
『<strong><a href="<$MTBlogURL$>career/000048.html">「勉強」と「仕事」の大きな違い</a></strong>』でも述べたが、仕事とは、例えば「勉強をすれば点が上がって合格する」というようなものとは異なり、自身だけの努力だけではどうにもならない場合もあり、同じく、その成果の大きさは、一人の努力だけでは変えきれない、というものである。
もちろん、だからと言って、手を抜けば如実にそれが成果に反映されてしまうという面があり、かなり厳しい環境であることは間違いない（しかし、だからこそ成果を出せた時の達成感は格別であるのだが）。
 
外部環境も厳しければ、そもそも、仕事自体も簡単なものではないのだ。
一部のラッキーな人を除いて、「成功者」といわれる人達は、総じて、他人よりも多くの努力を積み重ねているという事実が、それを物語っている。
勉強（暗記）をすれば点が上がる、という単純なものではない。自身の能力も向上させなければならないが、同時に、人を動かす力、手の届かない範囲の人をも律する力（仕組みを生み出す力）、自分以外の人の能力を開花・発揮させる力さえ求められる。しかも、時の運まで、引き寄せなければならない。
 
そんな仕事において、「○○業界にいれば安心」等と言うものが存在するだろうか？
 
想像通り、それは否である。
 
結局のところ、求められるのは、「○○業界」に行く事ではなく、どんな業界でも通用する力を養う事であり、もし選択するのであれば、それに必要だと「自分が」考える力を身に付けやすい業界はどこか、という視点である。
ここで勘違いしがちなのであるが、「便利な業界」はないという事だ。
「コンサルティング業界に行けば経営者になれる」とか「外資金融に行けばつぶしがきく」とか、確かに若干の合致するケースはあるが、それは、どちらかというと、その個人としてのキャリアの歩み方がメインであり、その業界にいたからそうなる、という事ではない。しかも、本当にそうなのかは、そこで身に付ける自分自身に問わなければならない。
 
サッカーチームに所属しているから上手くなるのではない。そこで血の滲むようなトレーニングを怠らないから上手くなるのだ。しかし、チームに属していた方が、トレーニングはしやすい環境にいられる。
これは、ビジネスにおいても同じである。
 
私がベンチャー企業に入ったのも、『<strong><a href="<$MTBlogURL$>career/000039.html">「ベンチャー企業」か「大企業」か</a></strong>』で述べたように、ベンチャーという環境が、自身が責任を負った中で、自身を鍛えるための試練の場として最適だと考えたからだ。
 
しかし、そのような視点だけでは、納得のいくキャリアを歩める訳ではない。


<strong>【成果にこだわりたいなら好きなところへ行け】</strong>
 
これだけでは、なかなかどこへ行くかの決断はできないだろう。
では、具体的にどうすべきか。
 
私は、基本的には「好きなところ」へ行く事をお勧めしたい。
 
仕事というのは、成果を出そうとすると、非常に厳しい環境である。これから社会に出る人達に対しては特にであるが、私は甘いことは言いたくない。それは事実に反するからだ。
仕事というは、辛いものである。
しかし、「いつか死ぬからこそ、生が尊い」のと同様に、「辛いからこそ、成果が出た時の喜びが大きい」のである。仕事とは、常にチャレンジであり、チャレンジして成果を上げるには、常に困難を伴う。
正直、私もくじけそうになった事は何度となくある。しかし、それでも気を振り絞って乗り越え、成果を出してきたからこそ、今があるのも事実だ。
 
そんな環境を乗り越えるには、少なくともその仕事、あるいはその会社や環境に自分が価値を見出しておかないと耐えきれない。
人が追い込まれた時、それをやりきれるかどうかは、その人の「想い」の強さにかかってくる。日頃は論理的に判断する事を求めるが、ここに限っていえば、確実に精神面からの影響が大きいのだ。
「好きこそものの上手なれ」ではないが、成果まで導けるかどうかは、ある意味、「執念」「しつこさ」がポイントになってくるのだ。それが生まれるのは、まさにそういった精神面、特に「想い」というところのインパクトが格段に大きくなってくる。
 
