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   <title>FRIコラム</title>
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   <title>非エリートキャリアのすすめ</title>
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   <published>2008-07-11T16:00:00Z</published>
   <updated>2008-09-17T14:55:31Z</updated>
   
   <summary>最近、活躍している経営者の方々の話を聞いていると、多くの人が、いわゆる「本流」のキャリアを歩んでいない事に気がつく。もちろん、経営者育成を主...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="キャリア・就職" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      最近、活躍している経営者の方々の話を聞いていると、多くの人が、いわゆる「本流」のキャリアを歩んでいない事に気がつく。もちろん、経営者育成を主眼に、敢えて本流を作らない会社も出てきているが、特に、日系大企業はこの傾向が強いように感じる。
「本流」とは、いわゆる、「エリートコース」というものである。


      <![CDATA[ 
多くの企業において、本社管理部門はエリートコースになっている事が多い。
最近は、経営幹部候補ということで、子会社の経営層を経験するケースも出てきているが、大抵は、財務部門や経営企画部門などを経て、役員への階段を登り始める。
他にも、その企業で最も大きく安定している事業の管理職も、コース上にある事が多い。
 
しかし、そういったタイプの人が社長に就いても、企業は大きな発展をしたケースは少ない。
それは、多くの著名な経営者を見てみれば明白だ。ほとんどが傍流で多様な経験を積んでいるケースが多い。
確かに、本流の人がトップに就くと、企業が潰れるケースは少ないようだ。ただ、大きな問題が起きた際に、企業が傾くのもまた、こういったエリートコースを歩んできたトップであるケースが多い。
ようは、失敗がないかわりに成功もなく、安定するが変化に弱いのである。
 
これは、今までの「エリートコース」が「成功させる(≒挑戦する)」人ではなく「失敗をしない」人を選んできたからに他ならない。
こういっては何だが、大企業のメインストリームを担う事業は、頑張って良くしようと「しなければ」、悪くなることもまた少ない。ようは、変化させなければ、誰がやっても同じようなものである。だからこそ、その企業は秀でているとも言えるのだ。
そんな安定的なところばかり経験し、失敗だけはせずに、それなりの期待にだけ応えてきた人が、自ら目標を掲げて会社をリードし、環境変化に合わせて変革し、更なる発展を遂げられるのだろうか。それが難しいことは、想像に難くないだろう。
 
そして、どれだけ大きな企業でも、事業の集合体であることに他ならない。そして、事業は成長と衰退のサイクルで動く。つまり、いつまでも安定だけ求めていてはならず、必ず転換期を乗り越えなければ、その企業は傾くのである。
多くの日本企業は、市場の拡大にのって、そういった本来の転換期を誤魔化して乗り越えたような錯覚を得て成長してきた。その分、企業の内部に多くの歪みが残されており、そういった部分にメスを入れたり、ボーダレス化や消費者の成熟化という市場環境変化に対応するため変革を進められるトップでなければ、企業を更に成長させることは難しいと言えよう。
 
少し脱線するが、いわゆる新卒で入社する人気企業についても、企業の抱える事業のサイクルから考えると、ある程度仕事で実績をあげて、更に大きな実績をあげるための仕事に就ける頃には、その企業や企業が属する産業自体が、衰退期に入っていることも多々ある。
今でも、多くの学生が金融業界を目指すと聞くが、金融とは社会インフラの一部である以上、なくなる事はなくとも、大きく役割を変える事もない。ガスや電力のように規制がかからないのであれば、その多くは競争に晒されて、当然ながら業績を悪化させる銀行も出てくる。あれだけ多くの雇用を、将来にわたって維持できるとは到底思えないし、給与だって相対的に下がってくるだろう。
それなのに、なぜか現状の安定を求めて、多くの人が「現在の人気企業」、そして、多くの場合「将来の不人気企業」を選んでいる。これも１つの歪みと言えるだろう。
 
話を戻すと、これからますます本質的なリーダーが求められる傾向は強まっていくだろう。後少なくとも、四半世紀近くは続くと思われる。
そうであれば、大企業の「エリートコース」を目指すことが、本当に将来の自分のためになるのか、素直に考えてみればわかって貰えると思う。
 
これから求められる人材は、自ら考え、自ら方向性を打ち出し、それを推進できる人である。
そういった人材は、早くから人の上に立ち苦労をし、新しいことに挑戦して意思決定し、多くの失敗も経験することで、多様な価値観を理解し、自らの考えを的確に伝えて人を動かせるようになるのだ。
すなわち、今で言う「非エリート」コースを歩まなければならない。
いわゆる本社管理部門ではなく、新しい事業や大きくない事業、あるいはベンチャー企業などにおいて、自らがなるべく重い責任と権限を持って、事業を遂行する立場に身を置き、極論すれば、本社管理部門のような安定環境から遠い、いつ潰れるともわからない不安定な事業現場で、事業の本質を学ぶべきだろう。
 
そのためには、旧来型の「エリートコース」に乗っていては、それは望めない。
社内異動でも転職しても良いが、若いうちから安定した場所に身を置くのではなく、数年でビジネスの基本を身に付けた後は、失敗できるうちは失敗を恐れずにチャレンジする、また、チャレンジできる環境にいることを心がけた方が良いだろう。
少なくとも、大企業に入って育てて貰おう、などという甘い考えは捨てた方が良い。正直、そんな余力はほとんどないのが実態である。少なくとも、活躍の場、として捉えるべきだろう。
 
それこそが、自身を加速度的に成長させ、自立という最も安定した力を手にする方法なのである。
 
 
より詳しく知りたい方はこちらへ（本稿は、個人ブログより転載）
⇒ <a href="http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/17/P0001700.html">筆者メルマガ「ＦＲＩマーケティング＆キャリア（旧就職参謀）」</a>
⇒ <a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
 
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけ、その後、自らの関わり方に疑問を持ちベンチャー企業に転進。経験を活かし、経営企画・事業企画・商品企画・営業企画など様々な企画業務、数十名規模のライン管理職、業務・会計・人事などの各種改革業務などを担い、業績拡大を支える。また、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングに責任者として従事する。実践的なアプローチにより実績多数。IT・ライフサイエンス系投資育成企業にて、子会社の事業企画や経営改革、大手企業の機構改革などにあたった後、現在は、地元関西の中堅メーカーにおいて、業務領域担当の執行役員として、戦略遂行と業務改革・改善など、成果にこだわった企業運営を担っている。
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   <title>JAL 国内線ファーストクラス導入を分析する</title>
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   <published>2008-06-30T14:30:05Z</published>
   <updated>2008-06-30T14:42:42Z</updated>
   
   <summary>JAL国内線にもファーストクラスが導入され、サービスが拡大されている。しかし、彼らの戦略を見ているとマーケティングの本質を見誤っており、ブラ...</summary>
   <author>
      <name>アドバイザー　河合 拓</name>
      
   </author>
         <category term="マーケティング・ブランディング" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      JAL国内線にもファーストクラスが導入され、サービスが拡大されている。しかし、彼らの戦略を見ているとマーケティングの本質を見誤っており、ブランド毀損が起きているということに気づいていないことがわかる。



      <![CDATA[JAL国内線にもファーストクラスが導入され、サービスが拡大されている。しかし、彼らの戦略を見ているとマーケティングの本質を見誤っており、ブランド毀損が起きているということに気づいていないことがわかる。


　今回のファーストクラスは、従来はステータス取得者でしか入れなかったプレミアムラウンジや搭乗時の名前でのご挨拶なども含まれている。しかし、「贅沢」と「特別」の境界線が曖昧になり、FSP（フリクエントショッパーズプログラム）顧客が混乱し始めているわけだ。


　ファーストクラスというものは、そももそ「お金」で「贅沢」を買うものだ。極論を言えば「金を払えば贅沢は青天井」でもよいといえる。一方、「特別」は決してお金では買えない。ビルゲイツが登場したてのSONYのAIBOを購入しようとしたが買えなかった、または、田園調布の某テニスクラブはお金を積んでも会員の紹介がなければ入会できない、というのに似ている。同様に、ステータス取得者だけが得られるサービスというものは、それだけで残しておく必要があり、例えば、プレミアムラウンジ、または、（たとえ、エコノミークラスに登場しようと）搭乗時にチーフパーサーがでてきてお名前をよび挨拶をしてくれる、などのサービスだ。プレミアムラウンジには、たとえファーストクラスの客でもいれてはいけないと私は思うし、ステータス会員であればエコノミークラスであろうと挨拶するぐらいがよい。これは、由緒正しい会員制クラブに六本木のIT成金がいきなり入ってくるようなものだからだ。こうすることでファーストクラスとエコノミークラスの両方を囲い込むことができる。


　おそらく、年間50回以上のフライトという気が遠くなるような努力で得られるステータスが、たった8000円のアップチャージで簡単に得られるようになれば、ステータス会員はANAなどに流れてしまうだろう。せっかく囲い込んだ顧客をわざわざ逃がしているようなものだ。私は、この二つも持ち合わせていないいたって普通の搭乗者だが、純粋なマーケティングの観点からJALの戦略に苦言を呈したい。


　キーワードは「特別」と「贅沢」をしっかり別けて考えることである。




この記事はFRI Magazineからの抜粋です
<a href="http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/09/P0000975.html">http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/09/P0000975.html</a>


【著者】
河合　拓　(かわい　たく)
経営コンサルタント　広く流通、小売業界に対して事業の立て直し、組織改革などを行っている。得意領域はマーケティング、事業戦略、生産性向上、営業改革、ナレッジマネジメント導入など。手がけた企業は国内外の大手上場企業。製造業、IT 企業、総合商社、流通企業など。赤字の上場企業を半年で黒字化させるなど、過去5社の立て直しを行いすべて成功裏に終わっている。
NPO法人FRIの設立者（現在はシニアアドバイザー） 自民党への政策提言、私立大学と大手商社と産学協同ブランド開発プロジェクト、大学生向け就職支援、中小企業向けコンサルティングなどを行っている。


(講演、執筆）


繊研新聞　（全国紙)
「ザ・ターンアラウンド」アパレル業界の事業再生　2007年 9月より連載予定
「間違いらだけのQR」「ファッション業界は08年に起きる地殻変動に備えよ」連載
チェーンストアエイジ　「キャッシュフロー経営」
大手都銀向けビジネス雑誌寄稿
大手製造業向けビジネスマガジン寄稿
政策学校一新塾 (大前研一設立) 講師　経営戦略アドバイザ
「ロジカルシンキングと会議の設定」
「仮説構築と情報収集、分析の技術」
「プロジェクトマネジメント」
「モチベーションマネジメント」

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   <title>企業参謀</title>
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   <published>2008-06-07T05:51:36Z</published>
   <updated>2008-06-08T04:14:35Z</updated>
   
   <summary>経営コンサルティングという仕事から、仕事の内容がどんどん広がってきている。最近では、上場企業のCEOの参謀となり、ディスカッション、ブレイン...</summary>
   <author>
      <name>アドバイザー　河合 拓</name>
      
   </author>
         <category term="経営戦略論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      経営コンサルティングという仕事から、仕事の内容がどんどん広がってきている。最近では、上場企業のCEOの参謀となり、ディスカッション、ブレインストーミングを通して多角化戦略、成長戦略の青写真を描く。時に、クライアントの名刺を持って海外提携先との交渉を行う、または、有能な人材をスカウトしヘッドハンティングを行う、などという仕事も増えてきている。現時点で、レポート一冊いくら、という仕事はほとんどしていない。
      <![CDATA[
　そんな中、CEOの側にいて感じることは、彼らには全く情報があがってこないということだ。これは、特に伝統的な会社、歴史の古い大企業ほどその傾向が強い。笑い話がいくつかある。私が社長室にあがっていこうとすると受付から企画室へ自動的に情報が流れ、「何をしに来たのか」と大騒ぎになる。何か、まずいことを言ってはいないかと気が気でないわけだ。また、中期経営計画を立てている時も、投資対効果計算を行っている時、大きく「これぐらいの費用がかければ３年後にこれぐらいのリターンが出る」という中間報告をCEOに告げようとすると、部長あたりが大騒ぎをし出し、「確定した数字ではないので言っては困る」と騒ぎ出す。数十億の話の中で、数千万程度の誤差に後一週間かけるのであれば、現時点の概算を不確実性も含めて報告しておいた方が、経営判断を誤らない、と説得しても「正確ではない」の一点張りで言うことを聞かない。