それを見出すには、少なくとも「好き」であるという感情は大切にする必要が、私はあると信じている。
「好き」でなければ、我慢はなかなか続かないものである。勿論、それが使命感にまで昇華しうるなら、よりやり抜ける確率は高まってくるが、使命感を持てるかどうかは、その人の経験、すなわち原体験に依るところが多いため、誰しもが容易に昇華できるとは思えない。
 
ただ、「好き」という評価だけでは、応用性に乏しいので、「○○という理由で良いor悪い」というものも見出していく必要があろう。
例えば、特に新卒採用者であれば、業界に特化せずに色々な業界・企業を見る事ができる。これは一生に一度あるかないかの大きな機会である。それを有効活用しない手はない。そう、とにかく気になる業界・企業は情報収集しにいくのだ。そして、少しでも「好き」とか「面白そう」と感じる企業をピックアップしておく。
次に、ここで止まってはいけない。一定以上、ピックアップ企業が出てきた後は、なぜその企業が「好き」とか「面白そう」と感じたか、自分に問い掛けてみるのだ。きっと何かの要因や理由があるはずだ。
ここで、得られた答えが、当面のあなたのキャリア選択の軸となるものである。
この軸を選ぶ事ができれば強い。なぜなら、大抵の場合、事象をそのまま持ってくるよりも、より普遍的な何かが見つかるからだ。
それがわかれば、道は自然と見えるようになってくる。少なくとも、私は行く先にあまり迷う事がない。迷うとするなら、複数の選択肢の中で、最も自分の方向性と合っているのかどうか、比較検討する際くらいである。
 
そこまで行ければ、当面の道はある程度楽に選べるようになってくるだろう。
後は、運を天に任せるではないが、採用企業側に下駄を預ければ良いのである。
 
しかし、就職するまではそれでも良いが、就職してからは、この方法ではままならない。
では、就職してからは、どのようなところに目を向けていけば、働き出してからも、大きな迷い道にはまる事はなくなるのだろうか。


<strong>【目前の成果にまずはこだわる】</strong>
 
一体、何が不足しているのか。
それは、「成果」へのこだわりである。しかも、それは大きな方が良い。
 
一つは、『<strong><a href="<$MTBlogURL$>professional/000142.html">なぜ、人の「成長スピード」に大きな差が生まれるのか</a></strong>』で述べたように、大きな「成果」を狙うと、「目標」が大きくなり、その分、大きな失敗する機会も得られ、成長に繋がりやすいからである。
そして、最初から失敗しても良いと思うのではなく、最後まで「成果」を出す事にこだわりを持ち続ければ、より、そこから得られるものは大きくなっていく。
 
そういった経験をしていければ、必ず大きな「成果」を出すときが来て、その「成果」を元に、次のキャリアをより歩みやすくなる。例えば、社内では最も難しく重要な課題が集まるようになるし、社外に対しても自分の名で話す事ができる。すなわち、個人としての市場価値は高まる。
 
もう一つは、「成果」を出す事で、あるいはその過程で、自分のやりたい事が明確になってくる、という理由だ。
よく、「私は何に向いているでしょうか」「私は何をすれば良いと思いますか」という質問を受けるが、そんな事を明確に分かっている人間など、本当に極僅かである。
芸事をやっている著名な人でも、ある程度の歳になって初めて、「この仕事が向いていたのだろう」と言えるぐらいである。そこまで強い信念を持てる人は、いないとは言わないが、何らかの原体験がない限りはないと言って良いだろう。
 
私も、キャリアを積む中で、「現場経験がなければ駄目だ」とか「経営の重要性というのは、思っている以上だ」とか「資本の論理は引っ張られては駄目だが軽視してはいけない」とか、それぞれのフェーズで気付いていった。
だからこそ、その必要性に駆られて転職に踏み切ったのである。
 
それに、成果を出せるようになると、見える景色が違ってくる。
例えば、業務改善に関する仕事で成果を上げたなら、それ以外の部門の業務の無駄というのが、見たくなくても見えてきてしまう。顧客対応力が身に付けば、営業部門や社内の顧客対応部門の粗が見えてくるだろう。
言葉では説明しにくいが、スポーツなり勉強なり何でも良いので成果を上げた人は、何となくイメージできると思うが、成果を出して自分の論理に自信がつくと、それとは違った事をしていて上手くいってない人がいると、立ち所に見えてくるものなのだ。
そうなると、次に何をすべきかは、まず迷わないだろう。どちらかと言えば、何から始めて良いか迷うくらいだ。
但し、そうなった時は、一歩引いて、「本当にそれだけで良いのか」と自分に語りかけるもう一人の自分を持っておくべきだろう。この辺りまで来ると、また違った悩みも出てくるのだが、それは今は考えなくとも良いかもしれない。
 
話はかわるが、最近、「思っていたのと違う」とか「配属先が希望通りではない」と言って、新卒入社でも半年から1年程度で会社を辞めて転職してしまう人がいるが、正直、「？」と思う。
そんなに自分の判断は正しいと言えるのだろうか。人に与えられたものに文句だけ言っていれば良いのだろうか。
 
自分の判断に確信を持って「Yes」と言えるなら、直ぐにでも部署異動なり転職なりすべきだろう。
実際、酷い会社も職場もたくさんあるから、それは否定しない。TOPが駄目なら会社は駄目、本部長が駄目ならその事業は駄目、中間管理職が駄目ならその部署は駄目。そういう判断は必要だ。駄目な環境に身を置く事は、短期間で十分だ。それ以上の価値があるとは思えない。
しかし、入社2～3年目くらいまでは、自分の視野は地面と同じくらいであると思った方が良いだろう。実際は、その仕事について何も見えていない事がほとんどだ。そんな視野だけで、正しい判断が出来るとは思えない。
やりたい事ができているか、と、会社や事業部が駄目、というのは、次元が異なるからだ。
 
どのような環境であれ、「成果」にこだわりを持って個人として当たれば、色々なものが見えてくるはずだ。そこに、会社のブランド名や流行りの業界など関係ない。
そういった積み重ねがあって、初めて、自分が「やりたい！」「やらなければならない」と思えるものが見えてくる。もし、それが見えてきたら、直ぐにそれが出来る環境に移るべきだろうが、少なくとも、それまでは、目前でも良いので「成果」にこだわりを見せて、実績を積み重ねて貰いたい。
そうすれば、いざ環境を移そう、と思った時に、様々な選択肢が向こうからやってくるはずだ。
 
これは、「女性の仕事選び」も同じことが言える。
私は、女性に就職先の相談を受けた際は、既にある程度意志が決まっている場合は別だが、基本として、女性が活躍しやすい業界・企業を選ぶ事をお薦めしている。
具体的に言えば、女性が使用する商品（製品・サービス）を扱っている企業である。もちろん、他の業界もあるし、業界に関わらず企業でも差は大きい。ただ、一般的に言って、顧客が女性の場合、女性の意見が重要視されるため、社内でも扱いは相対的に重要視される。
そこに行けば、より成果を出しやすいし、そういったチャンスもかなり高くなる。成果が保証される訳では決してないが、他よりもチャンスが多いのであれば、当然ながら大きなプロジェクトに関われる機会も多いし、成果を出せる確率は高くなるのだ。
 