さらに、事業戦略のオプションを考えているとき、良いアイデアが生まれたら、その場で紙にパッと書いて社長室に持って行こうとすると、「ちゃんとパワーポイントに落とせ」、「アジェンダを組め」など、体裁を整えることに必死になる。その体裁に3人の人間を動員し、3日かけてやるのだから、その非効率たるや想像に難くないだろう。


　こうして、CEOのところにあがってくる情報は、確かに、当初の数字よりはいろいろなアサンプションが組み合わさり、それなりに細かい数字になっているのだが、3人も一週間かけて作り出すほどの違いではない。それ以上に、その一週間で交渉が頓挫したり状況が変わったりする方が怖いわけだ。こういう仕事をしていると、コンサルタントという立場の良さをつくづく感じることがある。やはり、私の場合は「雇われ」だから、ある意味フェアでCEOの視点でいろいろな助言、提言ができるのだが、組織の中にいれば、自分の評価にもつながるし生活もかかっている。当然、できるだけよそ行きな格好で経営トップを話をしたいのだろうが、その組織の成長という意味で言えば、何の効果もない（無駄でしかない）という感じだ。



* この文章は河合拓の個人ブログ 「事業再生コンサルタント河合拓の視点」の過去のものから抜粋しています
もっと読みたい方は→<a href="http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/09/P0000975.html">http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/09/P0000975.html</a>


【著者】
河合　拓　(かわい　たく)
経営コンサルタント　広く流通、小売業界に対して事業の立て直し、組織改革などを行っている。得意領域はマーケティング、事業戦略、生産性向上、営業改革、ナレッジマネジメント導入など。手がけた企業は国内外の大手上場企業。製造業、IT 企業、総合商社、流通企業など。赤字の上場企業を半年で黒字化させるなど、過去5社の立て直しを行いすべて成功裏に終わっている。


NPO法人FRIの設立者（現在はシニアアドバイザー） 自民党への政策提言、私立大学と大手商社と産学協同ブランド開発プロジェクト、大学生向け就職支援、中小企業向けコンサルティングなどを行っている。

(講演、執筆）


繊研新聞　（全国紙)
「ザ・ターンアラウンド」アパレル業界の事業再生　2007年 9月より連載予定
「間違いらだけのQR」「ファッション業界は08年に起きる地殻変動に備えよ」連載


チェーンストアエイジ　「キャッシュフロー経営」
大手都銀向けビジネス雑誌寄稿
大手製造業向けビジネスマガジン寄稿


政策学校一新塾 (大前研一設立) 講師　経営戦略アドバイザ
「ロジカルシンキングと会議の設定」
「仮説構築と情報収集、分析の技術」
「プロジェクトマネジメント」
「モチベーションマネジメント」
 
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   <title>「軸」を定める</title>
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   <published>2008-05-30T16:33:55Z</published>
   <updated>2008-05-30T16:41:02Z</updated>
   
   <summary>私が仕事を進める上で、徹底している事がある。 これを守らない場合、私がその仕事を見ている場合は、決して許さないし、経験上、これを飛ばして仕事...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="マネジメント・リーダーシップ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      私が仕事を進める上で、徹底している事がある。
これを守らない場合、私がその仕事を見ている場合は、決して許さないし、経験上、これを飛ばして仕事が上手くいったケースは、一部の運が良かった場合を除いて、非常に稀である。
だからこそ、徹底しているのであるが、これを徹底することで、どれだけ様々な障害に合おうとも、仕事は比較的順調に進む。

      <![CDATA[ 
それは、『「軸」を定める』という事である。
 
仕事には、大きく
・方針（軸）を定める
・方針に沿って、詳細な実行手順を決める
・手順に従って実行する
と３つ程度に分類される。
 
これは私の個人的な意見であるが、一般的に優秀（有名大学を出ていて偏差値が高い）な人は、詳細な実行手順を決める事に注力し、頭より手足を動かす事だ！というような体育会系の人は、実行する部分に注力するように感じる。
どちらが良いという事ではないが、どちらも最初の「方針（軸）を定める」部分が、軽んじられがちである。
 
確かに、仕事をする上で、方針というものは無くとも進められるのは事実である。
しかし、案を練ったり実行して汗をかくことはできても、結果的に成果に繋がらない事が多い。
「失敗も経験のうち！」とも言えるかもしれないが、それは、多くのケースで成功できる場合に限られるし、失敗と言っても、大成功に終わらなかった場合に言うセリフであろう。
実は、本気で成果を求めるのであれば、この「方針（軸）を定める」ことが、最も重要なのである。
 
先日もこんな事があった。
あるイベントのオープニングについて話していたのだが、担当から「オープニングなので短時間で終わらせる事が第一なので、使用する音楽は短時間に編集できているものにしたい」という話があった。
一見すると筋が通っているように感じるが、そこで「オープニングって何のためにするの？」と聞くと、返ってきた言葉が「スムーズに司会に繋ぐために、注目を集めるため」であった。
私はすかさず、「そうであれば、一言で注目を集められるから、オープニングに音楽を流すのは止めたら？」と返した。なぜなら、注目を集めるためだけにやるのは、費用対効果が悪すぎるし、短時間で終わらせるものの究極は、「やらない」という事であるからだ。その方向で最善を尽くせば、当然、やらない判断も出てくる。
それに対して、担当者は色々と理由を並べて話したのであるが、聞けば聞くほど、オープニングに何かをする必要性を感じなかった。
私は、それに対し、「軸は大きく２つ。イベントに集まった人にイベントの目的を伝える事に注力するか、集まった人の負荷を考えて取り止めることも含めて最小化するか、どちらかじゃない？」と指摘した。つまり、「何の為に」を明確にして、詳細な実行手順は、それに即した形で徹底して考え抜く、という事である。
「短時間で終わらせる」というのは、あくまで実行手順の話であり、それより前に、方針を定めないから、議論が行ったり来たりするのだ。
結論は担当者に任せたが、シンプルに考えれば一気に片が付く事を、ああでもない、こうでもない、と数時間かけて議論しているのだから、仕事の効率が悪くて仕方が無い。
 
こう聞くと、笑い話のようだが、皆さんの周りでも、このような事が起きていないだろうか？
私がコンサルティングに入ったり、ベンチャー企業で経験したケースの多くが、この「軸が定まっていない」事によって、時間と人をムダに浪費していた。
酷いケースでは、「方針を提案して欲しい」と顧客企業から頼まれる事も多く、提案した方針についても意思決定できない、という事も多々あった。そういう場合、過去に同じようなプロジェクトやタスクフォース、検討委員会が設定され、提言内容もバラバラで、結果的に何も実行されず、現場はプロジェクト疲れを起こしている。なぜなら、方針が不明瞭であるにも関わらず、具体的な実行策を求められて、「これは難しい」と却下されたり、突然方針が変わって努力がパーになったり、方針自体を提案しても、上の会議で決まりきらずお蔵入りになったりしているからである。
 
私は、複数の仕事を抱えても、ある程度業務を進められるが、それもこの「軸を定める」事をどれだけ最初に労力をかけても徹底するからである。逆に、これが出来ない場合は、失敗を覚悟して進めなければならず、そういう場合は、エマージェンシープランを練りながら進めたりもする。
 
詳細は、その場その場の環境変化で、当然ながら変わってくる。なので、逆に柔軟性がある方が良い。
しかし、だからこそ、方針が定まってなければならない。
「五重塔」が地震で倒壊しないのは、「心柱」という中央構造体を持ち、それ以外の部分を揺らす事で、ある意味、免震的効果を生み出す効果によるらしい。つまり、芯をしっかりと持ち、他に遊びを持たせる事で、地震に対する柔軟性を生み出している。
仕事における「方針（軸）」と「実行手順」はこれに似た関係にあると言って良いだろう。
「方針」が定まらなければ、「実行手順」がどれだけしっかりしていても、成功はおぼつかない。環境変化に耐えうるには、「方針（軸）」が定まっている事が必須なのである。
 
私は、方針を定められない事を会社のせいにする管理職を多く見てきた。しかし、本当に方針を定める事が、そんなに難しい事なのだろうか。
私はそうは思えない。
適切な訓練と経験を積めば、方針を幾つかに絞込み、決定するための要素を洗い出す事は、それほど難しい事ではない。もちろん、学習しなければ、身につかない事ではあるのだが…。
そして、確かに大変ではあるが、定める事によって得られる成果は、それを超えて何倍もあるものだから、チャレンジすべき格好の対象と考えるべきであろう。
 
私個人の意見を言わせて貰えれば、この仕事を完遂するために学ばない管理職などのリーダーの役割を持った人間は、サボっているの一言に尽きるし、そんな人間はリーダー格のポジションにいるべきではない。なぜなら、その組織にいる人達を、人として不幸にしてしまうからだ。
 
皆さんの仕事の仕方は、本当にいつも目的を見据えられているだろうか。
改めて、自分や自分の周りを見渡してみて欲しい。
青い鳥を追うのも良いが、ある意味、直ぐそばにフロンティアがあるのかもしれないのだから。
 
 
より詳しく知りたい方はこちらへ（本稿は、個人ブログより転載）
⇒ <a href="http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/17/P0001700.html">筆者メルマガ「ＦＲＩマーケティング＆キャリア（旧就職参謀）」</a>
⇒ <a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
 
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけ、その後、自らの関わり方に疑問を持ちベンチャー企業に転進。経験を活かし、経営企画・事業企画・商品企画・営業企画など様々な企画業務、数十名規模のライン管理職、業務・会計・人事などの各種改革業務などを担い、業績拡大を支える。また、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングに責任者として従事する。実践的なアプローチにより実績多数。現在はIT・ライフサイエンス系投資育成企業にて、子会社の事業企画や経営改革、大手企業の機構改革などにあたる。]]>
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   <title>知らずに陥る魔の思考停止とは</title>
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   <published>2008-05-08T23:00:00Z</published>
   <updated>2008-05-09T14:13:31Z</updated>
   
   <summary>日本企業や政治・行政においても、本質的な課題解決がなかなか進まないのは、ガソリン税の暫定税率１つとっても、皆さんご存知の通りだ。特に、政治・...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="プロフェッショナル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      日本企業や政治・行政においても、本質的な課題解決がなかなか進まないのは、ガソリン税の暫定税率１つとっても、皆さんご存知の通りだ。特に、政治・行政は、見ていて滑稽なほどである。それは、どうしてだろうか。
企業を中心に、様々な現場を見てきた結果、その最大の要因は、「思考停止」にあると私は考えている。これは、知識詰込型教育の弊害とも言えるが、想像以上に多くの人が陥っている。

      <![CDATA[ 
今回は、幾つかのケースに分けて典型例を述べるので、是非、自身が「思考停止」に陥っていないかを確かめて貰いたい。
 
<strong>【神様症候群】</strong>
 
「思考停止」の典型的なケースで、最も良く出会うのが、「○○さんが言ったから」というものだ。
これの類型として、「わが社では、昔からそうなっている」「社長が決めた事だ」というものもある。
私はこれを、「神様症候群」と呼んでいるが、「お客様は神様です」とお客様の言っていることをそのまま実行するのも、この延長にあると考えている。
 
これは非常にわかりやすいケースなので、ちょっと考えればわかるだろう。
例えば、上司が言ったことを鵜呑みにして、それをいかに実行するかだけを考えたり、その世界での大家が言った事を、何の疑問も覚えず丸暗記したりしていないだろうか。
あるいは、「事業戦略ならプロダクトポートフォリオだ、マーケティングなら4Pだ、事業環境分析なら5フォースだ」などと、何でもまずは兎に角言われた通りのフレームに当てはめないと考えられない人も、これの類型に当てはまる。
最近のケースで言えば、新銀行東京の追加融資も、都知事の意向を実現するためだけに再建策を練ったのだろう。このような状態になってしまったことを分析する報告書を、詳細まで読まずに計画を立案したというから驚きだ。
 
この症状の問題は、それを続けていくと、課題の本質を理解することは勿論のこと、自らでは何も生み出せないようになってしまうことだ。
勿論、そんな事はないと思われる方も多いだろう。私も、他者の知恵の集約である書籍は、月に10冊以上読むことも多い。その書籍には、大家が書いたものも当然含まれ、フレームワークも提示されている。
しかし、それをどのように見るか、という点が大切だ。
人というのは、同じ事をずっとやっていると、「癖」付いてしまうものである。
つまり、何の比較検討もなく、偉い人が言っているからと言って、受け入れてしまっていては、どんどんと自らの思考が錆ついてきて、いざという時に働かなくなってくる。
ある世界的に著名なビジネス誌の紹介の中の大前研一氏のコメントで、「昔から自分の考えを比較する対象として読んでいる」という意味のものがあった。それも、今ほど有名になるずっと以前からである。つまり、どれだけ大家のコメントであれ、それを鵜呑みにせず、自ら考えるための対話に使う。
他者の英知であれ、そのように用いなければ、誰かに依存している事と変わりはないのである。
 
<strong>【寄らば大樹症候群】</strong>
 
最近の就職先の保守化（寄らば大樹）傾向も、根底にはこういった思考の依存体質による停止があるように思える。今から10年前に遡ったときに、果たして高成長・高収益企業がどれだけ大きかったかを見てみれば簡単である。あのTOYOTAでさえも、世界一（とほぼ同じ）になる事を見抜いていた人は少なかっただろう。
そう考えれば、今の大企業にすがるのは、必ずしも安全ではないと言う事がわかるにも関わらずである。
まあ、ここまで就活生の大多数が、大企業志向になれば、違う側面から見られない気持ちはわからないでもないが、結局は、他人は他人である。大勢に流されることは、今の時代において、リスクが大きすぎる。
 
これらがより進むと、「赤信号みんなで渡れば怖くない」というものがある。
ようは、集団心理というものだ。つまり、集団に依存して、思考が停止してしまう。
ビジネスにおいては最近流行り？の「偽装事件」があるが、三菱自動車などの大企業も、リコール隠しで潰れそうになるなど、自分で考えず集団に依存する体質というのは、クリティカルなダメージを与えるようになってきている。ただ、最近は、「内部告発」という形で事件が明るみに出る事も増えてきており、理由はどうであれ、発信者だけでなく受信者も、少しは真っ当な判断ができる人が増えてきたかな、と感じる。
 
しかし、仕事の現場に目を向けると、まだまだこの傾向は強く残っている。
例えば、何か仕事を進めようとする時、部署を跨ると途端に進まなくなる事はないだろうか。私は特にそういった部署を越えた課題を扱うことが多く、そういう方が山ほどいるのではないかと感じている。
 
それを生み出すのは、縦割り意識だ。
この縦割り意識も、特定の部署に思考を依存しているからこそ起こることである。なぜなら、合理的に考えて全体の利益になることであれば、考えるまでもなく進めるべきだからだ。例え、自分の部署が一時的に業務量を増やす事になっても、人員や商圏を譲ることになっても、そこに合理性があるのであれば、甘受すべきなのだ。
しかし、そこで多くの人が、自部署の利益を優先してしまう。「総論賛成・各論反対」のように、一歩引いて見れば合意できるのに、自部署の事となると「話は別」となるから不思議である。
それを推進者として経験すれば、如何にこの思考停止が問題を引き起こしているかを理解していただけるだろう。
 
これらの根本は、寄らば大樹の思考であり、大樹が決めた事に対しては口をはさまないばかりか、自分で考え直すことすらしないのである。そのような組織に明日があるのか、私は甚だ疑問である。
少なくとも、そのような甘い環境が許され続けるとは思わない方が良い。大量のリストラや採用抑制があったのは、つい最近のことである。私が就職した時は、まさにその時代であり、現在、30代前半の主戦力不足が、多くの企業で課題となっているが、それも、大企業が中心に行った横並びの採用抑制の結果なのだ。
くれぐれも「大企業に入れば安全」などと、思考を停止させない方が良いだろう。もちろん、借金体質改革に道州制導入による行政の大改革を控えた公務員も、それは同じである。せめて、自分のことくらいは、自ら考えて意思決定して欲しい。
 
<strong>【変革恐怖症候群】</strong>
 
「わが社（部）では、昔からそうなっている」
私は何度この言葉を聞いただろうか。最近では、聞いた瞬間に苦笑が抑えられないくらいである。
 
私は主に改革と企画という新しいものを創造する仕事をメインにやっていた。つまり、変化がないところでは仕事がない。
そのようなキャリアを積んできたので、変化に対しては何も感じないが、そういった仕事を通じて、逆に、多くの人は変化を本能的に恐れる・避けることもわかってきた。
確かに、仕事に慣れてきた途端、部署異動をさせられ続けたら、さすがにまいってしまうのはわかる。仕事とは、勉強ではなく成果を出すことで評価される世界だし、人は何であれ評価されることを望む生き物だからだ。そろそろ慣れてきて上手く成果が出せそうだというタイミングで、次のステップへ、と言われると、「今からなのに！」と思う心情はわかる。
 
しかし、変わらなければ、「緩慢な死」が待ち受けているだけだ。先延ばしすればするほど、病は悪化していき、治療方法も副作用が大きいものに限られてくる。世界規模での競争が普通となった以上、前と同じことをしていることが、最大のリスクなのである。これは、小資源国である日本は、決して避けられないことだ。
「変える＝悪」のように思い込み、それ以上、思考が進まない人が多すぎる。「やれと言われれば協力する」などと言うが、そもそも自分の仕事を変えるのに「協力する」はないだろう。既に、この時点で、自分が変える、という事に対して、思考が完全停止してしまっているのである。
 
変革に対する抵抗は、非常に強いものがある。
日本は「既得権益」社会だと常々感じるが、一度得たものに対する執着心は、何についても非常に強いものを感じる。そこに良いか悪いかの判断はない。しかし、伝統と歴史を重んじる事と、単なる過去への執着は異なる。変えて良くなるのであれば、恐れずに変えた方が良いに決まっている。冷静に考えれば当たり前だ。
しかし、現時点において得られたものを失うリスクも当然ある。「えびで鯛を釣る」ということわざがあるが、そもそも「えび」を餌として失わなければ、鯛は得られない。リスクを全く犯さずに何かを得ようというのは、虫が良すぎる話だ。鯛の釣り場だけ占拠していても、鯛は得られないばかりか、他の人が鯛を釣る邪魔にすらなるのである。
 
最近、巷を賑わせているガソリン税の暫定税率問題もそうだろう。スカスカの高速道路やそれに付随する無駄な施設を作るために税率を上げているわけではないはずなのはわかっているのに、なぜ、ああももめるのだろうか不思議である。地方がもっと自由に道路を作ったり、再開発をしたり、医療に回せるように、数多くの特定財源を見直して一般化、または廃止し、地方が自由に使える形で渡せば済むことだ。その際に、それらの税源を活用するために、霞ヶ関の官僚が地方に移籍すれば、人材の問題も解決するし、併せて、無駄な特殊法人なども完全民営化させて一掃すれば良い。民営化すれば、多くの無価値な法人は潰れるからである。不謹慎かもしれないが、企業の人材不足も、少しは改善されるかもしれない。
いかに現状を変えずに済むかを前提に議論するから、おかしな話になると、なぜ、あれだけ学歴も高い人達がわからないのだろうか。不思議で仕方が無いが、それこそが、「変化に対する抵抗力の強さ」の証明とも言えよう。
 
しかし、一言だけいえるとすれば「変革なきところに創造はない」という事だ。そして、創造がなければ、よりよき社会や生活は得られない。
自らの行為が結果的にどのような影響を与えているのか。それを胸に、今何をすべきかを考えて貰いたい。
 
<strong>【自己保身症候群】</strong>
 
改革に携わっていると、総論賛成・各論反対、という言葉をよく聞く。しかし、それは本来の意味とは違うような気がしている。
本来の意味は、大きな流れとしては反対ではないが、細部になると相違が出やすい、というものだ。
しかし、私が知っている範囲だけで言えば、大きな流れとしては、自分（の部署）の関係が「見えない」ので賛成だが、細かな話になってきて、自分（の部署）が少しでも関係し出すと、意見が違う以前に「関係させるな！」と反対するのである。
意見の相違というよりも、「それは私の仕事ではない」と思っているからではないだろうかと最近思う。自分（の部署）が少しでも関係しそうになると、突然、異論を言い始めて、自分は無関係でいるように尽力するのだ。 
 
あるいは、「これでは決められない」という話もよく聞く。
改革の方法がわからないので提案して欲しい、と大半のケースで言われるのだが、提案すると、かなりの割合で、この言葉が返ってくる（更によくあるのが、「これはうちには合っていない」「うちは特殊だ」という言葉である…）。
「では、何があれば決められますか」と聞くと、「もっと私達の仕事を理解して貰わないと困る」だとか「これだけでは説明できない」と返ってくるが、「○○があれば決められます」という答えを聞いた試しがない。何をどう聞いても、如何にして自分達が決めずに済むか、その言い訳を探しているようにしか、私には思えないし、そのような回答をしていて、管理職者として恥ずかしくないのか、と呆れてしまうことも度々である。
 
これは、実はどちらも「自己保身」をはかっている結果の言葉である。
リーダーは、意思決定をすると、その決定に対して当然責任を負う。つまり、意思決定する事はリスクなのだ。
しかし、そのリスクを乗り越えなければ、大きな成果を手にすることもできない。
 
ただ、気持ちはわからないでもない。
失敗するのが怖い、という気持ちはわかる。しかし、リスクを冒さずに対価を得られるほど、現代は甘くはない。リスクはコントロールするものであって、避けるものではない。
だが、日本の村社会においては、成功することも避けなければならないのだ。こんな不思議な社会は少ないと思うが、ちょっとした成功をしても、上位者から妬まれる事はよくあることだ。特に、前任者でかつ上位者が、過去に挑戦して失敗したことを、成功させようものなら、その前から色々と妨害されると覚悟しておいた方が良い。これは、本当の話である。実際、私も失敗した前任者からは邪魔をされ、COOが出した方針（と呼べるほどのものではないが）がずれていたので、話半分に聞いていたが、そのCOOからは、成果自体を隠され、非合理な要求を突きつけられて改革を破壊された。
 
そうなれば、自己保身に走る気持ちもわからないでもない。
しかし、それが良いかどうかは別の話だし、決して良いとは言えないだろう事は賢明な読者ならおわかりの事だと思う。
自己保身のために、自らの関わる範囲を出来る限り狭めるやり方は、残念ながらこれからはますます通用しなくなっていくだろう。今からでも遅くない。自己保身の殻を破れるのは自分自身である事を、是非、思い起こして行動に移して欲しい。
 
<strong>【とりあえず症候群】</strong>
 
仕事をしていて「何でこんないい加減な仕事をして、疑問を感じないのか」と思う事はないだろうか。
配達時間を守らない時間指定の宅配業者、偽装食品を売る食品メーカーやスーパー、残業費を稼ぐためだけにダラダラと仕事をする同僚、「申し訳ございません」「ありがとうございました」もまともに言えない接客スタッフと、挙げだしたらきりがないが、視点を変えて、自分の仕事もそうなっていないか、と常に考えて、あなたは仕事をしていると言えるだろうか。
私は、年齢や役職に関わらず、実にいい加減な仕事をしている人を良く見かけると感じている。
 
本人は、「一生懸命やりました」「これだけ時間をかけました」というが、その仕事の目的を忘れて、単なる資料集めになっていたり、顧客に対する理解が思い込みだけで形成されていたり、大した評価もなく「これが一番です」と平然と言ってみたりと、追求すると「きっとそうだと思って」「とにかくやってみました」「面倒くさくてやりませんでした」「そこまで考えませんでした」などという言葉が返ってくるような仕事の仕方をしているのだ。
 