勿論、だからと言って何でも良いとは言わない。先人達の知恵を借りる事は大切だろう。
特に、言葉は悪いが、「業界バカ」「○○会社バカ」にはならない事だ。自分の会社や業界を俯瞰して見る余裕は常に欲しい。
しかし、「キャリア」とは、与えられる、正解がある、というものではなく、そうして自分で見出し、掴み取るものである。
それは、心に刻んでおいて貰いたい。


<strong>【キャリアは積み上げ】</strong>
 
最後に触れておきたいのは、キャリアとは積み上げである、という事だ。
例えば、コンサルティング会社に入っても、分析ばかりしていては分析しか出来ない（但し、分析は人の何倍もできる）し、多種のプロジェクトをこなせば応用力の高いコンサルタントになれる（但し、特定業界の知見は貯まりにくい）。また、私のように現場経験も積んでいけば、現場に入って現場改革ができるようにもなれるが、現場経験がなければ、どうしても理論を振り回してしまうコンサルタントになってしまうケースが多い。
 
これは、考えれば当たり前の話ではあるが、その人が経験してきたものと、そこで上げた成果によって、その人が発揮できる力の可能性が形成されるのである。
ここについては、非常に厳しい環境下に身を置き、少々評価が悪くとも必死で食らいついていくことで、積み上げるスピードを加速する事が出来るが、決してジャンプアップする事は出来ない。
ＭＢＡをとったからと言って経営が出来る訳ではない、出来る可能性が少し高まる、という事と同じだ。
 
企業選びというのは、自分の舞台を選定する事に等しい。すなわち、自分で何を積み上げるかを選ぶ、という事である。決して、銀行に行けば優秀なバンカーになれる訳でもなければ、コンサルティング会社に就職したからと言って、経営改革が出来るようになる訳でもない。
そこで、「何を」「どれだけ」「どの程度の時間をかけて」積み上げるかが、大切なのである。
 
但し、一点だけアドバイスするとするならば、最初の会社の「仕事のスタイル」は、一生つきまとうと思った方が良い。
少し仕事を一緒にして、最初の仕事を聞けば、大体、「ああ、なるほど」と思うことが多い。
それは、「仕事の作り方」を最初の会社で身に付ける事に起因する。
かく言う私も、コンサルティング会社での経験は4年と、遂に事業会社での経験年数の方が長くなったが、未だに「コンサルタントっぽい」と言われるし、私はそれで良いと思っている。それが、自らが積み上げてきた自分らしさだからだ。
ただ、キャリア人生において一生ついてくる話であるから、そういう視点でどんなビジネスパーソン（官・民関わらず）になりたいかを考えてみるのも良いだろう。
 
 
最後にまとめよう。
「キャリア」には、万人に通じる正解などない。世の中のブランドや流行りに流されてはいけない。
また、「自己分析」をするだけでは、自分の適職など見つかりえない。「やりたい！」と思えるものに出会うためには、仕事という環境の中に身を置き、そこで「成果」にこだわる事で、初めて糸口が見えてくるものだ。
そして、仕事で成果を出すのは、最初はかなり力がいる事になる。好きでもない仕事でやりきれる程甘くはない以上、どこかのポイントでも好きになれる仕事を選ぶべきである。
また、求められるものを挙げるとするならば、それは、どこの業界・企業でも通じるベースの力であろう。
「キャリアプランニング」とは、「やりたい！」と思えるものが、朧気ながらでも見えて来た時に考える「環境選択」の手法である。
企業とは、自らが「成果」を出すための「舞台」でしかない。企業が自分のやりたい事を教えてはくれない。自身が「成果」と向き合う中で見出し、それを実現する場なのである。
 
「自己分析」が進まないと嘆く必要はない。様々な企業を見る中で少しでも光るものを感じたら、そこに飛び込んで足掻く事こそ、「やりたい！」と思えるもの探しの始まりなのだから。
 