一応、思考は停止していないが、その思考が浅かったり、使い方を間違っていたり、質にバラツキが多いと、その思考自体が、周りに悪影響を及ぼす。
その事を、やっている人間はわかっていないのだ。
 
私は、そういった人間には、「教育」のために仕事を渡すことはあっても、完全に信用して「任せる」事は、始めからしない。「とりあえず」で仕事を行う人間には、厳しいようだが、付加価値など生み出せはしない。付加価値を生み出す仕事は、それ程甘いものではないのだ。
あなたも、ミスだらけの仕事を平然と「やりました！」とあげてくる人に、仕事を安心して任せられるか考えて欲しいし、社会人となる以上、それだけの気概でやって貰わねば、勉強を教えて貰う学生と何が違うのか、明確に答えることができないだろう。
 
仕事というのは、本来、その内容に「甘え」は許されない。「これくらいで良いだろう」という言葉は、決して吐けないような場所なのだし、それは、いつか自分に返ってくるものである。
いい加減な仕事には、いい加減な仕事で返される。
私も、真剣に仕事をしてくれる人には、きちんとした対応をするようにしている。それが、ビジネスパーソンとしてのマナーだからだ。レストランなどでウェイトレスの人相手に怒鳴っている人を見る事があるが、例え落ち度があっても、相手が真剣に仕事をしていれば、注意はしても怒鳴る事はないだろう。怒鳴る側のマナーがなっていないと思うし、そういう人に限って、自分の仕事はいい加減だったりするものだ。
 
完璧を目指せ、と言っている訳ではなく、トコトンやりきったと自分が言えるように仕事をし、失敗したら仕方が無いと思えるまでやったと言えるようになろう、と言うことだ。
こう聞くと当たり前のように思えるが、できていないシーンは私にも山ほどある。是非、そういった視点で日々の仕事を見直して、徹底的に考え抜くことを癖付けて貰えればと思う。必ず、どこかでそれを高く評価してくれる人が現れると、私は断言しても良い。それくらい、大切なことなのである。
 
<strong>【過去にしがみつくリスク】</strong>
 
私たちは「選択の時代」にいる。
 
不確かなものが、非常に多くなっている。いや、少なくとも「答えのない」ものを扱う事が増えているのは確かだし、幅広い意味でのＩＴの進展で、答えがあるものの価値は、急激に低下しており、「答えのない」ものから答えを見出すか、答えがわかっているものでも、それを着実によりよく進める努力をし続けるか、そのどちらかでしか、価値をつける事が難しくなってきている。
つまり、あらゆる領域においてもリーダーは選択する事が常に求められる。その対極が思考停止だ。多くの人が身近である企業においては、経営者・役員・中間管理職・プロジェクトリーダーなど、リーダーの立場にいる人が、少しでも思考停止に陥れば、その組織は周りからのプレッシャーに負けてしまうのだ。負けないようにしようとすれば、既得権益を守り、特権階級化を画策するしかない。しかし、それもこの世界においては、長続きしないだろう。旧共産圏も、テクノクラート化した特権階級への反発で、最後は崩壊したのである。
 
そして、個人として、冷静に考えて、どちらが健全だと思うだろうか。
私は、既得権益にしがみついて、何とか逃げ切ろうと思うよりも、自分が出来うる限り挑戦したいと思うし、それこそが、飢餓や流行病、戦争などの「死」から解き放たれつつある先進国に生きる者のつとめではないかと考えるのだ。
 
 
まとめてみよう。
「思考停止」には、幾つかの類型がある。
何も考えずに偉い人の言葉を受け入れる「神様症候群」、とにかく長いものには巻かれて、それに疑問すら抱かない「寄らば大樹症候群」、変わることは良い悪いを別として全て否定し、それ以上考えない「変革恐怖症候群」、自らの範囲を自ら勝手に定め、それ以外の事は徹底して関わらず考えようともしない「自己保身症候群」、言われたからやってみただけ、その後、それがどうなろうと知った事ではなく、結果に対して思考が停止している「とりあえず症候群」などである。
「思考」というのは、ある意味、「空想」という言葉があるように、どこまででも考えていけるものであるし、それこそが生物としての人間の強みである。そこに自ら枠をはめたり、思考自体を誰かに頼ったり、思考すること自体から逃れようとするのは、人として生きることを放棄しているのと同じであるし、そのような考え方は、決して、社会の更なる発展に貢献できない。
是非、自らに与えられた「思考」という才を最大限発揮し、新たなる社会の発展に挑戦して欲しい。時には辛くとも、それ以上の達成感が得られる事は、少なくとも保証できるし、私は、経験者として確信をもって薦めたいのである。そして何より、今の社会は、過去の人達の「思考」の賜物なのだから、私たちはそれ以上の者を残していくのが、現代に生きる者の責務なのだと考えるのである。
 
 
より詳しく知りたい方はこちらへ（本稿は、個人ブログより転載）
⇒ <a href="http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/17/P0001700.html">筆者メルマガ「ＦＲＩマーケティング＆キャリア（旧就職参謀）」</a>
⇒ <a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
 
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけ、その後、自らの関わり方に疑問を持ちベンチャー企業に転進。経験を活かし、経営企画・事業企画・商品企画・営業企画など様々な企画業務、数十名規模のライン管理職、業務・会計・人事などの各種改革業務などを担い、業績拡大を支える。また、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングに責任者として従事する。実践的なアプローチにより実績多数。現在はIT・ライフサイエンス系投資育成企業にて、子会社の事業企画や経営改革、大手企業の機構改革などにあたる。
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   <title>プロフェッショナルな仕事とそうでない仕事の違い</title>
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   <published>2008-04-29T13:33:50Z</published>
   <updated>2008-06-02T17:01:24Z</updated>
   
   <summary>先日、時間を毎日自由に使いたいからプロフェッショナルになりたい、という話を聞いた。それ自体は、間違っていないが、私はどうしても違和感を拭えな...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="プロフェッショナル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      先日、時間を毎日自由に使いたいからプロフェッショナルになりたい、という話を聞いた。それ自体は、間違っていないが、私はどうしても違和感を拭えなかった。それはなぜだろうか？
少し考えてみると、プロフェッショナルの仕事の本質を勘違いしているからだ、という事に気がついた。では、プロフェッショナルな仕事とはどういうものなのだろうか。

      <![CDATA[ 
例えば、企画系の仕事は、プロフェッショナルな仕事でなくてはならない。
なぜなら、「答えがない」仕事であるため、その価値については、自己評価できなければならないし、○名分処理をする、というようなものではなく、期日までに企画案という「成果を出す」仕事だからである。
 
しかし、企画を担うものが企画だけしていたら、それは単なる企画屋で、実業においては、使い物にならない。企画担当者の責務は、その「実行」と実行した「結果」に対しても求められるものだし、そうでなくては、企画の仕事はするべきではないだろう。それがプロフェッショナルな仕事というものだ。
 
また、今、ある企業の管理部門改革の仕事に携わっているが、ご存知の通り、管理部門の仕事、例えば、経理や人事などは、かなりの部分がオペレーショナルな仕事となっている。いわゆる、プロフェッショナルな仕事の対極にあるものだ。
そこで、色々と議論をしていると、必ず「忙しくて（業務を変えるための）検討すらできない」という事を話す人がいる。
 
私は、コンサルティング会社出身（最初の会社）であるが、一時期、月300時間労働が続くようなハードワークな環境を経験しているので、たかだか200時間前後で何を言っているのだろうと、ついつい思ってしまったのだが、その人達の指す「忙しい」と、私が考える「忙しい」が、そもそも異なるのではないか、と思うようになってきた。
 
つまり、仕事で求められるものが違う以上、そこから発生する「忙しい」も違う、という事だ。
 
プロフェッショナルな仕事は、「決められた期日まで」に「相手が納得する品質・規模で」成果をあげる事が求められる。つまり、途中でどれだけ徹夜が続くような忙しさであろうと、早めに仕事を切り上げてジムに行ったり、お昼にカフェで思索にふけったりしようと、最後の成果を担保するために、定常的に「忙しい」訳ではないが、ある一定期間において、脳が汗をかくようなハイプレッシャーの中での突発的な忙しさ、を乗り切る必要がある。
 
それに対して、それ以外の特にオペレーショナルな仕事は、毎日毎日、あるいは、毎月決まった日に、いつも同じ程度の忙しさが、長い期間にわたって繰り返しやってくる。
つまり、ピークの高さは低くても、何度も続く「忙しさ」なのである。
 
前者が一瞬の瞬発力(のみ)を問われる短距離走、後者が持久力を問われるマラソン、というところだろう。
マラソンは、その中でのペース配分が重要視されるが、短距離走においては、スタートからの一瞬の時間の全動作が洗練されている事が求められる。
 
もし、プロフェッショナルな仕事で身を立てたければ、この一瞬の瞬発力を発揮し、何よりも最優先で臨む期間がある、という事を覚悟しなければならない。そうでなければ、成果など出せないからだ。だからこそ、その成果を出すまでの期間の時間の使い方は、プロに任されるのである。
 
私は、仕事以外の何かを常に優先したいのであれば、プロフェッショナルな仕事には就かない方が良いと感じている。仕事バカになれとは言わないが、実際、会社以外の場所でも、仕事のヒントがないか、常に考え続けているからだ。
それは、風呂に浸かっていても、カフェでラテを飲んでいても、通勤中でも、趣味に時間を費やしていても、河原で空を眺めていても、そうなのである。それほど、プロフェッショナルな仕事は、ハイプレッシャーなのであり、頭から離れないのだ。
 
誰しもが、プロフェッショナルになる必要はないと思う。それはある意味、生き方すら変えなければならないからだ。それでも、やりたい、やらなければならない、と思う人が、その重い責任を背負って戦うような代物であろう。
 
私は、そこに更に一歩踏み出す事を後悔はしないが、誰もが踏み出す領域でもないと感じている。
それに、オペレーショナルな仕事も、きっちり真面目にやり切るのは、相当大変な事だと思うし、価値は高いと思っている。そもそも、オペレーションをやり切れる人も、私はそれ程多くは知らないくらいだ。そこにチャレンジする事も価値ある人生だと思うし、それも追求すればプロフェッショナルな仕事になるだろう。
 
ただ、もし、企画やリーダーなどのプロフェッショナルな仕事に就きたいならば、まずは、自分にそれだけの覚悟があるかを問うべきだ。そうでなければ、より多く、また、より深く、周りの人達に迷惑をかけるだけであろう。「いつも忙しい」と言っていられる世界では、少なくともないのである。
無いものねだりだけはしたくないものだ。
 
 
より詳しく知りたい方はこちらへ（本稿は、個人ブログより転載）
⇒ <a href="http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/17/P0001700.html">筆者メルマガ「ＦＲＩマーケティング＆キャリア（旧就職参謀）」</a>
⇒ <a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
 
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけ、その後、自らの関わり方に疑問を持ちベンチャー企業に転進。経験を活かし、経営企画・事業企画・商品企画・営業企画など様々な企画業務、数十名規模のライン管理職、業務・会計・人事などの各種改革業務などを担い、業績拡大を支える。また、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングに責任者として従事する。実践的なアプローチにより実績多数。現在はIT・ライフサイエンス系投資育成企業にて、子会社の事業企画や経営改革、大手企業の機構改革などにあたる。]]>
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   <title>航空会社は機内食をコンビニのお弁当にせよ</title>
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   <published>2008-03-14T03:30:01Z</published>
   <updated>2008-03-14T03:33:14Z</updated>
   
   <summary>　海外から帰るといつも思うことがある。あの機内食だ。世界でこれほどまずい食事があるのかというぐらいのひどさで、JALだと、カップヌードルでさ...</summary>
   <author>
      <name>アドバイザー　河合 拓</name>
      