 
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、中堅計測機器メーカーにて、業務領域全般を担当する執行役員代理として、各種改革業務を推進する。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>（本稿は個人ブログより転載）]]>
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   <title>マーケティング力を高める７　『ニーズを生みだす～商品・サービス開発の方法論～』</title>
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   <id>tag:www.fri-associates.com,2009:/blog//2.270</id>
   
   <published>2009-02-24T10:00:15Z</published>
   <updated>2011-02-21T07:22:24Z</updated>
   
   <summary>企業の強さは、当たり前の事を当たり前にする、というベースの力以外に、新しいものを生み出していける力、つまり企画開発力が欠かせない。しかし、こ...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="マーケティング・ブランディング" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      企業の強さは、当たり前の事を当たり前にする、というベースの力以外に、新しいものを生み出していける力、つまり企画開発力が欠かせない。しかし、この経済環境を前に、ものやサービスがなかなか受け入れられない、と苦労している企画担当者の方は多いのではないだろうか。
私は改革改善や企画開発を中心にキャリアを積んできたが、顧客のウォンツを探り出し、受け入れられるものを見出す事に、一定の法則があると感じている。今回は、この方法論、発想法について触れたい。



      <![CDATA[ 
<strong>【ニーズを生む必要性】</strong>
 
そもそも、なぜウォンツを「探し出し」て、ニーズを「生み出す」必要があるのだろうか。
実は、表面化しているニーズ向けの商品・サービスを検討しても良い。探し出さなくても良い分、導入部分は楽なのは確かだ。競合の真似をすれば良いだけである。
しかし、その分、競争は厳しいし、真似をしている以上、基本要素である「誰に」「何を」「どのように」について、差別化するのが非常に難しいので、実のところ、競合に勝る、あるいは、健闘するのは、かなり大変であるし、大抵の場合、価格競争に陥りがちだ。
そして、ちょっと考えたらわかるものは、ほとんどのケースで既に商品化されている。
慣れていない市場であれば、競合の商品分析をする方が、容易に理解が進む事が多いくらいだ。私も、ファーストフェーズにおける市場調査では、競合分析を活用する場合が増えている。なぜなら、市場が細分化されてきていて、その市場における情報を正確に知るという難易度が、かなり高くなっているからである。
 
話を戻そう。
つまり、特に市場が成熟している日本においては、浅い考えで生み出せる商品・サービスは、既に実現されており、かつ、後発組として参入して利益を獲得するまで至るのは、より難しくなってきている。
そのため、新しい市場、すなわち、「ウォンツ」を「探し出す」必要があるのだ。前号で触れた<a href="<$MTBlogURL$>marketing/000123.html">ブルーオーシャン戦略（BLUE OCEAN STRATEGY）</a>も、そのためのものである。
 
<strong>【シーズを把握する】</strong>
 
こういった環境下において、事業創出を本気で考えるのであれば、既にあるものの焼き直しでは不足する。
自分が考えているものが、焼き直しレベルなのか、それとも、新たなニーズを顕在化させ事業を創出するレベルなのか、明確に切り分ける事が大切である。
前者と後者では、アプローチが明確に違ってくるからである。
 
既にご理解の通り、このコラムでは、後者について扱うが、次にウォンツを探し出す方法について触れていこう。
 
まず、これは重要な事なので最初に触れるが、ニーズを生みだす、と言うことは、ビジネスにおいては、安定的にそのニーズに応え続けられる、という条件がついてくる。あるときは提供できるが、提供できない時も時々ある、というのでは、企業のスタンスとして疑われる（限定商品などは除かれる）。
また、ある程度の差別化をはかれる、あるいは、先行優位を保てるものでなくてはならない。市場が成熟するにつれて、参入企業が増えてきて競争は激化する。これは避けられない流れだが、差別化などにより、激化するタイミングを遅らせ、先行者利益を確保する事は可能だ。
 