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   <category term="" label="" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      　海外から帰るといつも思うことがある。あの機内食だ。世界でこれほどまずい食事があるのかというぐらいのひどさで、JALだと、カップヌードルでさえビジネスクラスにいかないと召し上がれない。これは異常だと思う。




      <![CDATA[

　これに比べて、激しい競争原理の結果味やボリュームなど自助努力をつづけているのがコンビニのお弁当だ。さすがに、スーパーなどのお総菜コーナーのお弁当には負けるが、クイックランチで食べるにはそこそこいける味だ。この両者の決定的な違いは競争原理が働いているかどうか、であろう。


　飛行機の中は、ある種独占状態だ。例えば、JALに乗ればJALグループの子会社が「これでもか」というぐらいに販売をおこなっているが、センスはダサダサ、食事の味は最悪という状況に陥っている。不思議なのは、どこの航空会社に行っても同じ状況だと言うことだ。以前、どこの航空会社か忘れたがハーゲンダッツが出てきたことがあったが、このように他ブランドのものを出すことだって、やればできるはずだ。おそらく、業界の人は通関手続きが、とか、関係子会社でなければ品質の維持が、などといろいろいうに違いない。しかし、私から言わせれば、そんなものは提供者の論理であって、受益者の論理じゃない。結局は、こういうことを本気でやろうとしていないだけなんじゃないかと思う。


　JALが第三者割り当て増資で大幅な資金調達を行うらしい。本業が赤字という。当たり前だと思う。あのまずい飯を平気で出し、死にそうなほど窮屈な席に10時間近く縛り付け、あんな飛行機、誰が乗るもんかと思う。以前のように、スチューワーデスが年収700万を超え、毎日タクシーの乗り放題というのは無くなったようだ。しかし、顧客サービスは一向に向上していない。マイレージプログラムなどで顧客に差をつけるのはよく分かるが、ボトムラインがひどすぎるのだ。


　私は、まず機内のエコノミーの席を真ん中の席をはずし、ビジネスクラスよりちょっと狭い、今のエコノミーの席よりもっと拾い席に移し替えるということを提案したい。もちろん、最大積載率は減るかもしれないが、おそらく、エコノミー席にのっている乗客の6-70%は激安ディスカウントでチケット購入しているはずだ。ここにプレミアムをつけ、激安をなくす。この比較を本当にシミュレーションしてもらいたい。


　次に、機内食をコンビニのお弁当にする。コンビニお弁当であれば原価は2-300円ぐらいだから、大量購買すればさらに安くなるはずだ。セブンイレブンなど、大手と組み、安定的に機内食を供給できる体制を作る。もちろん、現在のグループ食材提供会社は、市場の競争原理にさらし、コンビニと競争させればよい。通関上、制度上問題のあることはセブンイレブンと話し合い解決する。また、吉野屋などと組んで、機内食で牛丼が出るとおもしろい。


　さらに、ビジネスクラスでは座席にインターネット接続サービスをとりいれ、座席にコンセントを組み込む。今もやっているところもあるが、もっと広めてもらいたい。さすがにテレビを一席一台などとはいえないが（アジアの航空会社ではそうなっているところもあるが）、せめて座席だけはもっと広くしてもらいたい。


　ファーストクラスで、食後にウエッジウッドのコーヒーカップがでるなど、表面的なことに感動する暇があったら、ウエッジウッドの中に入っているまずい食事を改善する施策を考える方がよいと思う。合理化とコストダウンばかりやっていて、牢獄のような座席と刑務所の飯のような機内食をひたすら提供し続けている航空会社に、顧客プレミアムを実現することなど無理だと思う。もし、上記が実現できれば、私は時間を調整してでも、この航空会社にすると思う。それほど、エコノミークラスの空の旅は苦痛以外の何者でもない


* この文章は河合拓の個人ブログ 「事業再生コンサルタント河合拓の視点」の過去のものから抜粋しています
もっと読みたい方は→<a href="http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/09/P0000975.html">http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/09/P0000975.html</a>



【著者】
河合　拓　(かわい　たく)
経営コンサルタント　広く流通、小売業界に対して事業の立て直し、組織改革などを行っている。得意領域はマーケティング、事業戦略、生産性向上、営業改革、ナレッジマネジメント導入など。手がけた企業は国内外の大手上場企業。製造業、IT 企業、総合商社、流通企業など。赤字の上場企業を半年で黒字化させるなど、過去5社の立て直しを行いすべて成功裏に終わっている。


NPO法人FRIの設立者（現在はシニアアドバイザー） 自民党への政策提言、私立大学と大手商社と産学協同ブランド開発プロジェクト、大学生向け就職支援、中小企業向けコンサルティングなどを行っている。


(講演、執筆）
繊研新聞　（全国紙)
「ザ・ターンアラウンド」アパレル業界の事業再生　2007年 9月より連載予定
「間違いらだけのQR」「ファッション業界は08年に起きる地殻変動に備えよ」連載
チェーンストアエイジ　「キャッシュフロー経営」
大手都銀向けビジネス雑誌寄稿
大手製造業向けビジネスマガジン寄稿
政策学校一新塾 (大前研一設立) 講師　経営戦略アドバイザ
「ロジカルシンキングと会議の設定」
「仮説構築と情報収集、分析の技術」
「プロジェクトマネジメント」
「モチベーションマネジメント」
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   <title>仕事のスケールをあげる</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.fri-associates.com/blog/basic-skill/000186.html" />
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   <published>2008-02-01T08:58:56Z</published>
   <updated>2008-06-05T04:22:55Z</updated>
   
   <summary>　新人の仕事のやり方の効率が悪いのは、マルチタスクができないからだ。簡単に言えば、与えられたタスクを一つだけこなすのが精一杯という状態である...</summary>
   <author>
      <name>アドバイザー　河合 拓</name>
      
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         <category term="仕事術・思考方法" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
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      　新人の仕事のやり方の効率が悪いのは、マルチタスクができないからだ。簡単に言えば、与えられたタスクを一つだけこなすのが精一杯という状態である。
      <![CDATA[　非効率な仕事のやりかたの特徴は、工程をシーケンシャル（直列）に並べ、前工程から後工程へ一つづつこなしてゆくというやり方であるが、ラーメン屋さんでもこんな仕事のやりかたをしている人はいない。手際の良い主婦でも洗濯をしながら料理をするなど朝飯前で、おそらくホワイトカラーだけではないかと思われる。


　マルチタスクというのは、工程をパラレル（同時並行）でこなすスキルだが、これができるようになるためには、仕事の真の目的の理解と全体像（各工程の依存性、つながり）が頭に入っていないとダメだ。結局はどうなるの、なんのためにやっているの、ということがわかっていれば、必要でありかつ十分なミニマムタスクに分解し、また、そのミニマムタスクはどの程度の時間をかけて、どの順番でやれば全体が最適化されるかということがわかるからだ。


　さらに、全体感の見える人は、特有の頭の使い方をする。それぞれのタスクに期限をつけ、その期限から逆算して必要所要量を計算するということである。これに対して、直列にしか仕事ができない人はタスクに期限をつけず、「善処します」とか「着実に一歩一歩進めます」とか抽象論で語り、直近のタスクを積み上げてゆく。だから、突然、「これをやれ」と言われたら、期限のないタスクはすべて後ろにいってしまい、いつまでたってもタスクは完成しない。また、必要条件は語れるが十分条件をみないため、仕事は自己増殖的に増えてゆく。


　タスクに期限をつけられる人は、突然「これをやれ」といわれても、「ええ、今週は20%が別のタスクで埋まっていますので、80%の時間を割くことができます。だから、着地は2週間後になります」と答えられる。また、3週間後でよければ、工数を60%に押さえることができるので、さらに20%の時間をつかって別のタスクもいれられる。だらだら仕事をする人は、60%で終わらせられる仕事も無駄なことをやって時間を埋め80%を使ってしまう。だから、何度聞いても、「私は忙しい」というのだ。


　仕事は必ず目的がある。そして、必要なタスクは、その目的を必要かつ十分な工程に分解したものであり、この設計ができれば所要量計算ができるはずだ。また、所要量計算ができれば、一日24時間のどの部分を使えるかを計算することができる。つまり、マルチタスクができるのである。


　新人が経験者にスキルアップする瞬間が、このマルチタスク処理スキルの向上である。私自身、入社して3年目まではマルチタスクができず、上司からいつも怒られていた。


　一般的に、新人の教育方法として、マルチタスクを行う前に、まず、しっかりとシングルタスクをやらせてみようという考え方がある。若手も腕試しにマルチタスクを経験し、すったもんだして「すいません。やっぱり自分には無理でした。当分、シングルタスクに専念させてください」とアピールする人もいるが、これは間違いである。


　私も、同じアピールを上司に行った。しかし、上司のやりかたは逆だった。彼は、「おまえのように要領の悪いやつは、シングルタスクじゃなくてマルチタスクの嵐の中で苦しむ必要がある」と言って、私に5倍、10倍の仕事を無理矢理やらせたのだ。しかし、これがよかった。5倍、10倍の仕事をしていると、ある種の「割り切り」が見えてくる。いや、正確に言えば、「割り切り」ではなく、「無駄をやめる」という意識といっても良い。この地獄の特訓を経た後で、ある程度マルチタスクが処理できるようになった上で過去を振り返ると、自分のやっていた仕事の80%は無駄なことではなかったのかと思えるほどだった。それほど、最終アウトプットと関係ない仕事をやっているのが実態なのだ。


　考えてみれば、仕事に本当にシングルタスクなど存在するのか、という疑問もある。たとえ、仕事そのものがシングルタスクであっても、その中にある詳細な工程は、すべてパラレルに動いているはずだ。シングルタスクと思っていても、段取りが悪かったり優先順位が逆だったり、ようは要領が悪いのはマルチだろうが、シングルだろうが同じなのである。そう考えれば、私の鬼上司の荒療治も合理性がある。つまり、物理的に不可能なレベルでのマルチタスクをこなすことで、意識的に全体感をつかもうとし、すべてフィニッシュさせるために無駄な部分をそぐということを意識的にやりはじめる。。。　


　こんなところから、仕事のスケールはあがってゆくのかもしれない


上記は、私のメールマガジン FRI Magazineからの抜粋です。もっと読みたい人はこちらまで
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   <title>10万円の高級靴は結局得になるか？</title>
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   <published>2008-01-20T14:37:51Z</published>
   <updated>2008-06-02T17:04:12Z</updated>
   
   <summary>高級靴が流行っているという。ジョンロブ、エドワードグリーン、ベルルッティーなど一足10万円以上もする高級靴が売れているし、ファッション雑誌を...</summary>
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      <name>アドバイザー　河合 拓</name>
      
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      高級靴が流行っているという。ジョンロブ、エドワードグリーン、ベルルッティーなど一足10万円以上もする高級靴が売れているし、ファッション雑誌を読んでも特集が組まれている。

      <![CDATA[　webを見てみよう。彼方此方に、エドワードグリーンを買った、チャーチを買ったという人が「自慢の」靴の写真をwebにアップしている。そして、（ほぼ例外なく）こう書かれているはずだ


「高級靴は10年も長持ちする。だから、長い目で見ても安いのだ。例えば、一足 8000円の靴を一年で毎年買い換えても、高級靴は毎年は1万円だ。一方、履きやすさは天と地の違いがある。だから、高級靴はコスト対効果がよいのだ」と。


　こういう記述を読むと、私は「ああ、日本人はやっぱりブランドというものがよく分かっていないのだ」と思う。


　まず、こういう人に限って、高級靴は必ず複数持っている。つまり、毎年1万円どころか、毎年3万円、4万円の減価償却費になる。さらに、10年も使えば、最低でも3回はオールソールが発生する。一回のオールソールは2万円以上するから、さらにコストはかかる。また、決定的なのは、8000円の靴は1年で一回つぶれてしまう、という理屈だ。そんな話は聞いたことはない。8000円でも、10万円靴と同じようにローテーションを組めば、グッドイヤーウエルティッド製法ではなくても余裕で3年は持つだろう。つまり、高級靴は結局は安いのだ、というのは間違いなのである。高いものは高いのだ。


　それでは、なぜ、高級靴を買った人は「結局は安くなる」というのだろうか。それは、日本人が「精神価値」というものを理解していないからだ。ブランド品は、「安いから」買うのではない。「ステータス、高い感性」などという、物理価値ではない精神的な価値が高いから買うのである。ヨーロッパなどブランドが発達した国では、消費者は「高いもの」を贅沢品として認めて買っている。同様に、こういう高級靴を買っている人も、間違いなく、ここに満足感を感じているのだ。しかし、それを自分で認めようとしない、自分に「いい訳」を無理な理屈で作っているだけである。そうしないと、高いお金を出した「意味合い」を自分の腹に落とせないから、だ。


　日本でブランドビジネスが育たないのは、こういう日本人の精神構造、すなわち、物理価値=絶対価値という戦後の工業化時代のDNAが体に組み込まれているからだろう。嘘だと思うなら、最近ヴィトンを買った人に、なぜ、ヴィトンのバッグを買ったのと聞いてみて欲しい。きっと、「丈夫で長持ちするから」というだろう。


　私が、日本からブランドは生まれない、日本はブランドの消費国だ、という理由はここにある。


* この文章は河合拓の個人ブログ 「事業再生コンサルタント河合拓の視点」の過去のものから抜粋しています

もっと読みたい方は→<a href="http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/09/P0000975.html">http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/09/P0000975.html</a>

【著者】
河合　拓　(かわい　たく)
経営コンサルタント　広く流通、小売業界に対して事業の立て直し、組織改革などを行っている。得意領域はマーケティング、事業戦略、生産性向上、営業改革、ナレッジマネジメント導入など。手がけた企業は国内外の大手上場企業。製造業、IT 企業、総合商社、流通企業など。赤字の上場企業を半年で黒字化させるなど、過去5社の立て直しを行いすべて成功裏に終わっている。
NPO法人FRIの設立者（現在はシニアアドバイザー） 自民党への政策提言、私立大学と大手商社と産学協同ブランド開発プロジェクト、大学生向け就職支援、中小企業向けコンサルティングなどを行っている。

(講演、執筆）
繊研新聞　（全国紙)
「ザ・ターンアラウンド」アパレル業界の事業再生　2007年 9月より連載予定
「間違いらだけのQR」「ファッション業界は08年に起きる地殻変動に備えよ」連載
チェーンストアエイジ　「キャッシュフロー経営」
大手都銀向けビジネス雑誌寄稿
大手製造業向けビジネスマガジン寄稿

政策学校一新塾 (大前研一設立) 講師　経営戦略アドバイザ
「ロジカルシンキングと会議の設定」
「仮説構築と情報収集、分析の技術」
「プロジェクトマネジメント」
「モチベーションマネジメント」
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   <title>戦略立案の実務</title>
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   <published>2007-12-29T03:18:13Z</published>
   <updated>2007-12-29T03:20:35Z</updated>
   
   <summary>【戦略論の限界】 　日本人は「ものまね」が得意だ。とくに、海外で誰がああいった、こういったなどということを「知識」として吹聴する人が多く、自...</summary>
   <author>
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      【戦略論の限界】
　日本人は「ものまね」が得意だ。とくに、海外で誰がああいった、こういったなどということを「知識」として吹聴する人が多く、自分自身で開発したコンセプトなどを発信している人は、私の知る限りほとんどいない気がする。このように、現在主流になっている競争戦略論の原点は、アメリカなどで開発された競争戦略論が基礎となっている。これは、簡単に言えば、競争環境をスポーツやゲームのグランドととらえ、そこで競い合っているプレイヤー、そして、そのプレーヤーが戦っている範囲、強みや弱みなどを分析し、グランド全体にあいている市場や領域を見つけ、競争相手が手を出せない領域で自分の会社の強みが生かせるホワイトスペース（白い領域）に自社を持ってゆく、という考え方で、ポジショニングと呼ばれる。しかし、私は、以前から、こうしたポジショニング的戦略論に強い違和感を感じていた。


      　例えば、トヨタやSONYなどの会社、または、液晶 VS プラズマ、ブルーレイ VSHD-DVDなどの規模であれば、成り立つのかもしれない。こうした企業や製品は市場の50%程度のシェアをとり、まさに、一社の売上げを30%上げようとすれば、ダイレクトに競争相手との関係性が視野に入ってくるからである。


　しかし、よく考えてもらいたい。我々が扱っている実際の商品は、ソニーのブルーレイのような大それたものか？　そもそも、そんな大規模な競争環境など、日本に何社あるというのか。ほとんどの事業は、売上げ規模 10億〜100億、または、そういった事業の複合体となっているはずだ。


　例えば、私が手がけた多くの企業、組織の売上げは100億〜300億というところだった。500億クラスの企業であっても、その中にはまったく異なる競争環境を持つ事業が混在し、それらの規模は100億程度が多い。それらを構成する個別の事業は100 - 200億という程度に分解されるはずだ。そして、それらの事業に個別の競争相手が存在し、まったく異なるKFS (成功要因）で競争をしているというのが実態なのである。


　一例を挙げよう。例えば、私は外食事業の事業戦略を立案したことがある。私が入る前の企業の事業計画を見ても、対象となる立地、その競争環境と、セオリー通りの分析が進められていた。しかし、その「抽象的な」事業計画はまったく本業の成長に寄与しないばかりか、その会社を瀕死の状態に陥れたのである。実際、私が個別の立地、個別の店舗を分析していったところ、少子高齢化の影響が売上げに関係しているなどと言う事実は一切なかった。このように、実際に自分で事業をしっかり見ていない人間ほど、売上げの低迷を「少子高齢化」など、マクロ状況のせいにし、成長戦略を「団塊の世代」などに連動させる。


　これをマクロで見てみよう。例えば、ある事業の市場規模が10兆だとする。しかし、当該企業の市場シェアはコンマ5パーセント、多くてもせいぜい5%程度であり、私が手がけているサービス産業、流通、卸事業などはほとんどがこのケースだ。そして、そのシェアというものは、大メーカーの系列取引でもないのだから、毎年上下に揺れ動く。コンマ5パーセントの事業が、コンマ8パーセントになるのは十分「ぶれ幅」の範囲なのである。


　しかし、その差、コンマ3%といえば、その組織の売上げ規模言えば60%である。あなたの会社の売上げが60%もあがったら社員はびっくりするに違いない。ここからも、机上の競争環境分析などよりも、事業を推進する人の「がんばり」で売上げなど上下30%ぐらいは平気で上がったり下がったりするということなのだ。当たり前である、世の中は計画経済ではないのだから、決められたシェアなどという定義は存在しない。実際の購買は、その日の雰囲気や気分でドラスティックに行われたり行われなくなったりしているのだ。


　つまり、ほとんどの日本企業、事業の売上げ倍増などというのは、競争環境のポジショニングで決まるのではなく、偶発的な「ぶれ幅」の中で乱高下するレベルのものといえる。


　例えば、私は依然、ある投資ファンドの方からアパレル業界の市場規模と投資の可能性について相談を受けたことがった。アパレル市場の市場規模は、約10兆円で推移し、少子高齢化の影響で環境はますます厳しくなってきているのではないか、と聞いてきたのだ。私は、その分析は本質的に間違っています。アパレル事業に市場規模など関係ありませんと説明した。


【市場規模の幻想】
　市場規模という考え方は、例えば、日本人の人口が12000万人で、３ヶ月に１回パンツを買い換えるから、、、、というロジックではじき出す。実際、大手のコンサルティングファームの面接では、「ゴキブリほいほいの市場規模を算出せよ」などという問題を学生に出して内定者を決めている。全く本質的ではないと感じる。


　例えば、ファッション商品の性質を考えてみれば、コートやジャケットは「パンツ」とは全く違う動きをすることなどすぐに分かるだろう。まず、消費者は、ファッション商品を生活必需品として定期購買しない。その購買行動は、きわめて偶発的であり、気に入った商品があれば何万円でも出すが、気に入らない商品がなければ一切買わないという種類のものだ。さらに、競合相手は、コートに対してコートではなく、「お金があるから、コートを買おうか、それとも伊豆に旅行しようか、高級レストランで彼女と食事でもしようか」など、贅沢消費の様々なものとの競争になる。


　さらに、アパレル業界最大手のワールドでも、市場シェアはコンマスーパーセントというところで、上記のようなレベルの不確実性があちこちで発生しているわけだ。市場規模 x 競争確率という公式がいかに当てはまらないかと言うことはこれでおわかりかと思う。実際、不況だ、不況だといわれていても、109のように渋谷の店だけで一月1億を売り上げるブランドが突然出てくるのもそのためだ。ようは、よいものであれば、市場規模が年率3%で落ちていても、一ヶ月で300%の成長をするのである。


　大前研一は、この現象を、競争ではなく徹底して顧客志向で考えよ、と我々に説いている。まさに、その通りだと思う。競争に勝つことは事業の目的ではない、ひたすら顧客にとって何がよいかということを考え、その結果、競争相手に勝つ、または、共存させるというのが正しい戦略立案のステップだろう。私は、実際のプロジェクトでは、常にこうした考えを持ってやっている。


上記は、私のFRI Magazineからの抜粋です。もっと読みたい方はぜひご購読ください
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   <title>間違いだらけのマーケティング</title>
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   <published>2007-10-27T06:52:29Z</published>
   <updated>2007-10-27T15:05:10Z</updated>
   
   <summary>　製造業の場合、会社が「言っていること」と「消費者として見えること」が決定的に違うことがおおい。例えば食品メーカの商品企画の人と話をしている...</summary>
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      <name>アドバイザー　河合 拓</name>
      
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         <category term="マーケティング・ブランディング" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      　製造業の場合、会社が「言っていること」と「消費者として見えること」が決定的に違うことがおおい。例えば食品メーカの商品企画の人と話をしていると、「うちの商品はとにかく歯ごたえシャクシャクし、天然の味が味わえる」などと全社員が言っている。



      <![CDATA[　確かに「言われてみれば」歯ごたえもシャクシャクしている「気がする」し、確かにおいしいわけだ。しかし、友人の女性に話を聞いてみると、あそこの商品は味に興味がない人が、適当に弁当のすみに置いておく程度のお総菜、という認知が一般で、商品企画の人が言っているようなイメージは全くないということが本当に多い。


　さらに、そのことを企画の人に話してみると、なにやら複雑な分析をいろいろ説明し、それはそれでアカデミックな興味としては面白いのだが、一方、消費者の視点で感じてみる（考えるではない）と、どうもしっくりこない。彼らの理屈は、多くの場合、我々の思いや商品のコンセプトを、しっかりと小売・店舗の人たちが実践してくれない、というものだ。
ようは、売れない商品を「売り方が悪いからだ」と他人のせいにしているだけなのだ。

　
　だから、メーカーの営業部は、店舗の最前列までいって、販売員に対していろいろ指導しているのだという。しかし、その「指導」の中身を見ていると、その「なんとか分析」の結果出てきた的外れなことを、あれこれやっているに過ぎない。その内容はプロダクトアウトそのものである。


　例えば、ビールを考えてみよう。「ビールはやっぱりアサヒだ、いやキリンだ」と、自分の「こだわり」を語る人が多いが、私はいわゆる「ビール党」をあつめ、ブラインドテストをし「飲み比べ」をやってみれば、大多数の人の「こだわり」が幻想だということが明らかになるだろうと思っている。消費者なんてそんなもんだ。


　そこで、こういう仮説がでてくる。「ようは消費者は分かっていない」のである。しかし、同時に、「食べ物にあれこれウンチクを語りたい」という癖も持っている。だから、消費者の頭の中にある「ぼんやりとしたもの」を「明確」に、「理屈付け」してやればよい。私なら、まず、このように全体の構造を仮説で押さえるだろう。