そうなると、やはり自社が持てるものを最大活用するしかない。
それは、一言でいえば、「シーズ」である。
シーズとは、種、の意味であるが、その企業が持つ何らかの強みを指す。種を植えて、将来、実がなる（成果が出る）かもしれないものだ。
例えば、保有しているある固有の技術だったり、あるいは、現状提供しているサービスの一部だったり、それらのノウハウだったりする。
 
ニーズを生みだす、と聞くと、一から作っていくように思われるかもしれないが、スピードを要求される現在の市場環境においては、それは難しいと言わざるを得ない。
だからこそ、自社が持てるものを明確化し、それを活用する必要がある。
 
しかし、多くの企業で、自らのシーズを理解できていない。
なぜなら、自社では当たり前でも、他社や顧客から見れば、特別なものである場合があるが、外に目を向けていないと、その価値を正しく認識できないからだ。つまり、多くの企業で、外部視点を持ちきれていない、という証左とも言えよう。
 
市場を知り、競合を知らなければ、シーズを見出す事はできない。
あなたは、自社のシーズを本当に理解しきれているだろうか。
 
<strong>【ウォンツを探せ！】</strong>
 
残念ながら、シーズを理解するだけでは、ニーズにまで昇華できない。
なぜなら、それを求める者がいなければ、商品としては成り立たないからだ。
 
では、既に顕在化しているニーズを追うのではなく、新しいニーズを見出すにはどうすれば良いだろうか。
答えは簡単だ。
ウォンツになる一歩手前、顕在化していない欲求、すなわち「ウォンツ」を探せば良い。
「ウォンツ」とは、例えば、ある製品・サービスに対する不満であったり、何となく欲しいけど実現されていないものである。
 
第一に、最も簡単な方法は、「不満」を軸に考える事だ。
但し、その不満をそのまま受け取るのではなく、発生する要因をもう一段階、あるいは二段階ほど、深掘りしなくてはならない。
例えば、よくあるのが「値段が高い」という不満である。
しかし、よくやりがちだが、それを聞いてそのまま安くしてはいけない。過去に何度も触れているが、それを始めると、市場は不毛の大地と化す。DELLがPC市場を席巻したが、その代償として得られたはずの数多くの利益を失った。
どうすれば良いかと言えば、どういう時に値段が高いと感じるかを探る必要がある。例えば、BtoBのメンテナンスにおいては、都度見積もり型を取ると不満が出やすい。しかし、プライスリスト型を取ると不満は少ない。なぜなら、事前に納得した顧客しかメンテナンスしない事に加えて、メンテナンスするかしないかの主導権が、常に顧客側にある（ように感じる）からだ。他にも、<a href="<$MTBlogURL$>marketing/000123.html">ブルーオーシャン戦略（BLUE OCEAN STRATEGY）</a>で触れたQBハウスのように、自分のやりたいレベルでサービス内容を止められ、それが価格に反映される事で、その不満を解消する事もできる。
もちろん、こういったケースだけではないが、市場における不満を参考に裏に隠れたウォンツを見出す事ができる。
 
第二に、異なる市場のニーズを参考にする方法がある。
例えば、カメラや携帯に防水機能をつけたのも、元々は時計などの日常的に使用される製品に近づいてきたため、そこから持ってきた訳だし、三洋のエアウォッシュなどは、元々BtoB向けに展開されていた技術を転用して、家庭用にしたり、掃除機フィルターの汚れ落としは、同じく集塵機などの工業製品で用いられていたものを活用している。
このように、他の業界や他の顧客向けに展開されているものを、持ってくるというケースは、顧客層の行動様式などが近いほど、リスクが少なくて済む、という特徴がある。
ペルソナなどの手法を元に、その顧客像が他にどのようなものを使っていて、どのようなものに価値を感じているのか、顧客理解を進めれば進めるほど、こういった「異なる市場におけるニーズの流用」が行いやすくなってくるのだ。
そのためにも、深い顧客理解は、ここでも必要となるであろう。
 