　例えば、歯ごたえが「シャクシャク」する理由は、素材に「湯通し」をやっていないから、素材が「生のまま」入っている。これが歯ごたえの良さなのだ、などという「理屈」である。そうすると、消費者は、「そうか、湯通しをしていないんだな。だから、天然の味をそのまま味わえ、触感もシャクシャクするのか」など、消費者の頭の中で、訴求ポイントがはっきりする。また、「生の素材なら少々値段が高くてもしかたないでしょう」などと、消費者に価格を転嫁する合理性がつながってくる。つまり、プライシングも見直すことができるわけだ。


　世界の一流のブランドは、こうした「ストーリー付け」がうまい。昔、船が沈没したときでもルイヴィトンバッグに入っていたものは壊れなかった、とか、それはそれでかなり怪しいのだが、それなりにストーリーと理屈がはっきりしているので、消費者が、「そうか、「だから」、この商品はよいのだ」という「ロジック」が頭に残るのだ。ブランドロイヤリティーが高い商品には、かならず「ウンチク」本がうまれ、雑誌などの商品評価で読まれるのはこういうメカニズムである。


人は、分かりやすい因果関係を頭に植え込めば、そのブランドに対して長期のロイヤリティーを持つ。


　これに対して、ダメマーケティングの最大の特徴は、とにかく消費者の声を集め、消費者の声を「神の声」とし、複雑な（私から言わせれば無意味な）分析を繰り返す。簡単にいえば、仮説もなければヴィジョンもない人間がやる手法だ。


　上記のビールのように、現実は、消費者は何も分かっていないのだから、そんな声を聞いても答えなど出てくるはずなどない。せいぜい「ひとりよがりのウンチク」がでてくるだけだ。それが、そもそも「うんちく」だということが分かっているならいざ知らず、その言葉を真に受けて、言われるがままいろいろやっていても何も変わらないだろう。例えば、私がビール会社の社長なら、クオリティーに対する過度な投資より、CMやイメージ戦略に投資をすると思う。いくら消費者が「ビールは味だ」などとのたまっていても、だ。なぜなら、私の頭の中には、「消費者は、一見、味にうるさいが、その根拠はイメージに左右される部分が大きい」という仮説があるからだ。



　もう一つ、お粗末な例を紹介すると、あるアパレルで、自社のブランドの競争力を高めるために、競合とブランド比較の意識調査をやったことがあった。その話を女性にしてみると、みんな大笑い。女性の間では、そのアパレルの商品にブランド力などなく、多くの女性はただ「安いから」買っているだけだということである。さらに、競合として上げているブランドアパレルに関しても、「なんで競合なのか分からない」という声が圧倒的。「比べる相手を間違えているんじゃないの？」ということである。結局、比べる土俵も違うのに、自分もブランドの仲間入りだと思い違いをしながら調査を行っている。



　消費者は、なんとなくいいと思っている「理由」を分かりたいと思っている。そのためには、そもそも、「伝えたいもの何か」というコンセプトを明確にする必要がある。


　一方、商品の持つイメージというものは、偶然と必然が複雑に絡み合い、商品企画の初期段階とは微妙にねらいがずれてくるということがある。そのできあがったイメージに沿って商品を変えるのか、または、イメージそのものを変え原点回帰をねらうのか、これは、まさに戦略に他ならない。


　そして、一度イメージしてしまったものはなかなか変えられないということがあり、ここにメーカー側と消費者側の意識ギャップが生まれるのである。突き詰めて言えば、TO-BE (あるべき姿）とは何か、今(AS-IS) の延長にない「見えない姿」を見る力が必要（仮説構築）ということだ。


* この文章は河合拓の個人ブログ 「事業再生コンサルタント河合拓の視点」の過去のものから抜粋しています


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【著者】
河合　拓　(かわい　たく)
経営コンサルタント　広く流通、小売業界に対して事業の立て直し、組織改革などを行っている。得意領域はマーケティング、事業戦略、生産性向上、営業改革、ナレッジマネジメント導入など。手がけた企業は国内外の大手上場企業。製造業、IT 企業、総合商社、流通企業など。赤字の上場企業を半年で黒字化させるなど、過去5社の立て直しを行いすべて成功裏に終わっている。

NPO法人FRIの設立者（現在はシニアアドバイザー） 自民党への政策提言、私立大学と大手商社と産学協同ブランド開発プロジェクト、大学生向け就職支援、中小企業向けコンサルティングなどを行っている。


(講演、執筆）
繊研新聞　（全国紙)
「ザ・ターンアラウンド」アパレル業界の事業再生　2007年 9月より連載予定
「間違いらだけのQR」「ファッション業界は08年に起きる地殻変動に備えよ」連載
チェーンストアエイジ　「キャッシュフロー経営」
大手都銀向けビジネス雑誌寄稿
大手製造業向けビジネスマガジン寄稿


政策学校一新塾 (大前研一設立) 講師　経営戦略アドバイザ
「ロジカルシンキングと会議の設定」
「仮説構築と情報収集、分析の技術」
「プロジェクトマネジメント」
「モチベーションマネジメント」]]>
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   <title>「キャリアプランニング」と会社選び・仕事選び</title>
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   <published>2007-10-12T10:00:00Z</published>
   <updated>2008-05-02T02:27:30Z</updated>
   
   <summary>10月を過ぎ、2008年度入社の内定式を終え、早くも2009年度入社の採用が本格化し始めている。インターンシップなどは、既に一山越えたくらい...</summary>
   <author>
      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
   </author>
         <category term="キャリア・就職" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      10月を過ぎ、2008年度入社の内定式を終え、早くも2009年度入社の採用が本格化し始めている。インターンシップなどは、既に一山越えたくらいだ。また、中途採用も空前の活況を呈している。そして、大手企業は予算を増額し、今まで以上に露出を高め、人の確保に躍起になっている。
しかし、採用される側に目を移すと、本当に満足のいく会社選び・仕事選びが出来ていると言えるだろうか。更に言えば、キャリアプランニングの観点を少しでも持てていただろうか。
今回は、これからの時代において非常に重要な「キャリアプランニング」と、後悔しない就職のためのポイントについて触れてみたい。

      <![CDATA[ 
私は、コンサルティング会社、ベンチャー企業、投資育成会社と、普通の人と比べて多くの企業と職種を経験してきたし、個々の会社において、一定の成果も挙げてきた。
その中では、事業推進者として、人材育成や採用などに携わる事もあったし、FRIを通じて多くの人を見てきた。そして、仕事柄、大手企業や著名企業で働く人との付き合いも多かったのだが、そういった中で、満足のいくキャリアアップをはかっていける人だけに、一定の共通点がある事が、最近、わかってきた。
その共通点は、実経験の中からの一つの解であり、学術的な世のキャリア本とは異なる。統計的に上手くいった人の共通因子、ではなく、それらの持つ本質的な共通項である。
 
今回、<strong><a href="http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/17/P0001700.html">私のメルマガ「ＦＲＩマーケティング＆キャリア（旧就職参謀）」</a></strong>でも何度かキャリアについて触れてきたが、そこから特に本質的な部分のポイントを抽出し公開したいと思っている。
ただし、最初に断っておくと、実際のところ、その有効性は保証するが、それを実行することは楽ではない。成功している企業が、当たり前の事を着実に根気強くやっているのと同様、成功するキャリアについても、似たような面があるのだろう。
仕事やキャリアは算数ではない。これから読み進める前に、これは、最初に心に留め置いて貰いたい。


<strong>【現代のビジネス環境】</strong>
 
変化速度が過去とは比べ物にならないくらい加速し、同時にボーダレスな環境に置かれた現在、新卒採用が空前の売り手市場と言われるようになったとしても、社会に出てからは、より個人に成果を生み出す力が強く求められるようになっているのは、既にご存知の通りだ。
 
過去、日本は「国内事情」というものを錦の御旗にして、グローバルな基準からは目を背けてきた。なぜなら、日本国内には、世界基準に照らし合わせると、様々な「既得権益」という非合理的なものが山積していたからだ。
ちょっと考えればわかるが、「官僚の天下り」など、合理性はほとんどない。確かに、国家予算は非常に大きなものであり、関係者（官僚）を受け入れる事で、それに紐付いて仕事が来るなら、公僕という位置づけ上、良いか悪いかは別として、まだ、受け入れ側の話はわかる。しかし、今は、「公益団体」「特殊法人」という名の天下り先を自ら作り出し、数年いただけで高給と莫大な退職金をせしめる。そこに何の合理性があるのだろうか。
 
ボーダレスな社会においては、そのような非合理性は存続し得ない。なぜなら、付加価値を出せない組織は、寄生虫と同じであり、その母体を弱らせ、いずれは母体諸共、競争に負けて死んでしまうからである。
企業は社会の公器である。社会に対して、自分が得た対価以上の価値を提供できないものは、存在を許されないのだ。競争環境は、そういった非合理性を補正する。
 
それだけでなく、仕事に目を向ければ、定型業務はシステムに取って変わられ、少々の判断が必要であっても基準にのっとった判断程度しか要求されなければ、中国などに移ってしまうだろう。これは、結果的な事実である。
企業に関しても、実際、保険などは、ちょっと出来る人は、ほとんどが外資系の保険会社で契約しているし、金融も外資系や異業種を母体とする新銀行の躍進など、生み出す付加価値に見合っていない高給を貰っているような企業群は、企業自体が競争力を失っていくだろう。
高給で有名な大手広告代理店やTV局なども、TV一極集中ではなくなりつつあるに従い、それがいつまで維持できるかわからない。
 
つまり、ボーダレスというグローバル基準のある種平等な競争環境にさらされる以上、誰かにすがって生きていく事は、先ほどの「寄生虫」と同じ運命を辿る事に繋がる。
今の企業の置かれた環境は、それほど甘いものではないし、ボーダレスによって「日本の特殊事情」という言い訳が通用しなくなった以上、一歩間違えれば大企業でも傾く時代は、これからもしばらくは続いていく事になるのである。
 
そう、目前の売り手市場だけ見ていては、その先の荒波に飲み込まれてしまうのは必然だ。
これからは、会社という組織に頼るのではなく、自分自身は自分自身で磨きあげなければ、その会社諸共沈みかねない。
団塊の世代の大量退職や失われた10年間の雇用不足、若年者人口の急激な減少など、国内の特殊要因に一喜一憂している場合ではないのである。
 
だからこそ、「キャリアプランニング」という自身でキャリアを築いていく、という発想が重要度を確実に増しているのだ。


<strong>【仕事の本質】</strong>
 
では、その仕事というものに目を向けてみよう。
 
『<strong><a href="<$MTBlogURL$>career/000048.html">「勉強」と「仕事」の大きな違い</a></strong>』でも述べたが、仕事とは、例えば「勉強をすれば点が上がって合格する」というようなものとは異なり、自身だけの努力だけではどうにもならない場合もあり、同じく、その成果の大きさは、一人の努力だけでは変えきれない、というものである。
もちろん、だからと言って、手を抜けば如実にそれが成果に反映されてしまうという面があり、かなり厳しい環境であることは間違いない（しかし、だからこそ成果を出せた時の達成感は格別であるのだが）。
 
外部環境も厳しければ、そもそも、仕事自体も簡単なものではないのだ。
一部のラッキーな人を除いて、「成功者」といわれる人達は、総じて、他人よりも多くの努力を積み重ねているという事実が、それを物語っている。
勉強（暗記）をすれば点が上がる、という単純なものではない。自身の能力も向上させなければならないが、同時に、人を動かす力、手の届かない範囲の人をも律する力（仕組みを生み出す力）、自分以外の人の能力を開花・発揮させる力さえ求められる。しかも、時の運まで、引き寄せなければならない。
 
そんな仕事において、「○○業界にいれば安心」等と言うものが存在するだろうか？
 
想像通り、それは否である。
 
結局のところ、求められるのは、「○○業界」に行く事ではなく、どんな業界でも通用する力を養う事であり、もし選択するのであれば、それに必要だと「自分が」考える力を身に付けやすい業界はどこか、という視点である。
ここで勘違いしがちなのであるが、「便利な業界」はないという事だ。
「コンサルティング業界に行けば経営者になれる」とか「外資金融に行けばつぶしがきく」とか、確かに若干の合致するケースはあるが、それは、どちらかというと、その個人としてのキャリアの歩み方がメインであり、その業界にいたからそうなる、という事ではない。しかも、本当にそうなのかは、そこで身に付ける自分自身に問わなければならない。
 
サッカーチームに所属しているから上手くなるのではない。そこで血の滲むようなトレーニングを怠らないから上手くなるのだ。しかし、チームに属していた方が、トレーニングはしやすい環境にいられる。
これは、ビジネスにおいても同じである。
 
私がベンチャー企業に入ったのも、『<strong><a href="<$MTBlogURL$>career/000039.html">「ベンチャー企業」か「大企業」か</a></strong>』で述べたように、ベンチャーという環境が、自身が責任を負った中で、自身を鍛えるための試練の場として最適だと考えたからだ。
 
しかし、そのような視点だけでは、納得のいくキャリアを歩める訳ではない。


<strong>【目前の成果にまずはこだわる】</strong>
 
一体、何が不足しているのか。
それは、「成果」へのこだわりである。しかも、それは大きな方が良い。
 
一つは、『<strong><a href="<$MTBlogURL$>professional/000142.html">なぜ、人の「成長スピード」に大きな差が生まれるのか</a></strong>』で述べたように、大きな「成果」を狙うと、「目標」が大きくなり、その分、大きな失敗する機会も得られ、成長に繋がりやすいからである。
そして、最初から失敗しても良いと思うのではなく、最後まで「成果」を出す事にこだわりを持ち続ければ、より、そこから得られるものは大きくなっていく。
 
そういった経験をしていければ、必ず大きな「成果」を出すときが来て、その「成果」を元に、次のキャリアをより歩みやすくなる。例えば、社内では最も難しく重要な課題が集まるようになるし、社外に対しても自分の名で話す事ができる。すなわち、個人としての市場価値は高まる。
 
もう一つは、「成果」を出す事で、あるいはその過程で、自分のやりたい事が明確になってくる、という理由だ。
よく、「私は何に向いているでしょうか」「私は何をすれば良いと思いますか」という質問を受けるが、そんな事を明確に分かっている人間など、本当に極僅かである。
芸事をやっている著名な人でも、ある程度の歳になって初めて、「この仕事が向いていたのだろう」と言えるぐらいである。そこまで強い信念を持てる人は、いないとは言わないが、何らかの原体験がない限りはないと言って良いだろう。
 
私も、キャリアを積む中で、「現場経験がなければ駄目だ」とか「経営の重要性というのは、思っている以上だ」とか「資本の論理は引っ張られては駄目だが軽視してはいけない」とか、それぞれのフェーズで気付いていった。
だからこそ、その必要性に駆られて転職に踏み切ったのである。
 
最近、「思っていたのと違う」とか「配属先が希望通りではない」と言って、新卒入社でも半年から1年程度で会社を辞めて転職してしまう人がいるが、正直、「？」と思う。
そんなに自分の判断は正しいと言えるのだろうか。人に与えられたものに文句だけ言っていれば良いのだろうか。
 
確信を持って「Yes」と言えるなら、直ぐにでも部署異動なり転職なりすべきだろう。
実際、酷い会社も職場もたくさんあるから、それは否定しない。TOPが駄目なら会社は駄目、本部長が駄目ならその事業は駄目、中間管理職が駄目ならその部署は駄目。そういう判断は必要だ。駄目な環境に身を置く事は、短期間で十分だ。それ以上の価値があるとは思えない。
しかし、入社2～3年目くらいまでは、自分の視野は地面と同じくらいであると思った方が良いだろう。実際は、その仕事について何も見えていない事がほとんどだ。そんな視野だけで、正しい判断が出来るとは思えない。
やりたい事ができているか、と、会社や事業部が駄目、というのは、次元が異なるからだ。
 
どのような環境であれ、「成果」にこだわりを持って個人として当たれば、色々なものが見えてくるはずだ。
そこに、会社のブランド名や流行りの業界など関係ない。
そういった積み重ねがあって、初めて、自分が「やりたい！」「やらなければならない」と思えるものが見えてくる。
それが見えたら、直ぐにそれが出来る環境に移るべきだろうが、少なくとも、それまでは、目前でも良いので「成果」にこだわりを見せて、実績を積み重ねて貰いたい。
そうすれば、いざ環境を移そう、と思った時に、様々な選択肢が向こうからやってくるはずだ。
 
勿論、だからと言って何でも良いとは言わない。先人達の知恵を借りる事は大切だろう。
特に、言葉は悪いが、「業界バカ」「○○会社バカ」にはならない事だ。自分の会社や業界を俯瞰して見る余裕は常に欲しい。
しかし、「キャリア」とは、与えられる、正解がある、というものではなく、そうして自分で見出し、掴み取るものである。
それは、心に刻んでおいて貰いたい。
 
 
最後にまとめよう。
「キャリア」には、万人に通じる正解などない。世の中のブランドや流行りに流されてはいけない。
また、「自己分析」をするだけでは、自分の適職など見つかりえない。「やりたい！」と思えるものに出会うためには、仕事という環境の中に身を置き、そこで「成果」にこだわる事で、初めて糸口が見えてくるものだ。
求められるものを挙げるとするならば、それは、どこの業界・企業でも通じるベースの力であろう。
「キャリアプランニング」とは、「やりたい！」と思えるものが、朧気ながらでも見えて来た時に考える「環境選択」の手法である。
企業とは、自らが「成果」を出すための「舞台」でしかない。企業が自分のやりたい事を教えてはくれない。自身が「成果」と向き合う中で見出し、それを実現する場なのである。
 
「自己分析」が進まないと嘆く必要はない。様々な企業を見る中で少しでも光るものを感じたら、そこに飛び込んで足掻く事こそ、「やりたい！」と思えるもの探しの始まりなのだから。
 
 
本コラムは、筆者メルマガ「ＦＲＩマーケティング＆キャリア（旧就職参謀）」を再構成したものです。
より詳しく知りたい方はこちらへ
⇒ <a href="http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/17/P0001700.html">筆者メルマガ「ＦＲＩマーケティング＆キャリア（旧就職参謀）」</a>
⇒ <a href="http://blogs.yahoo.co.jp/tshimizu33/">筆者個人ブログ「清水知輝の視点 ～ビジネス・キャリア徒然草～」</a>
 
◆筆者紹介
FRI&Associatesの草創期メンバーで、現在NPO法人FRI&Associates 理事長。
外資系コンサルティングファームにて、事業戦略、業務改革、IT導入などを手がけ、その後、自らの関わり方に疑問を持ちベンチャー企業に転進。経験を活かし、経営企画・事業企画・商品企画・営業企画など様々な企画業務、数十名規模のライン管理職、業務・会計・人事などの各種改革業務などを担い、業績拡大を支える。また、多数の業界大手企業のマーケティングコンサルティングに責任者として従事する。実践的なアプローチにより実績多数。
現在はIT系投資育成企業にて、子会社の事業企画や経営改革、大手企業の機構改革などにあたる。]]>
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   <title>農政改革と地方再生を考える</title>
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   <published>2007-10-03T00:00:00Z</published>
   <updated>2007-10-07T02:46:39Z</updated>
   
   <summary>今、格差、特に、地方と都市との格差が話題によくのぼっているが、他の課題同様、「格差」自体が悪い、と決め付けるのではなく、なぜ格差が起きるのか...</summary>
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      <name>理事長　清水 知輝</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fri-associates.com/blog/">
      今、格差、特に、地方と都市との格差が話題によくのぼっているが、他の課題同様、「格差」自体が悪い、と決め付けるのではなく、なぜ格差が起きるのか、その格差を解消するための打ち手（オプション）はあるのか、をきちんと検討した上で、解決方法を具体化していかなければ、単なる悪平等による国力の減衰を招きかねない。
そうなれば、今は一時的に良くなったとしても、10年と経たずしてそれは破綻し、取れたはずの解決手法も、ほとんどが手遅れになっていかねない。
      <![CDATA[そうならないためにも、敢えてこの課題に向かい合ってみようと思う。
 
<strong>【格差の要因は構造変化】</strong>
 
今更ではあるが、なぜ、地方と都市部との格差が生まれているかを、まず考えてみよう。
 
一言でいってしまうと、産業構造の変化による、と言える。
すなわち、農業から工業、そしてサービス業へと日本の主力産業が変化していき、更に、地方の主力であった農業・工業の大半が、海外の労働力に頼るようになった現在、地方の衰退は避けられないものであった。
また、その過程で都市部へ人口集約が進んだ結果、主力サービス業の供給者も消費者も、都市部に集まる結果となった。
もちろん、今後の情報化社会においても、この傾向が進展あるいは固定化するかは、打ち手によっては変化しうるが、現時点においては、地方の衰退と都市部への更なる集約は、産業構造の変化によって、確定的なものとなっている。
 
つまり、構造的な変化によるものであるから、この流れを変えるためには、更なる構造変化を起こすレベルものでなければ難しいだろう。小手先の表層的な「もぐら叩き」対策では、効果を出しえない。
例えば、今までのように、無目的に農道を整備したり、おもちゃのような農業空港を作ったりしても、何の解決もできず、結果的に金の無駄遣いに終わるということだ。その金額が、過去からの累計で何十兆円というレベルになっているのにも関わらず、何も事態が好転していないことが、ある意味、それを証明しているといえよう。
 
この流れを唯一阻む政治的判断は、道州制、しかも、中央は、軍事（自衛）と条約などの国家外交、道州間の調整機能のみを残す、本質的な権限委譲型道州制しかないだろう。
これが達成できれば、各地域が独自の経済発展を目指すことができ、かつ、ある程度の規模感で経済外交を行うことができるため、一定地域における地方の衰退は防ぐことができる。
理由は様々あるが、本質的な発展の原理はさておき、地方の衰退をより抑えやすい理由は、単純に言えば、かなりの規模で集約される各道州中央都市からの距離が、東京と比べると飛躍的に縮まる事で、中央都市からの波及効果が大きくなる事に加え、各道州内の地域を発展させる以外の選択肢がなくなる事で、全国一律などではなく、個別具体的に地元地域の発展を真剣に考え、その事で、ある程度の規模になった財源を元に、実現化しうる力が養われるからである。
 
中央官僚制度自体、明治時代の海外を真似て富国強兵を急ぐための仕組みであるので、それを維持している事自体、世界の変化に乗り遅れた「時代遅れ」そのものと言わざるを得ない。全国一律の多様性のない発展など、少なくとも私は望みたくない。やはり、各地域の特色が活かされなければ、本当の意味での発展とは呼べないのではなかろうか。
ただ、実際に分割するには、政治家（特に国会議員や都道府県レベルの議員）が今の立場を変える、あるいは捨てるという政治判断や、中央官庁が道州レベルに分割される事での権限の縮小など、その立場の人が受け入れがたいであろう難題が山のようにある以上、ここで語るべき解決策としては、実現可能性に薄いので、最も有効な手段ではあるのだが、敢えて、この議論は避けたい。
 
では、一体どのような選択肢が考えられるだろうか。
 
<strong>【地方の主力産業】</strong>
 
学校で習ったレベルで恐縮だが、地方における主力産業は、一部、工業地域を形成できているところを除けば、基本は、農業（もちろん、水産・畜産業もあるが）と観光、である。
特に、「衣食住」の一角を占め、安全安心や味にうるさい事もあり、「食」を担う農業は、まだまだ地方における主力産業である。そして、水資源を中心に、自然環境維持、という意味でも、近郊農業は別として、地方における農業は、やはり維持していく価値があるだろう。
 
つまり、地方の発展と農業政策は、やはり、切ってもきれない関係にある、という事だ。
 
しかし、今は、ある種、票田としての農村、そして、その見返りとしての「保護」という形になっており、本質的な意味での発展、すなわち自立的発展にはほど遠いと言える。
 
なぜなら、過去、日本の産業において、政府の保護を受けてまともな国際競争力を持ちえた産業は存在しないからであ