<strong>【あらゆる組合せから想像の翼を羽ばたかせる】</strong>
 
「シーズ」と「ウォンツ」を把握した後はどうするか。
それらを並べて見て、組み合わせてみて、ニーズに昇華できるものがあるか、徹底的に考え抜く必要がある。
「この組合せはないよな」などと決めず、とにかく、あらゆる組合せを試してみるのがコツだ。
ここから先は、ペルソナなどの手法を駆使し、本当に欲しいと思うか、顧客視点にこだわって、いや、顧客視点以外は考えないぐらいの気持ちで、組合せを評価していかなければならない。

この時に、思い入れなどは不要だ。
ついつい、自分が見出したものなどを推してしまいがちだが、それをやってはマーケティングを担う者としては、完全に失格である。
常に、豊かな想像力を発揮してイメージを膨らませ、その後、第三者の視点で、冷徹に物事を見極める。
それにより、真に進むべき道が、うっすらとかもしれないが、見えてくるだろう。
 
 
最後にまとめよう。
今の時代、市場は成熟し、ニーズとして表出し、認識しやすいものは、ほとんどが提供されてしまっている。
そのため、提供者は、新たなニーズを生みだしていく必要がある。
「ニーズ」を生み出すには、「シーズ」と「ウォンツ」を探る必要がある。
なぜなら、実際に「ニーズ」を生み出し何かを提供するには、「シーズ」は欠かせないし、「ウォンツ」が無ければ、非常に革新的なものを除き、決して「ニーズ」にはなり得ないからだ。
「シーズ」は技術もあるが、サービスやその他の部分でもある。ある意味、「差別化可能なリソース」と思ったら良いだろう。
また、「ウォンツ」はユーザーの「不満」や異なる市場における「ニーズ」を参考にすると、見出しやすいと言えよう。
改めて見直せば、自社（シーズ）と顧客（ウォンツ）を見て、競合など他社の商品（製品・サービス）を参考にする、という当たり前のことを言っているに過ぎない。
しかし、多くの企業では、自社の都合で動き、顧客を見ない、あるいは、顧客は見ても競合は意識しない、という事が現実に起きている。
是非、もう一度、基本を押さえ、ニーズを見出していって貰いたい。
 
 
●「マーケティング力を高める」シリーズ
 <a href="<$MTBlogURL$>marketing/000041.html">マーケティング力を高める１　『マーケティングとは何か』</a>
 <a href="<$MTBlogURL$>marketing/000066.html">マーケティング力を高める２　『ターゲットを絞る』</a>
 <a href="<$MTBlogURL$>marketing/000085.html">マーケティング力を高める３　『コンセプトを打ち立てる』</a>
 <a href="<$MTBlogURL$>marketing/000107.html">マーケティング力を高める４　『コミュニケーション・ミックス』</a>
 <a href="<$MTBlogURL$>marketing/000127.html">マーケティング力を高める５　『新マーケティングミックス』</a>
 <a href="<$MTBlogURL$>marketing/000123.html">マーケティング力を高める６　『ブルーオーシャン戦略（BLUE OCEAN STRATEGY）』</a>
 
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけたが、自身の仕事の関わり方に疑問を感じ、ベンチャー企業に転職。経験を活かし、経営・事業・商品・営業等の企画業務、ライン管理職、各種改革関連業務を担い、徹底した現場主義により業績拡大を支えつつ、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングにも責任者として従事。業界特性を考慮した実践的なアプローチにより実績多数。その後、IT・ライフサイエンス領域の投資育成企業にて子会社の事業企画や経営改革、大手メーカーの機構改革などにあたった後、地元関西に戻り、中堅計測機器メーカーにて、業務領域全般を担当する執行役員代理として、各種改革業務を推進する。
　
※<a href="http://twitter.com/friassociates">ＦＲＩ公式ツイッター</a>（筆者が主担当です）
※<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
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